* Dangerous To Know / Alone
ベラは完全にキャラクターを切り替え、サングラスをディックに預けてステージにあがった。バンドのボーカルから受け取ったマイクをスタンドにセットする。曲が流れはじめた。ケイトやキュカ、エルバたちを含め、客席からはベラを迎える拍手が沸き起こったが、彼女はちらりと微笑みを返しただけで、すぐにうたいはじめた。
本当は私がなにを見ているのか
この笑顔の下になにがあるのか
心の底になにを隠しているのか
そんなことは誰も気にするべきじゃない
どれほどの嘘を重ねてきたか
どれほどの影を踏んできたか
どれほどの鏡を壊してきたか
私の口紅を拭ったりするべきじゃない
あなたが本当に望むなら
すべてを差し出すわ
あなたの愛に勝るものなどないことはわかってる
だけど私の中のなにが嘘で
私の中のなにが真実かなんて
訊かないで
それを知るのは危険なことなの
どこも安全じゃない
逃げ場なんてない
救いなど存在しないから
誰のことも信じるべきじゃない
誰が本当の加害者で
誰が本当の被害者か
この結末を予測できたのは誰
最後に立ち上がるのは私かもしれない
あなたが本当に望むなら
すべてを差し出すわ
あなたの愛に勝るものなどないことはわかってる
だけど私の中のなにが嘘で
私の中のなにが真実かなんて
訊かないで
それを知るのは危険なことなの
薔薇の香りで包み込み
あなたに至福を与えられる
だからいつまでも夢を見続けていて
口紅の上からキスをして
あなたが本当に望むなら
すべてを差し出すわ
あなたの愛に勝るものなどないことはわかってる
だけど私の中のなにが嘘で
私の中のなにが真実かなんて
訊かないで
訊かないでいて
それを知るのは危険なことなの
曲が終わると客は拍手を送りかけたが、隅で機材を操作するスタッフがすぐにステージ上の照明を落としたため、それはざわつきに変わった。
その一瞬の隙をつき、ベラは感情、キャラクターを完全に切り替えた。マイクをスタンドからはずし、ギターを抱えってステージに上がったディックからサングラスを受け取る。すぐ次の曲が流れ、ディックはそれに合わせてギターを演奏しはじめた。同時に照明が戻される。
サングラスを胸元にかけると、自分が体験した呆れ交じりの怒りを思い出しながら、彼女は“Alone”をうたいはじめた。
なにが言いたいの?
私に喧嘩売るつもり?
そのまえに名前を教えてくれる?
覚えるつもりなんてないけど
何度言えば
わかってくれるのかな
あなたじゃ私に勝てっこない
甘く見ないでよ
いい加減わかるべき
勝敗は目に見えてる
誰かに頼ってるあたりがもうダメ
ひとりじゃ戦えないんでしょ
今すぐ逃げ出したほうがいいわ
こっちが本気になるまえにね
私はいつだって
ひとりで戦い抜く覚悟ができてるんだから
その可愛い口を閉じたほうがいい
痛い目に合いたいわけじゃないでしょ
ありきたりな言葉じゃ
私を傷つけることはできないの
明らかにくだらない女
彼が自分の純粋さを奪ったんだって言うけど
見当違いもいいとこ
ぜんぶ自分で選んだことでしょ
いい加減わかるべき
勝敗は目に見えてる
誰かに頼ってるあたりがもうダメ
ひとりじゃ戦えないんでしょ
今すぐ逃げ出したほうがいいわ
こっちが本気になるまえにね
私はいつだって
ひとりで戦い抜く覚悟ができてるんだから
私の物を壊すとか 友達を傷つけるとか 彼を奪うとか そんなんじゃ
私の心は動かせない 私を怒らせるだけよ
私を打ち負かしたいって思うなら
やるべきことはただひとつ 私の息の根を止めることだけ
やれるものならやってみなさい やってみなさいよ
あなたにできるなら、ね
いい加減わかるべき
勝敗は目に見えてる
誰かに頼ってるあたりがもうダメ
ひとりじゃ戦えないんでしょ
今すぐ逃げ出したほうがいいわ
こっちが本気になるまえにね
だって私はいつだって
ひとりで戦い抜く覚悟ができてるから
最後のサビが二度繰り返された時には、ベラは再び、フロアの空気を完全に支配していた。“Dangerous To Know”を忘れさせる勢いだったかもしれない。音楽のノリに合わせて少々子供っぽく飛び跳ねたり手を挙げたりしつつ、それでいて挑戦的なその歌詞は、客たちの中でも特に、女性たちの心を掴んでいた。その結果、“Dangerous To Know”で送り損ねた拍手のぶんもあるかもしれないがそれでも、“Brick By Boring Brick”をうたい終えた時と同じくらいの拍手と歓声を貰った。彼女自身も相応に満足していた。
ちなみに意識しているわけではないのだが、ベラはステージにあがる時、たいていは廊下から見て右、ドリンクカウンターのあるほうからステップをのぼる。けれどどういうわけか、うたい終わると、反対側からステージをあとにする。最初に三曲続けてうたった時も、今もそうだ。
ディックに頭を撫でられながらステージをおりると、今度はキュカとエルバが駆け寄ってきて、キュカはベラにハグをした。散々褒めちぎったあと、できるかわからないけどやってみたいと言われ、ベラはボスであるディックを紹介した。彼は明日の昼間は暇かと彼女たちに訊き、暇だという答えをもらったので、十五時までにという前提で面接の段取りを伝えた。着いたら連絡するということで、ベラが彼女たちと電話番号、メールアドレスを交換する。彼女たちは今年二十四歳になるらしい。二人は夕食を食べたあと、カラオケでデモを録音してくると言って店を出た。
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「なんでオレ、ベースなんかやったんだろ」ガラス戸の傍らで壁にもたれたマトヴェイがつぶやいた。
「私が知るわけないじゃない」と、ベラが答える。
「違うんだよ。ギターはさ、誰でもやってるだろ。だからベースを極めたかったんだよ。好きなアーティストも、ベースがかっこいいんだよ。んで、極めたよ。ギターそっちのけだよ。弾けるけどさ。その結果がこれだよ、特にサポートにも必要とされず、入口で見張りだよ」
彼女は無視した。「ねえ、このスタンプ。私も手の甲に押したら、酒もらえるかな」
「そんなわけないだろ」
またも会話を無視する「私はさっき、厨房も手伝ったわよ。ピークだ! やばい! 手伝って! とかで。注目集めすぎたせいで、さすがにウェイトレスをやるのはまずそうだったから拒否したけど。そのあとドリンクバーも少々手伝いました。酒飲んでやろうとしたらバイトの大学生に怒られました」
彼は笑った。
「無線で聞いた。あいつ、みんなにチクッてた。みんなアップルジュースの中身に気づいてないんだよ。知ってるのは幹部メンバーだけ」
「いいでしょ、あれ。まさかくれると思ってなかったけど。泡がなくなるまで待たなきゃいけないのがちょっと面倒だけど」
「冷蔵庫に放置してたら勝手に消えてた。振ってやろうかと思ったけどさすがにやめた」
「やったらキレるわよ」
「デトレフがそのうち、パッシにやってやろうかって」
「なら私はデトにする」
「バレバレだろ」
「ならあなたに」
「言われて警戒しないバカがどこにいる」
ふと、ベラの頭にひとつの考えがよぎった。
「おもしろいこと思いついた。私が客の女をひっかけて、アップルジュースの容器に入ったビールをあなたたちに渡してもらう。あなたたちはアップルジュースだと思い込んで飲む。吹き出す。女にかかる。女がキレる。どうよこれ」
「どうよこれって、だから言われたら警戒するっつーのに」
「でもおもしろいよね、実際に起きたら」
「吹き出したりしないから美人にしてくれな」
「美人とか美人じゃないとかはわからないから無理だって。ハンサムとかも」
「ディックはハンサムだぞ、中身が残念だけど。あと、エイブは美形の類に入るんかな。目立つもんでもないけど整ってる。あと──アックスのニックも、わりとハンサムかも」
「自分のことはハンサムって言わないのね。あなたは絶対言うタイプだと思ってた」
「若い時は言ってたけど、今もうそんな年じゃねえし。元嫁に言われた言葉。“あんたなんか顔だけの、ただの音楽バカじゃない!”、だとさ」
ベラは笑って、ここで再婚相手が見つかるといいねと言葉を返した。
「次結婚するなら三十四くらいだな。そのまえに最低でも二年はつきあう。女と一年以上続いたことねえんだけど」
「マジで」
「結婚まで一年待たなかったからな。あ、結婚生活はどうにか一年続いたぞ。半年後くらいから喧嘩増えまくりだったけど」
「ねえ、なんで結婚したんだっけ」
「ノリだ」
即答されたマトヴェイの言葉に、彼女はまた笑った。