戦いの終わり
◇
「久しぶりですね姉上」
背後から聞こえてきた声に、魔王サジタリウスは振り返らずに千里眼で姿を確認する。
そこに立っていたのは、記憶にあるよりもずっと大人の姿になった弟の姿だった。
「やぁミル。百年ぶりくらいかな? もっと長かったっけ? いけないね、年を取ると月日の流れがわからなくなってしまう」
「お戯れを……アナタは全てを知っているのでしょう? この世に起こる、何もかもを……」
険しい顔をしているミルに、サジタリウスは慈愛の笑みを浮かべながら首を横に振った。
「誰にも話したことは無かったが、君は薄々、私の能力に気がついていたようだね。流石は最愛の弟だ……。でも残念だけど、その予想は少しだけ外れているよ」
「ほう。ではご教授願えますかな姉上」
「私の能力はこの世の全てではなく、”起こりえたかもしれない事象の全て”を観測する能力だ……そして」
そしてサジタリウスは振り返る。
彼女の開かれた左目は白く濁っており、既に視力が失われていることを示していた。
「もう、その能力は私の中に無い。今ちょうど、相応しき存在に能力を受け継いだ所だからね。それで、ミル。君は私を殺しにきてくれたのかい?」
姉の問いに、ミルは頷く。
「その通りです姉上。私は貴女を殺さねばならない……その前に一つだけ、質問があるのです」
「いいだろう。もう私には未来を見る事ができないから、質問の内容を知ることはできないが、予想をするに私が魔王になった理由が知りたいのかな?」
サジタリウスの問いに、ミルは少し悲しみを称えたような表情をして首を横に振った。
「何故、私を連れて行ってはくれなかったのですか姉上」
想定外名ミルの言葉に、サジタリウスは息を呑む。
「私は……姉上の事を尊敬していました。それこそ、貴女に言われたらよろこんで里を捨てたでしょう」
「……すまないミル。その問いに対し、私は君の満足するような答えを持ってはいない。君を連れて行かなかったのは、私がずっとひとりぼっちだったからさ」
「私を、家族として見ていなかったと、そういうことでしょうか?」
「違うよ……君だけじゃ無い。誰も……世界中で誰も、全てを知っているという私の苦悩を理解できるモノなといなかった。家族も友人も恋人も、真の意味で私の孤独を癒やすことなんて出来ないんだ」
そしてサジタリウスは弓を持った。悲しげに小さく口角をつり上げ、ミルに語りかける。
「さあ、お喋りの時間は終わりだよミル。弓を構えろ……私を殺しに来たのだろう?」
「姉上……私は……」
「問答は無用だ。さあ、弓を構えろ」
互いに弓を構える姉弟。
様々な思いを乗せ、放たれた二本の矢。
その結末は…………。
「よぉ、終わったのかい?」
遅れて魔王城にやってきたウィリアムは、魔王サジタリウスの死体を見下ろしているミルの背中に声をかけた。
「……えぇ、今終わった所です」
「浮かない顔をしているな。とても魔王を倒した勇者の顔には見えねえ」
「魔王とはいえ、彼女は森の民の同胞ですからね……色々と複雑なのです」
「そうかい」
落ち込んだ様子のミルの肩を、ウィリアムはポンと叩いた。
「まあ、何にせよこれで俺たちの勝利だ。これで晴れて俺たちは魔王殺しの栄誉を手に入れた訳だな」
「私は森の民です。出来れば目立つ事は避けたいので、私の名前は伏せておいて欲しいのですが」
「そうかい? まあ、アンタがそういうなら名前は伏せておく。俺は元々目立つ事が目的だからな、存分に魔王殺しの名誉を利用させて貰うぜ」
そう言ったウィリアムは、戦利品の魔剣を満足そうに眺めていた。
彼の言うとおり、消化不良な出来事は残るモノの、闘いは終わったのだ。
「……では帰りましょうか。速見殿の安否も心配です」
「おぉ、そうだな。急いで探してやらねえと」
雑談をしながら城を後にする二人。
ミルは最後にちらりと魔王城を振り返った。
(最後の一撃……手負いとはいえ、弓の名手たるサジタリウスに私が勝てる筈など無かった。ならばこの勝利は、きっと私が掴んだものではない)
彼女の真意はもうわからない。
ミルは小さな声で、亡き姉に祈りの言葉を囁いたのだった。
◇




