* One Kiss From You
うたいきったベラを拍手が包む。ノリのよさなのか、彼女の性格の悪さに感服してなのか、それは彼女にはわからなかった。そのままの勢いでステージにヒラリーを呼ぶ。
「ここでうたうの、もう慣れた?」
マイクを使い、ヒラリーが答える。「そんなことないわ。新しい曲ができるたび、ドキドキよ」
「あら。私は今、ひやひやしてる。今日限りだって言っても、こんな歌うたうことになって、ほんともう、どうしようって。今みたいな曲うたったあとにこれだもん。なにカマトトぶってんだって不気味になるでしょ」
「ええ!?」
客たちはまた笑った。
「あ、そうそう」
ベラは客席でメルヴィナたちと一緒にいるベンジーを呼んだ。ぽかんとした様子の彼が来ると柵越しに、すでにキャップをかぶっている彼の頭に自分のキャップをかぶせた。
「私の友達へのプレゼント。あんたにじゃない。で、ひとつ忠告」マイクのスイッチを切り、柵から身を乗り出してベンジーに言う。「相手の気持ちがわからないからって躊躇してると、他の男にとられる。もしくは根性なしだって呆れられる。この曲のヒントをくれたのはあんた。一応礼言っておく。ありがとう」体勢を戻してマイクのスイッチを入れた。「もういいよ、去れ」
わけがわからないまま、ベンジーはベラのキャップを持ってメルヴィナたちのところに戻った。
「なに言ったの?」ヒラリーが訊いた。
「そのまんまよ。いろいろありがとうって」
「ああ!」ヒラリーもわかったらしく、彼女もベンジーに声をかけた。「ありがとう、ベンジー!」
「ええ!?」
よくわかっていない客たちも笑う。
「歌詞カードは用意してあります。なんなら探してください」そう言って、ベラはヒラリーに続きを促した。
彼女が曲紹介をする。「私たちがこれをうたうのは、おそらく今夜だけです。では聴いてください。“One Kiss From You”」
あなたからのキスを待ってるの
きっとかけがえのないものになるわ
そして絶対に忘れないの
いつだって週末を楽しみにしてる
限られた時間の中での小さな約束
私のすべてを手に入れるには若すぎるって思ってるのね
でも今はこの気持ちを手放したくない
見つめられると
とろけそうになる
この曖昧な距離がもどかしい
あなたってじらすのが上手ね
あなたからのたったひとつのキス
そしてなにかがはじまる
今以上にあなたのことが知りたいの
私が持つ空に
あなたは太陽をくれる
あなたのその腕で強く抱きしめられてみたい
この恋の行く末を見届けさせてよ
あなたからのキスが欲しいの
触れそうで触れない
そんなぎりぎりの距離を楽しんでる
まるで進歩のないゲームみたい
だけど悪い気はしないわ
見つめられると
とろけそうになる
この曖昧な距離がもどかしい
あなたってじらすのが上手ね
あなたからのキスを待ってるの
きっとかけがえのないものになるわ
そして絶対に忘れないの
あなたからのたったひとつのキス
そしてなにかがはじまる
今知ってる以上にあなたのことが知りたいの
私が持つ空に
あなたは太陽をくれる
あなたのその腕で強く抱きしめられてみたい
この恋の行く末を見届けさせてよ
あなたからのキスが欲しいの
拍手に包まれながらステージをおりたベラとヒラリーは、数メートル先の光景にこれ以上ないくらいに唖然とし、かたまった。
ロッタがジョエルにキスをした。他の客たちはともかく、メルヴィナとタバサ、フィービーも、ウェル・サヴァランの連中も、予想外のキスを受けたジョエルも当然、かたまっている。
いち早くその状態を脱したのはベラだった。彼女には、ロッタがこちらの姿を確かめてから、ジョエルにキスをした気がした。
それはともかくとして、イリヤだ。ドリンクカウンターのほうを見やる。彼はいない。視線を戻す途中でその姿に気づいた。なんでもなさそうな表情ではあるが、客席のあいだを抜けてロッタたちのほうへと向かっている。
やっとジョエルから唇を離したロッタはほんの数秒、真剣にも思える表情で唖然とし続けるジョエルを見つめた。その次の瞬間には、イリヤが彼女の腕を掴んでいた。そしておそらく無言のまま、引きずるように彼女をフロアから連れ出した。
マーヴィンがジョエルを促す。彼ははっとしてヒラリーの視線を受け止めたが、表情は一瞬にして青ざめた。
ベラの頭の中には疑問が浮かんでいた。
このゲーム、いちばん悪いのは誰なのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メルヴィナたち三人とマーヴィンをメインフロアに残し、ベラたちは地下二階へと向かった。赤白会議室に入ったとたん、ジョエルは必至になってヒラリーに弁解した。
「ただのウサ晴らしだろ」壁にもたれて腕組みをしたルースが言う。「ベラに男を奪られるとか、奪られたとか思って」
「同感」ベラも言う。「気にすることじゃない」
「いや、気にしないってのは無理だろ」ベンジーが言った。
ルースの意見は変わらない。「ベラの話に影響されたんだとしたら、勘違いにも程がある。ジョエルがいつお前に気ある素振り見せたんだよって話」
少々気まずそうな様子でベンジーが切りだす。「素振りって、相談に乗ったとかじゃ、そんなことにはなんないよな」
「あ?」
「だから、ロッタの奴、最近ジョエルに相談してたんだよ。オトコとうまくいってないとか、ベラと怪しいとか」
「怪しいって、話してただけだろ? 今日はともかく」
彼の言うことは的確だった。「今日はともかくね」と、ベラ。
「今日のはかなり怪しかった」
「それはどうも」換気扇とエアコンのスイッチを入れて煙草に火をつけ、彼女はエグゼクティブチェアにもたれた。「アドレスと番号交換して、なんならキスもされましたけど。“For You I'll Die”や“One Kiss From You”の詞を見たうえ、“Sk8er Boi”があったから。むこうが勝手に勘違いしただけよ。おもしろいからちょっと合わせてみた部分もあるけど。誰もあいつに惚れたなんて言ってない」
ベンジーが声をあげる。「それじゃねーか!」
「は?」彼女は彼を睨み返した。「そもそもあいつに近づけっつったのは誰? 気に入らないから探り入れろって言ったのは誰? それがなきゃ、話すことはまずなかったわよ。話したとしても、他の客やスタッフみたいに、適当にあしらって終わり。私が相手にしてたのはイリヤだけ。ロッタを相手にしてたのはイリヤとあんたたちでしょ。私はロッタと話すにしても、その気はないってはっきり言った。責任をこっちにまわさないでよ」
「もういい!」チェアに座ってうつむいたまま、ヒラリーが声をあげた。脚の上の拳にめいっぱいの力を込める彼女は、泣かないようにと必至になっている。「──お願いだから、喧嘩しないで──」
ジョエルにその気がないことは、ヒラリーにもじゅうぶんわかっている。勝手にされたことだ。ジョエルには気持ちがないのだから、気にすることではない。
だが頭ではわかっていても、受け入れるには時間が必要だった。
ベラが溜め息をつく。
「とりあえずあんたたち、ちょっと出てて」サヴァランの連中に言った。「ジョエルも。五分でいいから」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
冷蔵庫から開封済みペットボトルのカフェオレを出して飲んだベラは、まだうつむいたままのヒラリーに切りだした。
「中学一年の時、つきあってた男がいるのよ」
彼女はゆっくりと顔を上げた。視線を合わせないままベラが続ける。
「相手は中学三年。夏につきあいはじめて、三月に卒業だった。その卒業式で、モテる男たちのボタンを買い取る競りがあってね、伝統だったらしいんだけど。礼のつもりなのか、競り落とす額が一万フラムを超えたら額にキス、二万フラムを超えたら頬にキス、三万フラムを超えたら唇にキスするっていうルールがあった。私がつきあってた男は一番人気で、第一ボタンと第二ボタンで二万を超えて、それぞれを競り落とした女の頬にキスした。そこまではまだよかった。でも、第二ボタンがまさかの三万フラム超え。競り落とした女の唇にキス、しなきゃなんなかった」
「──それで、どうしたの?」
ベラは苦笑った。「つきあってた男はキスするのがキライだったから、すごく躊躇してた。でも私はしろって言った。ゴネすぎるとかっこ悪いとか言って。そしたら、した」
「──イヤじゃ、なかったの?」
「さあ」と彼女が答える。「よくわからない。私には文句言う権利がなかったの。その少しまえ、同期の女が私の友達にふざけたことしたから、私はムカついて、その中の女のひとりがつきあってた男にキスした。そんなにあれこれ噂をばらばくのが好きなら、このことを私のオトコに報告すればって、嫌がらせに。私がつきあってた男はそれを知っても怒らなかった。でも、私はその競りのルールを知らなかったから、さすがにちょっとムカついて。つきあってた男とボタンを競り落とした女がキスしたあと、私は競りに参加すらしてないのに男の前に立って、そいつにキスした。競り落とした女は、私の存在を知ってて喧嘩売ったも同然だったからね、それがいちばんの仕返しだった」
ぽかんとしたものの、ヒラリーは思わず苦笑った。ベラが続ける。
「私はかなりズレてるからともかく、普通ならそういうのを納得するのにちょっと時間がかかるってのは、なんとなくわかる。でもね、気持ちがなきゃ、たいして意味ないと思う。フレンチキスなんて特に。だからかな、私はわりと、誰とでもキスする。したくてしてるわけじゃないけど、してくれって言われたら、気持ちがなくても簡単にしてたことはある。でもほんとに意味があるのは深いのだけだと思ってるから、そこだけ守って、守らせればいいよ。なんなら除菌消臭スプレー貸してあげるから、ジョエルの顔に吹っかければいい。それで今度もしロッタがまた来たら、ロッタの目の前でジョエルに気持ちのあるキスして、見せつけてやればいい」
弱々しくもヒラリーは笑った。
「除菌消臭スプレーはさすがに、まずいと思うけど──」背筋を伸ばし、気持ちを持ちなおした。「でも、うん。そうする」
ベラも微笑みを返す。「ジョエルたち放置して、なんかうたいに行こうか。そのあと、あなたがけっきょくうちに泊まるなら、浮気男の詞を書く」
彼女は笑顔で乗った。「うたう! 行く! 書く!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あの女、マジでムカつく」再びのメインフロア、ベンジーを介してベラからもらったキャップをかぶっているメルヴィナが言った。そしてはじめて話すヒラリーにあやまる。「ごめんね。次会ったら。ってゆーか明日にでも、ちゃんとシメ──怒っとくから」言いなおした。
ヒラリーが答える。「そんな、いいわよ。気にしてないから」
「なにもしなくていい」ベラもメルヴィナに言った。「こっちには歌がある。彼女がまたここに来るようなら、歌で喧嘩買う。なにも知らない人間にはわかんないだろうけど、ロッタにわかる内容で曲を作る。ヒラリーが無理でも、私がやるからだいじょうぶ。むしろ普通にロッタの相手して、ヒラリーも怒ってないってこと伝えて、来週か再来週あたり、また彼女を連れてきてほしいくらい」
「おお。マジか」
「んじゃ、そーするべ」タバサが言った。「ベラのことだから、すげー曲作るよきっと」
「間違いない」と、フィービー。ヒラリーに言う。「やっと話せた。実はわりと興味あったんだよね、ジョエルのカノジョ。ジョエルもベンジーも、ってゆーかみんな、近づけさせないよーにすんだもん。うちらがこんなだから」
ヒラリーが苦笑う。「ごめんなさい、ずっとまえから知ってたのに、挨拶できなくて」
「やん」フィービーは彼女にハグをした。「超可愛い。マジ天使」
タバサが呆れた表情を向ける。「こらこら。いっこ先輩だっつの」
「あ、そーいやそーだ」
「ていうか」ジョエルが口をはさんだ。「ヒラリー、マジで今日、ベラのとこに泊まる気? 今日はもう──」
「やだ」彼女はつんとした態度を返す。「ベラのとこで詞書くんだもん」
メルヴィナたちはけらけらと笑った。「拒否られてやんの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数時間後、アパートメントの自室。
順番にシャワーを浴びたあと、ベラはヒラリーと一緒に、リビングのテーブルにノートやノートPC、辞書を広げて作詞をはじめた。時刻はすでに、午前零時を過ぎている。
「訊いていい?」ヒラリーがふいに切りだした。「今つきあってるヒトのこと」
彼女は訊かないタイプだと思っていたので、ベラは少々悩んだ。が、まあいいかという結論に達した。
「誰にも言わない?」
「言わない」
その言葉を、ベラはあっさりと信じた。「スタッフたちにはずっと、つきあってる男がいるって言ってた」左手の薬指にある指輪を見せる。「でも実際は、ずっといなかった。一年半。幹部とケイトとキュカとエルバだけには、そんなのいないっての、話してたんだけど。一年半前に別れた男は、今日店で話した、中学一年の時につきあってた男。いろいろあって、そいつは更生施設に入ったのね。だから別れた。でも一ヶ月前、そいつが戻ってきた。なんだかんだでけっきょく、ヨリを戻した。でも今つきあってる男がいるってのは、ディックとサイラス、あと彼の友達のカレルヴォしか知らない」
ヒラリーがゆっくりと首をかしげる。
「──つまり、今はつきあってるヒトがいるけど、ディックたち以外は、つきあってるヒトがいないと思ってるってこと?」
「そうね。苦手だし面倒なの、話すのが。みんな恋愛の話したがるけど、私はしたくない。だってちょっと話す程度じゃ、わからないじゃない。自分が相手とどんな関係を築いてるかとか、どれだけ相手を好きかとか。なにでどれだけ傷ついて、どんな思いしたかとか。どうせわかりっこないんだから、だったら最初から話さなきゃいいって思ってる」
彼女は理解しているような、できていないような表情をしている。「詮索がキライっていうのは聞いたわ。でも、詞は書くのよね。そこが不思議」
ベラはきょとんとした。「不思議? なんで?」
「普通は、逆だと思うの。誰かになにかを話すっていうのは、話す内容を自分で選べるじゃない。でも作詞になると、想像か実話かはともかく、その詞のストーリーに対する自分の考えも書くことになるでしょ。もちろん嘘を書くこともできるんだろうけど──自分のことを話すのが苦手なのに、作詞で自分の本音を曝け出せるっていうのが、他のヒトとは違う部分な気がする」
ベラにはよくわからなかった。よくわからなかったので、「ごめん、よくわかんない」と答えた。
ヒラリーが苦笑う。「ごめんなさい。私もよくわからない」
二人は苦笑うしかなかった。苦笑うしかない状況が、二人をさらに笑わせた。わけがわからないまま、彼女たちは数分間、涙が出るほど笑った。
そこにベラの──アゼルにもらったほうの携帯電話が鳴った。パッシからだ。彼女は応じた。
「まだ起きてるか? ヒラリーも?」
「起きてるけど」
「今から迎えに行く。下で待っとけ」
ベラはぽかんとした。「は? なんで」
少々焦った様子で彼が早口で説明する。「ジョエルとベンジー、あとルースとピートが、ボコボコになって店に戻ってきた。特にジョエルとピートの怪我がひどい。まだ救急車も警察も呼んでないけど、あいつらも呼ぶなっつってるけど、病院は行ったほうがいいと思う。行くとしたら、ヒラリーも一緒のほうがいいだろ」
状況が理解できない。が、少々パニックになっている彼の話をこのまま聞くより、さっさと下におりて店に行ったほうが無難な気がした。
「わかった。行く」




