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もう泣くしかない

作者: 村崎羯諦

 仕事を首になり、妻にも逃げられ、もう泣くしかない。だけど、どうせ泣くなら沢山の人から慰められたいので、渋谷のど真ん中で泣くことにした。


 最寄りの大宮駅から埼京線に乗り、40分ほどかけて渋谷に着く。ハチ公前改札を抜けた頃には正午を回っていて、何か腹ごしらえをしようとあたりをぶらつき、良さげなラーメン屋に入る。こってりした豚骨ラーメンを二玉分平らげ、その後は店の真ん前にあったパチンコ屋に入って適当に時間を潰す。結果は久しぶりの勝ち越しで、片手に景品を入れた紙袋を携え店を後にする。外を出ると先程よりも行き交う人々の数も増えているような気がする。左手にはめた腕時計で時間を確認すると、時刻は二時を過ぎたくらいだった。


「もうそろそろかな」


 私は人の流れに合流し、そのまま渋谷の中心、スクランブル交差点へと向かう。人種、年代、性別、様々な人達の間に紛れ込み、信号が青に変わるのを待つ。そして、青信号となり、大勢の人が一斉に前へと歩き出す。私もその流れに従うようにして前へ進み、そてしてスクランブル交差点のど真ん中で立ち止まる。辺りをキョロキョロと見渡した後で、少しだけ咳払いして喉の調子を整える。そして大きく息を吸い込み、私は今までためにためてきた感情を爆発させた。


「うわぁああああああ!!! 私の人生もう駄目だぁああああああああ!!!!!」


 悲しみのあまり、俺は膝から崩れ落ちる。喉から獣の唸り声にもにた嗚咽が漏れ、両目からはとめどなく涙がこぼれだす。周囲を歩いていた人たちは身体をびくりと震わせ、何事かと思いながら私の方を見る。それでも多くの人がそのまますたすたと歩き去っていく中で、私に声をかけてくる人物が現れた。


「あの……どうしたんですか?」


 私は声のする方へと顔を向ける。涙でぼやけた視界の中で、若い男女のカップルが困惑の表情を浮かべているのがわかった。


「長年尽くしてきた会社にも! 愛する妻にも! すべてから私は見放されたんだ! もう私には何にも残っていないんだぁあああ!! もう死ぬしかない! 死ぬしかない!!」

「えっと……まあ、でも今はどん底にいても、生きてればいいことがあるというか……」

「若い君たちに一体私の何がわかると言うんだ!!!! うわあああぁああああ!!!」


 私は感情に突き動かされるがままに泣き叫んだ。最初に声をかけてきた男女カップル以外にも人が立ち止まり始め、私の回りにはちょっとした人だかりができていた。交差点を歩く人の姿はほとんどいなくなっており、代わりに左右からけたたましい車のクラクションが鳴り始める。少しすると、バタンと車の扉が開閉する音が聞こえ、恐ろしい形相をしたガラの悪い男が怒鳴り声を挙げながら近づいてきた。


「おい、おっさん!! 早くそこをどけ!! 轢き殺されてぇのか!!」

「もういっそのこと殺してくれ! これ以上生きてても希望も何もないんだ!!」


 私の返事に男が声を荒げる。


「わがまま言ってんじゃねえぞ! どんだけ迷惑かけてると思ってるんだ!!」

「ちょっと! こんな可哀想な境遇の人に向かって、そんな言い方はないんじゃないですか!?」


 人だかりの中にいた一人の女性が前に出てきて男に立ち向かう。数人が彼女に同調するように「そうだそうだ」と声をあげる。ちょうどそのタイミングで、会社の創立記念式典で永年勤続表彰を受け取った思い出がフラッシュバックし、私は一層強い悲しみに襲われ、さらに泣き声を強めた。


「どうされたんですか!?」

 

 騒ぎを聞きつけた若い警察官が私たちの元へと駆け寄ってきた。警察官が女性と男の間に割って入り、仲裁を試みる。その間も車のクラクションは鳴り止まず、また、私の涙も止まらなかった。


「おい、警察官なら早くこいつを連行しろ」

「ここは危ないので署の方でお話を聞きますよ……」

「放っといてくれ! 私はもう死にたいんだ!! うわあぁぁああん!」

「いえ、あのですね……。死ぬなら死ぬで、もっと違う場所で……」

「ちょっと! その発言は警察官としてどうなの!? 皆さん、今の聞きました!?」

「「最低最低!!」」

「え、いえ、今のはちょっとした言葉の綾でして……」

「そんなの言い訳になりませんよ!!」

「「最低最低!!」」

「もう何でもいいから拳銃でこいつを撃ち殺せ!!」

「いえ、あの……そういうことは……」

「もう私は終わりだァあああああああああ!!!」


 ぷつんと、若い警察官の中で何かの糸が切れる音がした。


「僕だって、好きでこういう仕事をやってるわけじゃないんだよぉおおおおお!!!!」


 警察官の叫び声がスクランブル交差点に響き渡る。彼は被っていた制帽を地面に叩きつけ、そのまま地面に突っ伏した。


「ドラマで見る刑事に憧れてこの世界に飛び込んだのに、毎日毎日こんなトラブルの対応ばっかり!! 僕の人生、こんなはずじゃなかった!」


 そんな警察官に、さきほど強面の男に注意をした女性が叱咤を飛ばす。


「警察がそんな弱気になってんじゃないわよ。私達だってね! こうやって……毎日、辛いことも……辛いことも頑張ってんのよ!! それなのに……私だって……わあぁああああ!!!」


 女性が顔を覆い堰を切ったように泣き始めた。「私だって!」「僕だって!」「俺だって!」と人だかりの中から、あるいは交差点の外からけたたましい泣き声が聞こえてくる。女性は髪を乱れさせながら、警官はうつ伏せに寝っ転がったまま、強面の男は赤ん坊のように仰向けの格好で手足をばたつかせながら泣いている。大勢の人間の泣き声と車のクラクションが渋谷の街にこだまする。私は袖で目を拭い、辺りを見渡す。それと同時に、妻と出かけた新婚旅行での楽しい思い出が蘇り、とにもかくにも泣くしかなくなった。


「うわぁあああああああ!!」


***



 たくさん泣いてたくさん慰められ、私はすっかり満足した。そのまま他の泣き足りない人々の間を縫って駅へと向い、帰路についた。改札を抜け、埼京線に乗り込み、運良く空いていた座席に腰掛ける。


「やってしまったな……」


 電車のドアがしまった瞬間、私があることに気が付き、思わず独り言をつぶやく。


「パチンコの景品、交差点に置き忘れてしまった」

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