○ So Yesterday
翌日、金曜日。
ヒラリーはキーズ・ビルの地上二階にある一室の白いドアをノックした。返事があったので、彼女はドアを開けた。次の瞬間、なんだかよくわからない衝撃を受けた。
少し縦長になったその部屋には、壁に沿うようコの字にデスクや棚が並べられ、たくさんの機材やファイルがあった。中心部分には白い長テーブル四つが、まるでひとつの大きなテーブルを作るよう置かれている。そこにはミッド・オーガスト明けにゼスト・エヴァンスに置いてもらうCDの歌詞カードサンプルと、なぜか皿に乗ったサンドウィッチやドリンクの類が食べかけ、飲みかけの状態で放置されていた。ドアの正面、部屋の奥ではいくつかのPC画面の前、ヤニとベラがそれぞれチェアに座っている。
「きたきた」と、振り返ったベラが言う。「ごめん、すでにはじめてる」
「ううん、いいの」ドアを閉め、ヒラリーは手に持っていた白い紙袋みっつを見せた。「これ、差し入れ。クッキーよ。姉が友達と旅行に行っててね、そのおみやげにって買ってきてくれたの。ベラと相談して、こっちの友達と分けてって」
「あんた、私の友達だっけ」ベラはヤニに訊いた。
「そんな覚えはないな」と彼が答える。
ヒラリーはぽかんとした。「え」
ベラが彼女に言う。「あ、こないだのはね、そういう意味じゃないのよ」
なんのことだと彼が訊いた。
「さっき話したじゃない。一部のバンドの奴らが、あんたのことをああだこうだ言ってるって」
「ああ」
今度はヒラリー、ぎょっとした。「話しちゃったの!?」
「だいじょうぶよ。私と一緒で、コレはそんなの気にしないから」
「“コレ”言うな」
ベラは無視した。「そのね、バンドの奴らがあんたのことなんか言ってた時に、私の前で私の友達の悪口言うなって言ったの。やさしーよね、私」
「ヒトをダシにするなよ」
彼女が笑う。「あれ、ばれた」
「っていうかそもそも、お前とヒラリーだって友達なのか、微妙なとこだよな。音楽がなきゃぜんぜん気合わないだろ。ヒラリーが性悪なお前についてけるはずないし」
「それもそうね。そっちか」
「そんな!」ヒラリーが割って入った。「ベラは私の友達──」声をあげるとこではないと気づき、勢いを落とす。「──です」
まさかの反応に、ヤニは少々対応に困った。「うん、いや、知ってるけど。ごめん、冗談」
予想外だった。エイブたちとベラはよくこんなやりとりをしているが、まさかヤニまで本人を目の前にして、冗談でそんなこと言うとは。気づけなかったことに、ヒラリーは顔を赤くしてうつむいた。
「とりあえず、さっさと終わらせよ」彼がPC画面に向きなおる。「なぜかランチ中断してるし」
「再開したらもう、ハムタマゴばっかり食べるのやめてね」そう言って、ベラはヒラリーを呼んだ。「突っ立ってないで来て。私のありがたい手作りサンドを食いながら細かいデザインのこと話してたんだけど、そのうちモメちゃってね。どっちがいいか結論出すために、ランチ中断して作業はじめちゃってるの。あなたの意見で勝敗が決まる」
よくわからない二人だ。先日ガエルも言っていたけれど本当に、仲がいいのか悪いのか、さっぱりわからない。
ヒラリーは苦笑った。「ええ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日曜の夜、ブラック・スターのメインフロア。
拍手の中、キュカとエルバがステージに立った。うたうためではない。ミッド・オーガスト明けに発売するヒラリーのCDアルバムの宣伝と、それに伴うベラ考案のちょっとした遊びのためだ。
「はいはーい、注目! 今からちょっとしたゲーム、するよー」マイク片手に、キュカが笑顔で客たちに言った。「スタッフが箱を持ってまわるから、ひとり一回、手突っ込んで中に入ってる紙を一枚引いてね」
エルバがあとを引きとる。「クジの中身は様々。ハズレもあるんだけど、アイスクリームのサービス券だったり、ドリンク一杯無料券だったり、料理ひとつ無料券だったり、センター街の映画館で使える三百フラム引き券二枚組だったり?」
キュカは続けた。「変なのもあるよ、この店に所属するバンドやスタッフのシングル男をひとり指名しての一日デート券とか──」女の客たちが騒ぎだす。「エルバとあたしと四人で半日ダブルデート券とか!」今度は男の客が歓声をあげた。
「でもメインの景品はこれ!」エルバが左手に持ったヒラリーのCDアルバムを高々と掲げる。「このエリアにあるゼスト・エヴァンスだけで、来週八月十六日から千フラムで発売が開始される、我らがブラック・スターのキュートな天使、ヒラリーのアルバム!」
ステージの脇、ヒラリーは照れ笑いをしている。
キュカがつけたす。「しかもこれ、限定ですごい特典がついてるの。ブラック・スターの小悪魔ベラが、ブラック・スターの裏側に潜入した──いや、潜入って言いかたはおかしいか。スタッフだし」
客席は笑いに包まれたが、気にせずエルバが続けた。
「そうそう、クローズの日のブラック・スターのとある一日をね、ベラがビデオに収めたのよ。スタッフ全員が映ってるわけじゃなくて、一部なんだけど。大学サボッて朝からスタジオに籠るバンドの練習風景とか、ちょっと気になるアイツのために厨房で料理練習してみるアノ子の映像とか、暇だからって夕方ここに来て、控え室でただ喋ってるだけのうちらとか」
またフロアに笑いが溢れる。
「もちろんヒラリーからのメッセージも入ってるよ」キュカが言った。「お客さんたちが普段見られない光景を録画した映像ディスクつき。これはマジレア。ゼスト・エヴァンスにも数量限定の初回特典はあるけど、もしかしたらその価値を大きく上回るかも!?」
ゼスト・エヴァンスでの初回特典は、ブラック・スターで使える五百フラム割引券五枚セット、もしくはブラック・スターの一部のバンドやスタッフたちが写っている集合写真だ。
「うちらスタッフでも希望すればクジを引けることになるんだけど、クジにはこの大当たりが二本入ってるからね」エルバが締めに入る。「ってことで、アルバムにも入ってるヒラリーの新曲を含む三曲を聴きながら、クジ引き大会、開始するよー!」
「勝てる気がしねえ」ステージ脇、ベラの隣でベンジーがつぶやいた。「なんだこれ。大々的すぎだろ」
マーヴィンは遠い目をしている。「発売日、ずらしたほうがよかったんじゃないの、これ」
ウェル・サヴァランとヒラリーのアルバムは、どちらもゼスト・エヴァンスのみで販売する。勝負ということだったので、発売日を同じにした。
「うまいやりかたしてるよな」ルースが言った。「レア価値がかなり高まってる。なんでこの店の裏側映像なんて特典がついてんのか、本気で謎だし」
ベラは笑う。「持ってるコネ、ぜんぶ使って売るって言ったじゃない。できることはぜんぶやるの。あとは土曜の朝、ゼスト・エヴァンスで宣伝用にカード作って終わり」
そんなやりとりの傍ら、キュカとエルバに呼ばれたヒラリーは、拍手で迎えられながらステージに立った。二人がステージをおり、彼女がマイクを使って挨拶する。
「なんか、思ったよりすごいことになってるんですけど──」苦笑いながら言葉を継ぐ。「でも、嬉しいです。なにもかもが初体験で、新鮮で、すごく楽しんで作れました。リクエストをくれていたお客さんたち、協力してくれたスタッフのみなさん──そして誰よりも、ベラ」彼女のほうを向いて言う。「本当にありがとう。あなたと詞を書くのは、ほんとに楽しい。みんなで曲を作るのが、ほんとに楽しい。ここを知れてよかった。ここに来られてよかった。シンガーとして迎えてもらえて、本当に嬉しい。ほんとにほんとに、感謝してます」また客のほうへと向きなおる。「では、アルバムからの新曲──うたうのは、今日がはじめてです。これは、私の大切なヒトへ向けた曲。きっと、なんのことだかわかってくれると思う。聴いてください。“So Yesterday”」
涙をこらえたわ… がんばって
哀しみをこらえたわ… がんばって
忘れることにしたの
だってあなたは私を愛してくれてるから
昨夜大きな間違いを犯したあなた
そして私は許した… 愛してるから
なのにあなたはまだ気にしてる
私が無理をしてるって思ってる
私はとっくに立ち直ってる 立ち直ってる 立ち直ってる
だって
失った時間は取り戻せない そう知ってる
後悔には勝てないの
昨日のこと 昨日のことよ
立ち止まって振り返るよりも 私は前に進むわ
風を感じるでしょ 新しい一日だってこと
そんなに落ち込まないで
昨日のこと 昨日のことよ
あなたが一緒にいてくれるなら すべてうまくいくわ
私を知ってるつもりだった… でも違った
私を理解してるつもりだった… でも違った
そんなにヤワじゃないわ あなたが思うほどにはね
心配を拭いきれないって言うけど
それは私を信じてないってことなの
あなたのやさしさだってことはわかってる
でももう聞き飽きた
私はとっくに立ち直ってる 立ち直ってる 立ち直ってる
だって
失った時間は取り戻せない そう知ってる
後悔には勝てないの
昨日のこと 昨日のことよ
立ち止まって振り返るよりも 私は前に進むわ
風を感じるでしょ 新しい一日だってこと
そんなに落ち込まないで
昨日のこと 昨日のことよ
あなたが一緒にいてくれるなら すべてうまくいくわ
ほんとに私のことを思うなら 今すぐぜんぶ忘れてよ
長い人生 小さなことは気にしていられない
私は強くなる 涙はまだ見せないわ
申しわけなさそうな顔なんて 見ていたくない
ただあなたと一緒に 笑っていたいだけなのよ
私が気にしていないのに なぜあなたが気にするの
私はとっくに立ち直ってる 立ち直ってる 立ち直ってる
だって
失った時間は取り戻せない そう知ってる
後悔には勝てないの
昨日のこと 昨日のことよ
立ち止まって振り返るよりも 私は前に進むわ
風を感じるでしょ 新しい一日だってこと
そんなに落ち込まないで
昨日のこと 昨日のことよ
あなたが一緒にいてくれるなら すべてうまくいくわ




