ノアの箱舟
◇
彼女のいた世界は、もう崩壊寸前だった。
争いに次ぐ争い。闘争の歴史は何万年と繰り返され、自然は焼かれ、動物は滅び、大気は汚染されていた。
「私たちは、最後の希望をお前に託す」
父と母は泣いていた。
……きっと泣いていたと思う。
もう、あまり覚えていないけれど。
世界の滅亡はすぐそこまで迫っていた。
人類に生き残る道は無く。そうなった時にやっと人々は戦争を止め、手を取り合って未来への道を探し始めたのだ。
全く滑稽だった。
さんざん世界を破壊しておいて、今更戦争を止めた所で、もう手遅れだというのに。
残った人類は力を合わせ、一つの技術を確立させた。
それは、時空に穴を開け、物質を別の次元に飛ばすという技術。
滅び行く世界を捨て、別の時空へと望みを託すために作られた最後の希望。
しかし、その技術は未完成だった。
穴を開ける事は可能だが、資源不足故エネルギーが足りず、穴から別の時空へ飛べるのは1名のみ。そして、飛ぶ先もランダムで、きちんと別の世界に行けるかどうかも運任せだ。
それでも、このまま何もせずに滅びるよりはマシだと、この無謀な世界渡りは決行されることに決まった。
争いが起こらぬよう、対象者をくじ引きで選出した所、一人の少女が選ばれた。
少女は、自分に託された想いなど理解できぬまま、涙を流す両親に肩を押され、時空の穴へと足を踏み入れたのだった。
◇
◇
夢を、見ていたようだった。
懐かしい、故郷の夢。
もう会うことも無い、両親の姿。
少女は、薄暗い個室で簡素なベッドの上で寝転んでいた。
食事は十分な量を与えられていたし、数日に一度、体を洗う事も許されていた。囚われの身としては、比較的まともに扱われている筈だ。
しかし、長時間薄暗い空間でひとりぼっちというこの状況は、少女の精神を少しずつ蝕んでいった。
最近、よく昔の夢を見る。
他にやることも無いのだから、寝る時間が増えるのも必然。少女は膝を抱えてベッドの上で小さくまるまった。
自分はどうなってしまうのだろうか?
言葉も通じぬこの世界で、ひとりぼっちの少女は絶望にうちひしがれる。
一筋の涙が頬を伝った。
それを拭うことすらおっくうだ。
何もかもがどうでも良くなって、ぼんやりとしていると、唐突に部屋のドアが開かれた。
パッと部屋に差し込む明かり。駆け込むようにやってきた人物が、少女にその大きな手を差し伸べた。
「待たせたなノア。さあ、一緒に帰ろう」
少女……ノアは、待ち望んでいた人物の登場に、涙を流しながら飛びつく。
「ハヤミッ!!」
ノアの頭に優しく乗せられた手には、確かな慈しみが込められていた。
◇




