○ Long Call
火曜の夜。アパートメントのリビングでソファに寝転んだベラは、アゼルに電話した。
「うるせえ」と、電話に応じた彼が言う。
「だって出てくれないんだもん」
「今、夜の十一時半。もう寝る」
「ごめん。準備できたの、復讐の準備。だから明日、会えないかと思って」
「墓の場所教えるからひとりで行けよ」
「会えないの?」
「なんでお前の都合に合わせなきゃいけねえんだ。こっちはお前が思ってるほど暇じゃねえ」
先週水曜に会ってから今日まで、彼女は彼に連絡しなかった。アゼルから連絡など入るはずはなく、自分の都合に合わせてもらおうとしているのだから、彼が怒るのも無理はない。
「──忙しいなら、ひとりで行く。別の日に行けるって言うなら、その時にする」
「土曜」
「無理なのわかってて言ってる」
「無理な日があんなら先にそう言えよ」
言葉足らずな物言いを、考え足らずな物言いを気にする部分は、今も変わっていないらしい。
「遅くなってもいいなら──夜の十一時過ぎてもいいなら、土曜でも平気。お昼には帰らなきゃだけど──」
彼女がそう言うと、少し沈黙ができた。
「──学校、終わんの何時だ」
「四時くらい。四時すぎには出られる」
「んじゃ、こっちも仕事、どうにかして四時であがる。半前までにはそこらまで行く」
冷たい態度とやさしい態度が繰り返される。期待するわけにはいかないが。
「うん。CD、聴いた?」
「何個かは」
「ぜんぶ私がうたってる」
「声聴きゃわかる」
「わかるの?」
「わかりづらいのもあるけどな。似てるって言われりゃ似てるだけかとも思うけど」
「明日、また別の持っていく」
「そんだけいらねえよ。どうしろっつーんだ」
「レアなのよ。売れとか言われるけど、私は売るためのCDは作ろうとしないし。それはね、他のシンガーに覚えてもらうために録音したやつ。それだけ持ってるのはあんただけ。自分がうたうのは録音しなかった。今までずっと録音してなかったものをいきなりレコーディングするって言ったからね、かなり怪しまれて。それだけ揃えるの、苦労したんだから」
「女の歌はそのうち飽きる」
「私の声には飽きないじゃない」
「喘ぎ声だけな」
「だけってことはない。誰にも聴かせちゃだめよ、面倒なことになりたくないから」
「不特定多数の前でうたってる奴がなんでそのセリフ言えんだよ」
「ライブとCDはまた違う。ライブはふざけながらやることもあるけど、レコーディングは基本的に真面目にやってる。一緒に入ってた紙は見た?」
「なんだあれ」
「今私の周りにいる、主な人間関係図。学校バージョンと店バージョン。口で説明するとややこしくなるから、紙に書いたの」
「あの不気味な絵はなに。肉まんみたいなの。やたらセリフ買いてあった」
「だから、“ケリー”よ。嫌味がすごい。“ほんとに彼氏いるの?”って。エデたちよりはっきりと嫌味突き刺してくる」
「へえ。お前オトコいたのか」
嫌味だとわかっても彼女は気にしなかった。「学校ではいるってことにしてる。入学してからずっと。あと、店の中でも。スタッフの一部にはいないって言ってあるけど」
「嘘が半端ねえな」
「それしか方法がないんだもん。あれこれ言われたくない。このあいだ学校でケリーに、つきあってるのはもしかしたら最高にイイ男かもしれないし、六人くらいをひとりでなぎ倒す巨漢かもしれないし、女ったらしかもしれないし、金持ちかもしれないって言った。勝手に想像しろって」
「巨漢はねえだろ」
「でも巨漢を想像してたところにあんたが来たら、完璧に私の勝ちだよね」
「意味わかんねえ」
「ハンサムかはよくわかんないけど、キレイな顔してるってのはわかった。整ってる」
「微妙な褒め言葉だな」
「不良だから好きになったわけじゃない」
「なんの話だよ」
「私のために戦ってくれる?」
「あ?」
「私がもし、他の男に口説かれそうになってたら。つい口がすべって、好きでもない男に、“彼氏と別れたいけど別れられない”って言っちゃったりしたら。もしかしたらその相手が、“だったら俺がなんとかしてやる”とか言って、あんたに喧嘩売るかもしれないでしょ。そしたら、そいつのことも返り討ちにいしてくれる?」
「──なに。また施設に戻らせる気か。っつーか今度やったらもう、施設じゃ済まねえ可能性のが高いんだけど」
「たとえばよ」
「お前は俺がいなくてもやってけんだろ。ひとりで潰してろ」
「さすがに年上の男相手に、そういう喧嘩では勝てない可能性が」
「他の方法を考えんのがお前だろ」
「だから、たとえば。私を口説こうとしてる男が、あんたと私の関係を終わらせるために喧嘩売りに行ったら。あんたはどうするの? 施設とか考えなくていいから」
「そりゃ、喧嘩売られたらやるだろ。お前関係なく」
「どのくらい?」
「なんの程度だ」
「一発KOとか、全治三ヶ月とか、半殺しとか」
また少し沈黙が流れる。
「──殺しかけた」つぶやくような声でアゼルが言った。
「は?」
「一年半前──ポリが来んのがあと三分遅かったら、たぶん俺、相手殺してた」
彼があの時の話をまともに持ちだすのは、これがはじめてだった。
「でも殺さなかったんでしょ」
「殺す気だった」
「そんなひどい状態だとは聞いてないけど。六対一? くらいで、でも相手のほうが怪我がひどくて、病院送りになったって」
「七人。ひとりはICUに入った。あと三人か、何本か骨折った」
「強いね。さすが」
「褒めんの、お前くらいだぞ」
「誰も褒めないんだもん。私くらいは褒めてあげなきゃ」
「キレてたくせに」
「そりゃ、約束破ったうえに、一緒にいた時に私を放置して行ったわけだから。普通は怒るよね」
「喧嘩売られたら買うだろ」
「一度は起こしたんだから、私に言うべきだった」
「お前なんか連れてっても邪魔なだけ」
「一緒に施設、入れたかもしれないじゃない」
「んなことしたらヤりまくって、一生出られねえことになる」
「いいんじゃない、そこで就職すれば」
「絶対無理」
「私は離れるくらいなら、あんたと一緒に施設に入るほうがマシだった」
アゼルはまた少し黙った。
「──んじゃ」
「うん」
「さっき言ってたたとえ話。それが一年半前に起きたとしたら? お前のために喧嘩するはめになって、そんで施設にぶち込まれたら、お前はキレなかったわけ?」
「キレるわよ。だから、私に言えって話じゃない。勝手に行ったことにいちばん怒ってるんだから」
「言うわけねえだろ。喧嘩買えなくなるじゃねえか」
「まるくなったと思ってたのにな」
「人間そう簡単に変わらねえ」
「なら、私もひとつ質問」
「なに」
「その喧嘩に、価値はあったの? 私をぼろぼろにして、一年半放置するだけの価値が、その喧嘩にはあったの?」
「──価値とは、ちょっと違う」彼は答えた。「けど、“意味”ならあった」
確かに、意味はあった。こうやってまた話している今だから言えることだ。再会していなければ、きっと、“意味”など見い出せなかった。
けれどそれはふたりのあいだの問題だけで、結果的には、失ってしまったものもある。
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ベラはアゼルに質問を返した。「私も、“意味はあった”って思うほうがいい?」
「──さあ」
「肯定してよ、そこは」
「結果的には、マイナスになってる気がする」
「私たちの人生はマイナスが多い」
「いつになったらプラスになるんだろうな」
「棺の中で静かに眠るまでは無理かもね。どっちも、普通にしててもいちいち喧嘩売られるんだもん」
「んじゃもう、いっそのこと海外にでも逃亡するか」
「それはいいわね。海外なら喧嘩売られないかもしれない。誰も私たちのこと、知らないわけだし」
「けどな。最初は知らねえ状態からはじまってんのに、けっきょく喧嘩売られるわけだからな。特にお前」
「意味ない?」
「ない気がする」
「じゃあもう、どっかの島でも買おうか。ふたりだけで暮らすの。だれにも会わない。自給自足の生活」
「なんでサバイバルだよ。島買うのにどんだけ金いるんだよ」
「船で暮らすって手もある。船旅しながら、たまに港で食料仕入れる。基本的には海の上でふたりだけ。他人と関わるのは最低限におさえる」
「無駄に色黒になるお前なんか見たくねえ。しかも紫外線浴びすぎたらシミだらけになるぞ」
「ヤなこと言うな」
「ほら穴でいいんじゃね」
「せめて洞窟って言って。湿っぽいところはヤだな。雪が降るところがいい」
「凍死はいいけど、雪国は無理。昔テレビで見たような生活、する自信がねえ」
「雪かきね。私もヤだな。いいじゃない、あんなの無視で。田舎に家買ってね、食料買い溜めしてね、外には出ない。家が雪に埋もれた状態で冬眠するの」
「湿っぽいのはイヤなのに氷漬けはいいのかよ」
「冬の寒い時にひとりで寝るの、つらかったからな。それに比べれば」
「──なんかムカつくから、切る」
「なんで」
「なんかムカつく」
彼女は無視した。「ねえ、厳密にはいつ施設出たの?」
「切る」
「答えてよ」
「もう寝る」
「答えてから。予定では一月だったはずでしょ。私は、三月まではウェスト・キャッスルにいた。でも戻ってきてないよね」
「──予定、延びた」
「なんで」
「暴れて」
「またやったの? あんた、さっさと施設出て戻ってくるとか、考えなかったわけ?」
「半年くらいはそのつもりだった。けど七月にクソ親父が死んで、一回帰省させてやるから葬儀くらいは行けって、周りがすげえうざかった。ストレス溜まってたのもあって、キレた。何人か殴って暴れた」
彼女には呆れしかなかった。「それが、なに? 三ヶ月くらい延びた?」
「その時点ではな。んでそれからちょっとして、ジジイが余命宣告受けた。ジジイはコネ使って、俺が免許とれるようにした。教習枠をアマウント・ウィズダムでとったから、施設から通わなきゃなんなかった。四月から五月はずっと教習。家にあったもんはジジイがぜんぶ処分してたから、俺が教習受けてるあいだにジジイの弁護士が家具とか揃えてくれた。施設出てこっち戻ったあとは、仕事しながら遺産だのなんだのの手続き、クソ親父のとふたりぶん。ぜんぶ終わったのは最近」
自分とは別の意味で、かなりめまぐるしい日々を過ごしていたらしい。
「で、ぜんぶ終わってすぐ私に会いにきたと」
「すぐじゃねえ。ジジイに言われてたからボダルトのとこ行っただけ。俺が訊いたんじゃなくて、あいつが勝手にお前やマルコのことを喋っただけ。しかも会いに行ったんじゃねえし。喧嘩売りに行っただけ」
「ベッドの相手をさせにきたんじゃないのね」
「お前気づいてねえだろうけどな、あん時俺、女連れてた」
「へー。じゃあ電話してきたのもその女ですか。わざわざコンドミニアムまで来てベル鳴らしたのもその女ですか」
「だな」
「ってことは、あんたは勝手に帰ったわけね。その女より私を選んだわけね」
「お前うざい」
「実際そうでしょ」
「お前にムカついたんだから、お前に喧嘩売らなきゃ意味ねえだろ」
「素直に会いたかったって言えばいいのに」
「殺されてえのか」
「そんでつきあってくださいって頼めばいいのに」
「今からセンター街に出向いて、また喧嘩してくるのもいいよな。三人くらい半殺しにすりゃ少年院とか入れるかも」
「それはおじいちゃんに対する裏切りよ」
「なんでジジイなんだよ。お前じゃねえのかよ」
「今度またどこかに入る時は、ちゃんと教えてね。教えてくれたら待っててあげる」
「──ようするに、行けと」
「言うわけないじゃん」
「行けって言ってんのと一緒」
「行かないでって言ったら今度は行かないの?」
「噂には聞いてたけど、あの施設、本気で最悪だったからな。もう行きたくねえ」
「自分から入っといてよく言う」
「不可抗力。しかもあそこに入るとは誰も言ってない」
「予定外?」
「可能性は考えてた」
「ブルが、あんたは一年くらい入る覚悟してるって言ってたって」
「終わってみりゃな。なにやったかわかったら、そんくらい入るしかねえんだろうとは思った。それにそうやって言や、少年院は免れる可能性があるだろ」
「どっちも変わんないよね。どっちにしても私と離れることになるんだから」
「言ったろ。別れるいい機会だった」
「でもそこは意味なかったよね。けっきょくまた、ほとんど戻ってる」
「──勘違い。ヤッてるだけだし」
「今度あんたが施設だのなんだのに入ったりしたら、私もなにするかわかんないわよ。程度なんかわかんないから、暴れて傷害だの器物破損だので捕まって、少年院行きかもしれない。やるとしたら徹底的にやって、そしたら今度は、あんたが私を待つことになるかもしれない」
「──お前は、ならねえ。絶対」
「なんで言いきれるの」
アゼルは答えなかった。「そろそろ本気で寝たい」
「私はあんたのベッドで寝たい」
「勝手に来ればいいんじゃね」
行きたいと思った。だが問題はある。「行ったらそれこそ、よけい寝れないよね」
「確実」
「我慢する──そのうち部屋に来たら、いいもの見せてあげる」
「なに」
「言わない。あ、おじいちゃんのお墓に行くの、夜ね。遅い時間じゃなきゃ無理」
「知ってるっつの」
「おばあちゃんのほうは、また今度でいいか」
「どっちでも」
「眠い?」
「わりと」
「私、まだリビングのソファなんだよね」
「なんで」
「ベッドに行ってもあんたがいないから」
「お前、なんか嫌味ったらしくなったな」
「成長したの」
「今日さっさと寝て、明日夜更かししようとか思わねえのか」
彼女ははっとした。「わかった。寝る」
「あほ」




