* Telling
夕方、アパートメントの自室。
アゼルを招き入れたベラは、彼を寝室に連れていき、クローゼットから彼の昔の学生服を出した。中学を卒業した彼がくれた、ボタンのすっかりなくなった学ランだ。ベッドに腰かけているアゼルに見せる。
「着てみる?」
「着ねーよ」
彼女は笑った。胸ポケットに入っている、ずいぶんしわのついた紙と、出身校であるウェスト・キャッスル中学校の体育倉庫の古い合鍵も見せる。「こんなのもある」六月に彼が携帯電話番号を書いたメモも一緒だ。
アゼルは呆れている。「なにいつまでも置いてんだよ。さっさと捨てろよ」
「やだ」と答えてそれらをクローゼットの奥に戻す。「体育倉庫の鍵はね、もう使えないの。拡声器盗んだのがバレたあと、すぐ鍵変えられちゃったから──」
クローゼットの扉を閉めようとしたベラの腰に背後から手をまわし、アゼルは彼女の首筋にキスをした。
「もう捨てろ」
「だから、やだって言ってるじゃん。何度か捨てようとしたけど、学ランなんかどうやって捨てればいいかわかんなかったの。切り刻みたくなんてなかったし、でもおばあちゃんに見つかったら、なんか、アレだし」
「今だったら捨てられる」
「なんでそんなに捨ててほしいの」
「ストーカーっぽい」
考えたこともない言葉に彼女は笑った。後頭部を彼の肩にあずけて目を閉じる。
「“I Drove All Night”で書いたことは、ほんとよ。ときどき着て寝てたりしてた。今年のあんたの誕生日は、クローゼットの前で学ラン眺めながらケーキ食べた。フォールディングナイフで切り刻んでやろうかと思ったことはある。でもやめた。南京錠だって、壊してやろうと思ったことはある。でもしなかった。あんたが戻ってきた時に期待させて、今度はこっちから捨ててやるつもりだった。──でも、無理だった。復讐の道具だったはずなのに、けっきょくはこれにすがってた気がする。おばあちゃんの家に引っ越す時、大好きな音楽ですら捨てようとしたのに、なんだかんだ言い訳して──けっきょく、捨てられなかった」
彼女の髪に顔をうずめ、今度は耳の裏にキスをする。
「ようするにストーカーだろ」
「なんでもいい」腕の中、ベラはアゼルのほうに向きなおって首に手をまわした。「あんたが施設に入ったって聞いて、私の狂気的な部分、あからさまになった。あのナイフをブルに向けて、出てけって行った。ブルの目の前で、ベッドにあったクッションにあのナイフ、思いっきり突き立てた。ひとりになってから、ベッドのクッション六個、ナイフで刺して、中の羽をぜんぶ出してった。昔よく頭の中で再生してた映像みたいな行動を、実際にやってのけたの。血はなかったけど。私きっと、誰が思うよりずっとイカれてる。その時の羽、かき集めて今も持ってる。ベッド脇の床に、大瓶に入った羽があるでしょ、あれがそう。クッションはあんたが引き裂いた私の心。あの羽はルシファーが堕天する時に失くした羽。あんたに残ったのは、真っ黒に染まった羽だけ。そんなこと考えてた。またあんなふうにあんたが消えたら、今度こそなにするかわかんない」
普通なら引くだろうところなのに、アゼルは違う。「──だから、会わねえほうがよかったんだ」
キスをした。ベラの身体は抱え上げられ、それでもまだキスは続く。
彼が閉めたクローゼットの扉に背中が押しつけられ、ふたりは服越しに互いを感じた。
「夕食、作らなきゃ──」静かに息を乱すベラが言う。「ケイが来る」
アゼルは彼女の服の中に手を滑り込ませ、身体を撫でまわしながら、ベラへのキスを続けている。「知るか」
もう止まらなかった。お互いがお互いを求めた。
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ダイニングテーブルに用意された夕食を一足先にをつまみ食いするアゼルの姿を、リビングダイニングに入るなり目撃したケイは、当然のように呆気にとられた。それでも意識が現実に追いつくと、嬉しそうに彼のもとへ駆け寄った。
最初に予定されていた一年という予定を過ぎてからは、自分から訊かない限り、もしもアゼルが帰ってきたとしても、ベラはすぐには言わないだろうということは予測済みだったらしい。ただ、兄のマルコがすでにアゼルに会っていたことと、先日ベラも数ヶ月ぶりにマルコに会ったという、知らされていなかった事実には不満があったらしく、マルコに怒りを向けていた。
そんななので、ケイが来れば少しは手伝ってくれるかもしれないというベラの小さな期待は、あっさりと裏切られた。彼女がやめろと言うのも聞かず、二人はベラが出す食事を片っ端から味見と称して食べていき、彼女がテーブルに着く頃には、料理の半分近くがなくなっていた。
食事が終わっても彼らがあと片づけを手伝うわけはなく、ベラがハンナやティリーたちにもらった高校のキャンプイベントの写真を見ながら、ああだこうだと言っていた。顔は可愛いがベラより高いテクラの身長に、ケイは愕然としてみたり。
「で、あんたは高校、どうすんの?」リビングのラグの上、チョコレート菓子片手にベラがケイに訊いた。
「ホントの希望はお前と一緒んとこ。けど遠いしめんどくさい。テクニクス・サイエンスがいい気もするけど、点数的に無理な状態。ギリギリ確実なとことれば、キャッスル・ウィジンが正解な予感」
今度はアゼルが訊ねる。「マルコってどこ行ったっけ」
「反抗期真っ盛りだったからな。一応インディ・ブルーに入ったけど、すぐ辞めた。最初からそのつもりだったんだ。兄貴の行動、ぜんぶ親父たちに対する反抗だったし」
「どうせならもーちょいまともなとこ選んだほうが、ざまあみろの度合いは強かったような」
「いや、テクニクスだったかな、受けるつもりだったんだよ。けど試験の前日に喧嘩で捕まって、試験に間に合わんかった。インディ・ブルーは二次募集受けて」
「なるほど」
「そのくせオレには、インディ・ブルーなんか行くなって言う謎」
ベラが訊き返す。「行きたいの?」
「行きたいっつーか、確実に受かるじゃん」
「女少ねーぞ」コーヒーを飲んだアゼルが言った。「ワルばっかな印象あるけど、通信や夜間の奴も入れれば、二十代とかおっさんとかも混じってる。ワルがいるぶん根暗もいる。マルコみたいな短気タイプはホントに続かねー。半端に悪ぶってる奴とかいたらイライラすんだと。同期のツレであそこ行った奴、男は全員辞めてる」
「マジで? どんだけ短気?」
「女はあんま辞めてねーな。イジメはあるっぽいけど、バカ女と地味女が完全に別れてるっつー話」
ケイが顔をしかめる。「バカ女って、アレだよな。化粧くさくて香水くさい」
「だな」
「なんでこう、ちょーどいいのがいないんだろ」ケイは背後にあるソファにもたれた。「素が可愛くてちょっと化粧して可愛くて、ベラみたいにいーニオイがすんの。地味でも男好きの派手バカでもなくて、けどおもろいの」
「今こいつ、普段かなりケバくなってる」
「でも、素知ってるし。今年入ってからだんだんケバくなってった。けどベラは化粧くさくないし。プラージュで知り合った奴に会っても、なんかな。派手なほうはぜんぶ一緒に思える」
アゼルは呆れた。「意外とわがままだなお前。マルコ以上じゃねえのか」
「しかも身長を気にするし」と、ベラがつけたす。
ケイは笑った。「変な意味じゃなくて、オレの中で女って言ったら、いちばんにベラが出てくるんだもん。だからなんか、できればベラに近いのをって思う。顔や身長はともかく、性格的にこんな変なのいるわけないんだけど、それでもおもしろさ求めたら、なかなかこれって女がいない」
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アパートメント一階、パーキングスペース。
車の隣に立つアゼルにケイが訊いた。「今度ベラと兄貴と、四人で飯行ける?」
「それはそいつに訊けよ」
そう言われたので、ケイは彼女のほうを見た。
イヤだと答えたくてもできるがわけがないので、ベラは返事を濁した。「それはマルコに訊けばいいんじゃないかと思います」
彼が怒る。「なんだよ二人して!」
アゼルは運転席に乗ってエンジンをかけ、窓を開けた。ケイに言う。
「マルコに訊いてみろ。つってもこいつは高確率で忙しいって返すからな。わがままにも程がある」
ケイはまた顔をしかめた。「ベラの家じゃなくて、アゼルんとこって言ってもいい? んで夜帰る」
「いいけどなんもねーぞ。ゲームも古いのしかないし」
「持ってく!」
「そのうちな」
アゼルは帰った。
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再び自室のリビング。
ソファに座ったベラは、ケイに呆れたかと訊いた。
彼はソファベッドに腰をおろす。「なんで?」
「戻らねーとか言ってたのに」
「いや、ぜんぜん」あっさりだ。「むしろさっさと戻ってきてくれとか思ってたし。ヤだもん、お前がアゼル以外とつきあうのとか」
意味がわからない。「つまり私が戻らないって言ってたのは、まったくと言っていいほど信用してなかったと?」
彼は笑った。「半分そうかな。いや、違うか。あの頃はあの頃で、本気でそのつもりだっただろ。けどそれとは別に、アゼルを越える人間なんかいないだろうし、お前が他の男を好きになるわけなんかないってのは思ってた。他の女ならさっさと忘れて次捜すんだろうけど、お前はそういうタイプじゃないし」
図星に図星が重なっている。図星という星に押し潰されそうだ。
「捜すって、なんなんだろうね。考えたこともなかった気がする。なんでああやって次を次をって前向きになれるのか、ほんとにわかんない。告白されてキライじゃないからつきあうとか、もうなんか、恋愛ってのを知っちゃったら、いろいろさっぱり」
「アゼルとはなんだっけ。好きとかからじゃなかったんだっけ?」
彼女が答える。「つきあってもいないのに興味半分嫌がらせ半分でキスされて、それが三回続いて、よくわかんないままはじまりました」
彼はまた笑った。「軽いな。そんなイメージないのに、なんか軽いな。兄貴みたい」
そう言われてはっとした。「ほんとだ。マルコみたい。確かに軽い。今思い出した。私、はじめてアゼルと会ってからしばらく、わりと仲悪かった気がする。っていうか第一印象が背の高い軽い男ってので、しかもなぜかファーストキスを奪われて、なんとも思ってない自分と、同じくなんとも思ってないあいつにムカついて、いちいちあいつにキレてた気がする。避けたいのにブルたちがいたから避けきれなくて、ふたりきりになるの避けてたのに避けきれなくて、みたいな。最初、わりとキライだった気がする」
詮索嫌いのベラからアゼルとのことをここまで聞くのははじめてだった。ケイはけらけらと笑っている。
「オレが知ってるのは、フツーに仲いいとこだけだからな。どんだけ喧嘩したとかしてないとかはそんな知らねーけど、なんなら普段から言い合ってる感じだったし、むしろ目立つ喧嘩がなかったぶん、アゼルが戻ってきたら、なんだかんだで戻るんだろうなとは思ってた」
外側からはそんなふうに見えているらしい。中身はもっと複雑なのに。
話はベラの忙しさがどうこうという方向に向かった。
「誰にも言わない?」彼女が言う。「っていうか、マルコは知ってるみたいだけど。アゼルも知ってるけど」
「兄貴も? なに」
「うたってる。とある店で」
ケイはぽかんとした。「は?」
「音楽聴きながら食事をする店ってのがあってね、そこのシンガーやってる。スナックとかじゃなくて、客もスタッフもバンドも二十代が中心で、ステージに立ってポップスだったりロックだったりをうたってる」
「マジで? 目立ってるってこと?」
「そーね。わりと」
彼は勢いよくソファをおりた。
「行きたい!」
「無理。十七歳未満立ち入り禁止」
あからさまに愕然として見せる。「マジ?」
「大人の店だもん」
怒った。「お前まだ十六じゃん!」
「シンガーは別よ。あ、でも曲はいくつか聴かせてあげようか。あんたの歌の好みはイマイチわかんないけど」
「え、オリジナル? 作ったってこと?」
「そう」
さっきまで怒っていたはずなのに、ケイは再び笑顔になった。「聴く!」




