第百一話 改名します
今月号から筆名を本名の水田功に戻すことにした。「北斗」の同人になってちょうど十年、根性で毎号欠かさず書き続けてきた甲斐あって、苦し紛れの掌編を混ぜながら百話となり、キリが良いところで改名する。
そもそも、山中幸盛というペンネームを使い始めたのは『妻は宇宙人』の出版がきっかけだった。その原稿を書いている時はまだ子どもたちが幼くて、万が一『妻は宇宙人』が売れに売れて水田功が有名人になってしまうと、その露骨なベッドシーンが話題になって、友達からイジメられたら可哀想だな、と配慮したからだ。(カラッと乾いた性描写ではある)
完璧に杞憂だったが、いまアマゾンでこの本を買おうとすると中古本が二冊売りに出されていて、三千五百円と九千九百七十五円もするから、お手元にある方は値が下がらぬうちに御出品なされることをお勧めする。(もっとも、水田はその方法を知らぬし、鶴舞図書館、中川図書館、愛知県図書館、国立国会図書館等で閲覧ができるし。)
ではなぜ山中幸盛にしたのかというと、水田功がまだ二十歳の頃、父親の清から「水田家には山中鹿之助の血が流れている」との眉唾話を聞いたので、仕事帰りに本屋に寄って立ち読みし、山中鹿之助幸盛と呼ばれていることを知った。三十年後にそれを思い出して、山中幸盛に決定した次第。
父が死んだ後で母に訊くと、清の祖父である清吉を連れてその母親であるおけいが水田徳五郎に嫁いできた。おけいは山中鹿之助の子孫の誰かと交合して清吉を産んだことになるが、おけいは連れ子の清吉が肩身の狭い思いをしないように「この子は山中鹿之助の子孫である」と(伊万里市)楠久村の人たちに吹いて回ったに違いないのだ。(なお、母の祖母のてるは水田徳五郎とおけいの子というのだから面白い)
山中鹿之助の長男幸元は武士を廃して(伊丹市)鴻池村で酒造業を始め、財をなして後の鴻池財閥の始祖となったらしいので「その御威光をちょっぴり分けてちょ」というわけだ。
「北斗」の同人になる二年ほど前に中部ペンクラブの個人会員となり、この十二年間を山中幸盛で通してきて思ったのは、どうやらペンネームを改めた方が良さそうだ、ということである。というのも、これまで新人賞に応募して予選を通過した作品は、ことごとく水田功で応募したものだからだ。その全履歴を並べてみると、
第30回「小説現代新人賞」の『旋盤工ブルース』25歳
第48回「小説現代新人賞」の『ポルシェよ疾く』34歳
第67回「オール讀物新人賞」の『グッバイマイラブ』34歳
第49回「小説現代新人賞」の『ペネタ型の雲』34歳
第2回「小説すばる新人賞」の『銀河の片すみで』36歳
第74回「オール讀物新人賞」の『告白』41歳
第84回「オール讀物新人賞」の『屠場の豚』51歳
水田功の予選通過の『打率』は八割程度かと想うが、その後、山中幸盛の筆名で『妻は宇宙人』等、何本かの長・中編を新人賞に応募しても、全て一次予選すら通らなかった。
ちなみに、スマホで無料姓名判断「いい名前ネット」を見てみると『運』を五種類に分けてあり、水田功は、凶・凶・吉・凶・凶で、山中幸盛は吉・凶・凶・凶・凶なのだから笑うしかない。鴻池の御威光も凶が四つもあっては届かないはずで、実績ある水田功の方がまだマシということになる。
ということで、今年の四月から仕事を辞めて長編小説に取り組んでいて、どこかの新人賞に水田功の筆名で挫けずにバンバン応募していく予定だ。「北斗」の掌編は今後もずっと書き続ける所存だが、ま、時間だけはたっぷりあるのでなんとかなるだろう、とポジティブに考えている。
まもなく六十六歳になるので平均寿命まで生きたとしても十五年しかない。願わくは、病気することなく、ボケ防止のためにだけでなく、死ぬまで書き続けていきたいものだ。
そのためにはまず、禁煙しなければならないだろう。仕事を辞めたのを機に「小説を書いている時だけタバコを吸ってもよろしい」というルールを自ら作った。おかげで、タバコを吸いたいがために原稿が快調に進むったらありゃしない。しかし、それと引き換えに寿命を縮めているのだ。
そこで、もう一つルールを追加した。新人賞に応募して「最終候補に残ったらタバコを止める」と。そこまで到達すれば自覚が生じて禁煙できそうだからだ。できれば、タバコが死因になる前に辿り着きたいものだ。
ところで、お前のその根拠のない自信は何処から生まれてきているのだ、と首を傾げられるむきが数多おられるだろうが、その根拠は信仰のおかげと断言できる。立正安国論に大好きな一節がある。【蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ】と。つまり、糞蒼蠅のごとき水田でも、まじめに信仰に励むことで万里を渡ることができる、と。
祈祷抄には【大地はささば外るるとも、虚空をつなぐ者はありとも・潮の満ち干ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りの叶はぬ事はあるべからず】ともある。強盛な祈りで癌を治癒した方は枚挙にいとま無し。ゆえに、たかが最終候補ごとき、屁の河童のはずなのだ。
幸いにして水田功は唱題することを厭わぬ、希有な人間である。とくと、信仰をもった人間の強さを、ご笑覧あれ。