○ Anger
その日の昼、ベラはヒラリーと一緒にファイブ・クラウドにあるカフェの二階テラスにいた。レコーディングの前にランチに来たのだ。
ここは二階建てで、一階と二階、そしてテラスのすべてがカフェになっている。紫外線や直射日光防止のためか、夏だけはアルミテラスが設置されているものの、三方がビルに囲まれているからか、独特の雰囲気がある。
中学二年の時にはじめて訪れ、中学のあいだはそれほど来る機会がなかったけれど、高校生になってからはときどき、ここでランチをとるようになった。
「なら、七日」携帯電話を耳にあて、ベラはうんざりそうに頭を抱えていた。「みんなに訊いてみて。でも泊まりは無理」
電話越し、アニタが不満そうに答えを返す。「泊まっていいって言ってたのに」
「忙しいの。ミッド・オーガストが明けたらたぶん、一日くらいなら泊まっても平気だけど」
「ん──じゃあ訊いてみる。あ、あとね。ミッド・オーガスト前に、ジョンアが施設から帰ってくるって話。もしかしたら十二日かな」
「それは関係ない。ミッド・オーガストはたぶん無理だから」約束しているわけではないが、アゼルと一緒に過ごすつもりだ。「でもそれなら、ミッド・オーガストが終わってからでいいんじゃないの?」
「そうかもしれないけど──でも早く会いたい。みんな言わないだけで、ベラに会いたがってる。あたしもそう。会いたくなさそうなのはあんただけ」
「会いたくないわけじゃない。でも会わなくてもべつにいい。会いたいとも特に思ってない」本心だ。
「マジ切れる!」彼女は怒り任せに声をあげた。「トルベン呼んでやる」
トルベンというのは地元の同級生で、ベラのことを好きだったらしい男だ。
「べつにいーよ」とベラは答える。「でもアウニはやめてね、うざいから」
「わかってる。ヤーゴはゲルトやトルベンたちと相談する。カルメーラやエルミは?」
「カルメーラは私に会いたいとか思ってないでしょ。あいつにとっては私、どうでもいい奴だし。だからいらない。あとヤーゴもべつにいらない。エルミは呼ぶよ。あとでナンネを責められたら面倒だし、あいつもメール送ってきまくっててうざいから。それにエデのこと、発表してやんなきゃいけないし」
「あ、そーだそーだ」と、アニタ。「じゃあ泊まらない代わりに、朝から行っていい?」
「十時くらいなら平気」
「わかった。じゃあみんなに訊いてみて、また連絡する」
「メールにしてね、電話はうざいから」
彼女はまた怒った。「うざいウザイ言いすぎ!」
「だってほんとだし」ベラはあっさり返した。「あ、誰かに言ったらキレるけど、ひとつ報告がある」
「なに?」
「アゼルが帰ってきた」
「──え」
「夏休み前にちょっとだけ話す機会があったから、ゲルトにだけは言った。どっちを先にとかは考えてない。嫉妬しないでね、うざいから」また同じ言葉を繰り返した。「私としては、仕事とアゼルを優先したいの。なんとかヨリ戻したけど、放っとくといつまた消えるかわかんないから。でも今後、アゼルとどういうつきあいしてるかとか、喧嘩したとか別れたとか、そんなことは一切報告しない。ゲルトにだってそんなこと、するつもりない。踏み込んでこないで。あんたにもゲルトにも、他の連中にも関係ないことだから」
ベラは言いきった。春休み、祖母が亡くなってから、割り切ることにした人間関係を、アゼルが戻ってきたからといって、改善する気はない。
電話のむこう、少し沈黙してから、アニタが静かに口を開く。
「なんか──すごいムカつくこと言われてるのに、怒れないじゃん、そんなの──よかったって言いたいのに、そんな言いかたされたら、喜んでいいのか怒るとこなのか──」
ベラは静かに笑った。
「愛してるよ、アニタ。一生会わなくたって、あんたと私は変わらない。あんたが私をキライになっても、あんたがだいじってのは、私の中では変わらない。でも昔には戻らない。少なくとも高校を卒業するまでは。あんたは私抜きで、平和な高校生活送りなよ。約束はできないけど卒業したら、私の高校生活三年間のこと、イヤってほど話してあげるから」
沈黙したかと思えば、なぜかアニタは泣きだした。面倒だったので、ベラはなにも言わずに電話を切った。
「ごめん、お待たせ」と、電話をしまったベラがヒラリーに切りだす。
「ううん」彼女はパフェを食べている。「ごめんね、かなり時間とらせてる」
「ずっと思ってたけど、あなた、そうやって無駄にあやまる癖、どうにかしたほうがいい。“ごめん”を安売りしすぎ。これは私の問題。あなたが悪いんじゃない。罪悪感を感じるのは勝手だけど、ほんとに自分が悪いかどうか、もうちょっと考えてから“ごめん”て言いなよ」
ヒラリーはぎくりとした。すぐにあやまってしまう癖が自分にあることはわかっている。もちろん安売りしているつもりも、その言葉でその場をまるく収めようなどという考えが浮かんでいるわけでも、偽善者ぶっているわけでもない。ただ確かに、よく考えずにすぐ自分と結びつけ、あやまってしまうところはある。
そんな彼女の思考など知るはずもなく、ベラは自分のパフェを食べた。二階フロアへの扉は閉まっているし、この屋上にエアコンがあるわけもないので、アニタとの電話のあいだに表面はほとんど溶けてしまった。
「で、なんだっけ」
「ああ──もうひとつ、なにか曲が欲しいって話、かな」と、ヒラリー。
「あ、そうそう。“強さ”的なのが欲しい。最初にしたいから、明るくていいんだけど。“Rock This World”はちょっと違うし、あれはシメに持っていきたいから。なんかおもしろい話、ない?」
アルバム作りが本格化してからは、なにもかもが新鮮で、とても刺激的な日々を送っている。しかしそんな質問にすんなり答えられるようなことは、ヒラリーの中には浮かばなかった。
「どうかしら──」
彼女は考えようとしたのだが、ベラは続けて質問した。
「ジョエルとは? バカロッタの件が片づいてからのその後」
ヒラリーが苦笑う。「特に──ただ、ジョエルはいまだに気にしてるわ。みんなでいるとそうでもないんだけど、ふたりになると、気にしてるのがこっちに伝わってくるの。ベンジーだってピートだって、もう終わったことだって、忘れることにしてるのに」
その言葉にベラが反応した。ひらめいたのだ。
「“強さ”、書けるかもしれない」
彼女はきょとんとした。「え」
「早く食べて。今日のぶんのレコ終わらせて、そしたら詞書く。今日中に曲作って、明日レコする」
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翌日、キーズ・ビルの二階フロア。カウンターの奥の扉からガエルとヤニと出てきた。ヤニがA4サイズのクラフト封筒をベラに渡す。
受け取った彼女はカウンターの上、中身を出して並べた。隣ではヒラリーが、それらが出揃うのをドキドキしながら待っている。
並べられたのは、ヒラリーのファースト・ミニアルバムの歌詞カードのサンプルだった。実際に歌詞カードとして使われる紙に、彼女の写真が少々入っている。歌詞などの文字はまだ入っていない。
「すごい。完璧」と、ベラが言う。「ごめんね、いきなりデザイン変えるとかページ増やせとか言って」
「ほんとだよ」ヤニは不機嫌そうに答えた。「ギリギリまで待てとか言うし。来るたびにあれこれうるさいし。おかげで毎日徹夜だ」
「だから、ごめんて。でもいい仕事してくれた。まだ完成じゃないけど」
「歌詞やクレジットはベラとヤニが入れるんだよな?」ガエルが確認した。
「金曜日にね」と彼女は答える。「それができたら印刷。ケースに入れて、そしたら十六日、朝からゼスト・エヴァンスに並べる」
ヤニはまだ機嫌が悪い。「お前の言うこと聞いてると、かなり時間がかかる。ほんとに予定どおり進むのか」
「なんだかんだで間に合わせるのが私よ」
「そのなんだかんだにつきあわされるこっちの身にもなれよ」
ごめんなさいと言おうとして、ヒラリーは言葉を呑み込んだ。昨日ベラに言われたばかりだ。
ノエミが笑う。「でも歌詞カード用の機材、思いきって新調した甲斐があったわよね。もちろんヒラリーが美人だっていうのと、ベラの写真の腕がいいってのが大きいんだけど。どれもこれもいい写真だもの」
ヒラリーが微笑んでいる写真が載ったサンプルの一枚を手にとり、めずらしくもヤニは口元をゆるめた。
「うん、いい写真」
お世辞ではないとわかり、ヒラリーは真っ赤になった。
ガエルがヤニの肩を組む。
「お前、ホントいい仕事したな。あ、まだ完成じゃないけど。初仕事にしては上出来だ」
「どーも。褒められてもあんま嬉しくない。ベラが横からあれこれ言ってくるから、それに合わせてるだけだし」
「あら、この完成度よ。あなたのセンスあってのことじゃない」
ベラの言葉に彼はむっとした。「お前に言われたらほんとムカつく」
「なんでよ。褒めてるのに」
ガエルが呆れる。「お前たちはほんと、仲がいいのか悪いのかよくわかんないな」
「どうやったらよく見えるんですか」と、ヤニ。
「あの」ヒラリーが口をはさむ。“ごめんなさい”の言葉に代わるものが、やっとわかったのだ。「ありがとうございました。忙しいのに、いろいろ無理聞いてもらって──」
ヤニが答える。「いや、仕事だし。っていうかまだ完成じゃないし。それに無理言ってたのはベラだろ。自分の感性ばっか押しつけて」
ノエミはまた笑った。「でもベラの好みは私、好きよ」
「だからイヤなんですよ。ヒトが悩んでるところにいきなり来て、数秒考えただけで答え出す。試しにやってみたらほとんどはそれが正解。もう最初からお前がやれよみたいな」
なるほどと、ガエルとノエミはけらけら笑った。
「でもいい経験になった」彼が続ける。「やったことないのにいきなりやれとか言われて、どうなることかと思ったけど」
「ベラのご指名だもんな」ガエルはまだ彼の肩を組んでいる。「機材一新したんだから、イチから覚えなきゃいけないのは俺でも一緒だったさ。お前が覚え早くてよかったよ。こんな急ピッチじゃないけど、俺はアックスのがあるし。他のだってちらほらくるし」
「ま、よく知らないヒト相手にするよりは、このバカの相手のほうが気楽ではあったけど」
「バカってなんだ」ベラが言った。「金曜、昼前から空けといてね。一気に歌詞入れちゃうから」
「わかってる。その代わり飯、なんか買ってこいよ」
「じゃあデザート買ってきてね」
「なんでだ」
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赤白会議室。ヒラリーはウェル・サヴァランのメンバーに歌詞カードのサンプルを見せていた。
「え、お前の担当、あのバイトの奴だったん?」ベンジーが彼女に訊いた。
「ええ、そうよ」
「よくやれたな」
「うん?」
「いや、だって──」
彼が言葉を切ると、サヴァランのメンバーは次々に顔を見合わせた。
ジョエルが切りだす。「たまにしか上のスタジオ行かないから、俺らはあんま遭遇したことないけど。なんか無口でとっつきにくいとかって、みんな言ってる」
「つーか、暗くて態度悪いとか」ピートが補足した。
ルースも続く。「年齢不詳だって噂だし」
「リトル・オーナーが気さくだから、よけいあの暗さが気になるとか」と、ベンジー。
ヒラリーが反論する。「そんなこと──」
「うざい」エグゼクティブチェアに座り、煙草に火をつけたベラが口をはさんだ。「ガキじゃあるまいし、よく知らないくせに噂だけでヒトの友達のこと、あれこれ言わないでよ。年はあんたたちよりひとつ上、今大学二年。あんたたちと違って落ち着いてるだけ。誰かれ構わず馴れ合ったりしないだけ。毎日毎日くだらないことでバカ騒ぎするよう幼稚な奴じゃないってこと。サンプルの出来見れば、どれだけ丁寧な仕事してくれたかわかるでしょ。ヒラリー自身と曲のイメージをちゃんと考えてくれてる。こっちがこだわったぶん、むこうもこだわってくれてる。そういう奴よ。誰のことをどこでどう言おうと勝手だけど、私の前で私の友達の悪口言うのはやめて」
サヴァランは黙った。けれどそれだけでは終わらず、ヒラリーも彼らを咎めにかかった。
「そうよ。ヤニはすごくがんばってくれた。私がいない時も、何度もベラと相談して、二人でいくつものサンプルを画像にして、メールで意見を訊いてくれたりもした。はじめてでわからないことだらけなのに、仕事として引き受けたからって、このためにたくさん勉強してくれてたの。確かに普段はあまり喋らないし、最初はちょっと怖いかなとも思ってたけど──今は私、ヤニと一緒に仕事ができてよかったと思ってる。彼に担当してもらって、ほんとによかったと思ってる。みんながなに言ってるか知らないけど、そんなヒトじゃない。すごくいいヒトよ。やさしいの。噂を真に受けて悪く言ったりしないで!」




