* Release Day
八月十六日土曜日の朝、九時を過ぎた頃。
ディックとマトヴェイとパッシ、ウェル・サヴァランのメンバー五人、そしてヒラリーと一緒に、ベラはゼスト・エヴァンスへと向かった。マトヴェイは今日から発売するヒラリーのCDアルバムの入ったダンボール箱を右肩に抱えている。ベンジーとルースも、ヒラリーのよりは小ぶりなダンボール箱をひとつずつ持っていた。こちらの中身は当然、サヴァランの新アルバムだ。
店の正面入口の向かって右側にある黒い扉からサイラスが出てくると、ベラは「おはよ」と挨拶して彼にハグをした。彼も応える。
「おはよ。えらく大人数だな。うちの店はそんなに広くないぞ」
ベラとのハグを終えると、今度はディックが彼にハグをした。
「悪いね、朝っぱらから。心配しなくても俺とマトヴェイはすぐ帰るよ」とディック。
「どうせ荷物持ち。ハグしたいけど」パッシとハグをするサイラスに向かって、マトヴェイが肩をすくませる。「これじゃ無理だ」
サイラスが笑う。「お前はいい年してベラに使われすぎだろ」
「使われてんの? オレ?」
ベラが反論する。「持たせたのはディックよ」
「あの」ヒラリーがあらたまった様子でサイラスに言う。「販売を引き受けてくださってありがとうございました。よろしくお願いします」
彼は微笑みを返した。「そんなにかしこまらなくていいよ。ベラに言われたとおり、ちゃんとコーナーは設けてある。こっちは場所を貸すだけだ。そこからどう宣伝して売るか、それはベラや君の腕しだいだからね」
「ちょっと待て」ベンジーが割って入った。「──いや、待って。オレらのコーナーは?」
「あ? そんなもん言われてないから、特に用意してないぞ。いつもどおり棚に並べればいいだろ」
「ええー」
マトヴェイが言う。「とりあえず、頼むから開けてくれ。なにげに重いんだよ」
ヒラリーははっとした。「ああ、ごめんなさい。もうだいじょうぶ。持つわ」
「いやいや」
「しゃーないから」パッシが手を出す。「持ってやる」
マトヴェイは呆れた顔を返した。「お前な。店に着いてから恩着せがましく言ってんじゃねーよバカ」
開店前のゼスト・エヴァンスに入ると、ディックとマトヴェイは先にキーズ・ビルへと戻り、ベラとヒラリーとパッシは先に、フロアに特設されたミニテーブルの上にヒラリーのCDを並べた。そのあとはサイラスに道具を借りてポップカードを作ったり、持ってきた雑貨を使って目立つようそこを飾りたてた。
この日のゼスト・エヴァンスは昼からの営業で、そこから明日の閉店まではずっと、ヒラリーのアルバムを店内で流してくれることになっている。サイラスはどこまでも協力的だった。
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ランチを終えるとパッシの車に乗り、ベラはヒラリーを連れてカーヴ・ザ・ソウルへと向かった。カレルヴォの店だ。
店に着くと、ベラとパッシはカレルヴォにハグをして挨拶した。他にも客がいるからと再びサングラスをかけたベラは、カレルヴォにヒラリーのアルバムを一枚渡した。
「宣伝はしなくていいし、二十代の客じゃなきゃ店のことも言わなくてもいいけど。もし訊かれたら、ゼスト・エヴァンスでCDが買えるとだけ言ってね」
「わかってる。流すのは気まぐれでいいんだな?」
「うん。普段は有線かラジオでしょ? 気まぐれな選択肢に、このアルバムを追加してくれればいい。あとなんならどこかの棚にさりげなく、そのアルバムを飾ってくれててもいいけど」
彼は笑った。「了解」
背筋をぴんと伸ばして両手を前で握り合わせ、ヒラリーが丁寧に挨拶する。
「無理を言ってすみませんでした。よろしくお願いします」
「ああ。そんな気にしなくていい。本来ならこっちが金払って買うもんを、タダでCDをもらえて、それを店で流してもいいって言うんだから」
顔をしかめ、ベラは小首をかしげた。「ねえ、かなり不思議なんだけど」
「なんだ」
「朝サイラスのところに行ったんだけど、サイラスもヒラリーに対してそんな感じだったの。なんかやさしーっていうか、私やパッシたちにとる態度とぜんぜん違うの。なんで?」
「そりゃお前──」カレルヴォはパッシへと視線をうつした。「なあ」
彼が笑う。「オレらはまあ、ずっとまえから知ってるし、アレだけど。ベラに対してはな、アレだよな。そんな態度とるだけ無駄っつーか」
「それだ。無駄だ」
彼女が訊き返す。「無駄ってなに? っていうかあなた、私に対しては最初から態度激悪だったわよね」
今度はパッシが訊き返す。「え、マジで? どんな?」
「お前、それは違うだろ」カレルヴォは反論した。「そもそも中坊の分際で外部から商品持ち込んで彫刻だけしろとか言ったの誰だ? それこそ失礼な話だろ」
ベラも口ごたえした。「私はちゃんと電話で訊いたわよ!」
彼がつんと返す。「できるかできないかで言ったらできるって話なだけだ。誰もやるとは言ってない」
むすっとして、彼女はさらにしかめっつらになった。「そりゃそうだけど。店にだって“商品持ち込み禁止”なんて言葉は書いてないじゃない」
「んなことする失礼な客は、うちにはいないからな」
「やりたくないならやらないってはっきり書いて言ってくれればよかったのよ!」
二人を見ながらパッシは苦笑い、ヒラリーはおろおろしていた。ひととおりのやりとりを終えたベラとカレルヴォは数秒睨み合い、そして笑いだした。
「なんならヒラリーに割引き、してあげてよ」ベラが提案した。「なにかにイニシャル彫ってプレゼントするくらい、べつにいいでしょ」
ヒラリーはぎょっとした。「そんな、悪いわ」
「かまわないよ、二千フラムくらいまでなら」とカレルヴォ。「ひとつかふたつ、アクセかなんか選んだら、それになにか彫ってやる」
ベラがつけたす。「ついでに映画の割引チケットももらえばいいよ。センター街の映画館でしか使えないけどね」
パッシが口をはさむ。「あ、それオレも欲しい。ちょーだい」
カレルヴォは彼に呆れた。「ほんとに便乗すんの好きだな、お前」
「節約の時期なんだよ。わかるだろ」
「まあいいけど」
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オープンしたブラック・スターには続々と、ヒラリーのアルバムを買ってきたという報告が入っていた。もちろんサヴァランのアルバムを買ったという者ももちろんいるけれど、どちらかといえばヒラリーのほうが数が多かっただろう。彼女は客たちからひっきりなしに声をかけられ、そのすべてに丁寧に礼を返していた。
そして今日と明日は、彼女の地元であるインセンス・リバーから、友人たちが遊びに来る日でもあった。今日訪れた友人たちもゼスト・エヴァンスに立ち寄り、買ったCDアルバムを見せてくれた。今日と明日は特別に、キュカやエルバと一緒にアルバムに入っている曲をうたう。他のバンドたちも通常どおりライブを行うものの、主役は完全にヒラリーだった。
その一方でベラは、地元の友人たちに紹介させてというヒラリーから逃げるため、極力メインフロアに行かないようにし、地下二階の赤白会議室で仕事をしていた。そこに、ヤニから携帯電話への着信があった。
「なんですか」と彼女が応じる。
「今どこ?」
「どこって、ブラック・スターに決まってるじゃない。地下二階で仕事中」
「もう飯終わった?」
「まだ。メインフロアに行きづらいのよ。ヒラリーの地元の友達が来てるんだけど、それを紹介させようとしてうるさいの。だから行かないようにしてる。今日まだ一度もステージに立ってない。うたう予定のはあるんだけど、今はタイミングを探してるとこ」
「ああ。じゃあそっちで飯食うの、ちょっとつきあって。食ったらすぐ戻るから」
「なに、来るの? めずらしい。今まで一回も来たことないのに」
「ノエミがうるさいんだよ、たまには行けって。夕飯買いに行こうとしたら、休憩時間ぶんの給料も出すから、そっちで飯にしてこいって」
ベラは笑った。「なにそれ。で、給料につられたんですか」
「いや、どっちでもいい。けどもうずっと言われてる。夏休み中、ヒラリーのアルバムのこともあったりでバイト増えてるから、よけい。アルバムを言い訳にしてたけど、それも終わったから、もうなにも言えない」
「ああ、なるほど。じゃあ親切に外まで迎えに行ってあげる。そしたらわりと面倒なID確認も顔パスにできるから」
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ベラはヤニと一緒にメインフロアへと入った。
彼にとって、ブラック・スターははじめて入る店だ。本当に、今まで一度も訪れたことがなかった。雇い主であるガエルやノエミからは何度も行けと言われていたものの、もともと騒がしい場所があまり好きではないため、ずっと断り続けていた。
「あら、ヤニじゃない」ドリンクカウンター越しにヤンカが言った。「こんばんは。めずらしいわね」
「どーも」と彼が答える。
ステージに背を向ける位置で、ベラは彼と並んでカウンター席に座った。
「ノエミに念押しされてしかたなく来たんだって。夕食食ったらすぐ仕事に戻るって」
ヤンカが苦笑う。「あらあら。じゃああんまりゆっくりしてって、なんてことは言えないかしらね。でもデザートくらいはサービスさせて」
「いいです。こいつと違って、そこまで甘いもんが好きってわけじゃないし」とヤニ。
「じゃあアイス、サービスしてもらお」ベラはメニュー表を彼に渡した。「ビターチョコ味が最近新登場。苦いの。エイブたちいわくブラックコーヒーに合うそうです」
「そこまでゆっくりするつもりないんだけど」
ヤンカはオーダー用紙を用意した。「あら。せっかく来てくれたんだし、ベラの新曲、聴いていってほしいわ。私もちゃんとは聴いてないんだけど、この娘にしてはめずらしくしっとりとしたバラードみたいよ」
「“しっとり”とか言われても、こいつからそんなイメージ、まったく出てこないんですけど」
彼女がけらけらと笑う。「それもそうね。でもきっと、聴いても後悔はしないわよ」
夕食とサービスでもらったアイスクリームを食べ終わると、ベラはこれからうたう曲の歌詞カードをヤニに見せた。“Pray”というタイトルのそれを読みながら、彼は小難しそうな表情で首をかしげた。
「──身内に会った? ってことか」
「ま、そんな感じかな」とベラは答える。「もうちょっと解釈の幅、広がるかと思ったんだけど。やっぱ無理か」
「うーん──“同じもの”ってのがあるからな。他には同じ地元とか、それくらいしか浮かばない。けど無理やりな気が」
「やっぱり? ディックにもそう言われた。ぼかしてるようでぼかせてないみたいな」
「ぼかす必要はないだろ」
「まあそうだけど。やっぱ相手とは別れたと思ってる?」
「え、他になんかある? まさか得意の単身赴任“Cage”?」
彼女は笑った。「変な言いかたしないでよ。まあどっちともとれるなら、それでいいんだけど。あともうひとつある、次のページ」
ページをめくり、ヤニは“Nero”という曲の歌詞カードを開いて読んだ。
「ぜんぜん、しっとりした曲になる気がしないんだけど」と、彼が感想を言う。
「まあしっとりってのがよくわかんないけど。イメージは中世なの。壮大な感じ。ディックと一緒に曲作り、超がんばった」
「暴君のイメージで?」
「そう。きっといつの時代も変わらないのよ、社会的地位を手にしてる暴君てのは。そいつらに向かってうたった曲。の、つもり」
彼は肩をすくませた。
「でもこの暴君、確かに暴君だったけど、まったく支持がなかったわけでもないよ。死後だけど神格化もされてるし」
ベラはぎょっとした。「ちょっと待って。神格化? そんな話はじめて聞いた。暴君のくせになに神様扱いされてんの?」
ヤニが呆れ顔を返す。「お前、ほんとに高校生か。どういうイメージ持ってるのか知らないけど、ただの身勝手な暴君ってだけじゃ、ここまで有名にはならないだろ」
今日が初披露だというのに、いきなり壁にぶち当たった気がした。だが今さら歌詞を変える気などない。「わかった。聞かなかったことにする。いいの。私の中でそういうイメージなんだから」
「意味わかんない。けどノエミが気に入りそうだよな。レコはした?」
ベラはレコーディングした曲がある程度集まると、それを一枚のCD-Rにまとめてノエミに渡している。販売する気はさらさらないが、それはブラック・スターに所属するバンドたちがキーズ・レンタルスタジオを使う時、料金を割引くのと引き換えに出したひとつの条件だ。このことは、ブラック・スターでも極一部の人間しか知らない。ノエミがいない時は、CD-Rを彼女に渡してもらうようヤニに頼むことがあり、ノエミはベラの許可を得たうえで、ヤニにもそのディスクを貸している。ヤニがそれを望んだわけではなく、受付のバイトという、デスク作業ばかりになる彼の気分転換になればと思ってのことだ。
なので、ヤニは店には一度も来たことがないものの、ベラの歌をまったく知らないというわけではない。
「した」とベラが答える。「そのうち上に渡るかも。でも渡らないかも」
「どっちだよ」
「気まぐれだからね、私。なんでもかんでも放り込んでるわけじゃないから、渡るとしてもいつになるか」
「めんどくさい奴だな」




