* Penitence
アゼルは渋ったもののベラが押しきり、家電量販店へと向かった。彼の支払いで音楽コンポを買うと、適当に選んだ店で遅い夕食を食べてから、彼のコンドミニアムに行った。
彼はダンボールが入った大きな袋をリビングの黒いソファのうしろに置いた。
「どこに置くんだよ」
「ベッドルーム」
キャリーバッグとハンドバッグを置いた彼女は、ハサミかカッターはないかと彼に訊いた。アゼルから受け取ったカッターを使ってダンボールを開封する。
煙草片手に冷蔵庫から出したビールを飲みながら、アゼルはカウンターチェアに座ってその光景を眺めていた。ベラは開封に夢中になっていたし、彼も喋らなかった。彼女が選んだのは黒の、CDやUSBメモリだけでなくDVDまで見られるという、音楽コンポにしては贅沢な品だ。
答えはわかっているが、彼女は一応彼に訊ねる。「運ぶの手伝う気ある?」
「チェストの上は無理」
「違う。ベッドがあるとこの壁のくぼみ部分の棚、ナイトホテルみたいになってるとこ」
彼はビールを飲んだ。
「なんでわざわざ画面つきにしたんだ。意味ねえよな。ベッドから見えねえし。っつーかそんな小さい画面で見たりしねえし。そもそもDVDも観る気ねえし」
「USB規格がついてるの探したら、これになっただけ。いいから手伝ってよ」
「めんどくさい」
予想どおりの答えだった。けっきょく、ベラはひとりでコンポを運んで設置した。
ベッドルームの壁はすべて白なものの、ベッドヘッド側の壁の一部は窪んで棚のようになっていて、そこだけは黒い壁紙が使われている。マスター・ベッドルームではそれほど珍しいものでもないが、去年マルコとナイトホテルに行ったせいか、こういう造りを見るとどうしても、ホテルを連想してしまう。もちろんそういったホテルのように、照明をどうこうするような操作パネルはここにはないけれど。
コンポの電源を入れてキャリーバッグを取りに行こうとすると、ベッドルームの照明がすべてではないが落とされた。アゼルだ。
「もういいだろ」
そう言って、彼は彼女をベッドに押し倒した。
ベラはされるがままになっていた。ひとつにつながる──昔はあたりまえにしていたことだが、今はそうではない。いつ彼がまたいなくなるのか、その不安が消えない。彼の扱いが難しくなっているからこそ、その不安はとても大きかった。
「──お前も、堕ちたな」彼女に覆いかぶさるアゼルがふいに言った。
「なにが」
「つきあってもねえ男とヤッてる」
昔は、つきあってもいないのにこういうことをする感覚というのが、本当に理解できなかった。だが今、自分がその状況に陥っている。
ベラは彼の頬に触れた。
「──気持ちは、ある」
「けどつきあってねえ」
「つきあってって言ったら、つきあってくれるの?」
「んな口約束、しても意味なくね」
確かに意味はない。彼にとっては特に、つきあうというのはただの口実で、口約束で、周りに言う説明文でしかない。つきあっていれば一部のことに対して怒ったり、文句を言う権利は生まれるが、アゼルが相手では、それもほとんど無意味だ。つきあっているから他の女と寝ない、という単純な常識も、彼は簡単に破る。そもそも今現在、つきあっていないのにこういうことをしているのだ。こうなってしまえば、つきあうとかつきあわないとか、そういうやりとりを交わすことに意味など感じられない。もちろん、つきあっているほうがいいのは当然だけれど。
「──意味がなくてもいい。つきあって」
「無理」
あっさりと拒否したにも関わらず、アゼルはベラにキスをして、また激しく彼女の身体を突いた。どうしていいかわからない状況なのに、そんな悩みよりも快感が勝る。
彼は一気に、果てそうになるところまで彼女を導いた。そして、ベラがそこに達する前に突然動きを止めた。
「──正直に、言え」静かに息を切らしながら彼が言う。「俺が施設入ってるあいだにお前、何人とヤッたんだ」
激しさとその快感、そしてもどかしさに、彼女の息も乱れていた。そのうえわけのわからない質問だ。自分が他の人間と寝ることができるなどと、彼は本気で思っているのか。
「なんで、そんなこと訊くの」
「答えねえなら質問変えてやる。俺が別れたつもりないっつったらお前、どうするわけ?」
これは意外だった。予想もしていなかったことだ。
「──別れて、ないの?」
「だから、そう言ったらどうすんだって訊いてんだよ」
別れるという話はしていない。そんな時間はどこにもなかった。「──だって、あんなことになったら、私が別れるって言うの、あんたはわかってたはずじゃない」
「お前がどう思うか、周りにどう言うかは関係ねえ。俺がお前の考えをわかってるとか、そういうのも関係ない。単純な質問だろ。別れ話なんかしてねえんだから、俺が別れてねえっつったら、お前はどうすんだって話だ。お前が他の男とヤッたんだとしたら、それは浮気ってことになる」
自分がどう思ったのかは関係なく、別れ話はしていないのだから、別れてはいない。
一年半のあいだにめまぐるしく変化した自分の感情も、関係なく──単に、自分たちが別れていないとしたら。
どう答えればいいのか、ベラにはわからなかった。それでも、言いたいことはある。
「──私があんた以外の男と寝るなんて、本気で思ってんの?」
彼の眼差しは冷たいままだ。「お前は完璧に嘘つくからな。どうやっても見抜けねえ時がある」
つまり、なにを言っても疑われるということだ。「──誰とも、寝てなんかない。そんなのできない。あんたじゃなきゃ、やだ」
「イヤだろうと、ヤろうと思えばヤれんだよ。お前が流されて、別れたはずの俺とヤッてるみたいに」
“アゼルに会えば、お前は流される”
以前、マルコにそう言われたことがある。でもその頃は、アゼルが戻ってきても絶対にヨリを戻したりしないと決めていた。自分の気持ちが彼に向いていようともだ。
なのに今、彼とこうしている。流されたつもりはないが、失ったものが多すぎたせいか、その反動で、彼にすがった。戻ってきた彼にすがった。
引きずっていたからというのも当然ある。アゼルしか愛せないのだ。彼を繋ぎ止めるためなら、つきあっていなくても、彼に抱かれる。彼を全身で感じられるのなら、つきあってなくてもいいと思った。今の基盤をしっかりさせることよりも、この一年半、ぽっかりと空いていた穴を埋めたかった。
それでも端から見れば、自分がずっと言い張ってきたこともあってかけっきょく、流されただけにも思える。ベラは気持ちに従っただけのつもりだが、そんなふうに言われれば、実際はどうなのか、考えても答えなど出るはずがない。
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「──ほんとに、誰とも、寝てない」目に涙を浮かべながら、ベラは言った。「無理なの。あんた以外とこんなこと、したくない。できない。あんた以外の男なんて見たくないし、見られたくない。触りたくないし、触られたくない。あんた以外の男なんて、いらない」
アゼルは動じない。「浮気なんかしてねえって言いてえのか? けどお前、ホテル行ったんだろ。それにこないだ、五人とヤッたっつったよな。実際そんだけヤッてなくても、五人ていう人数は無意味じゃねえはずだ。ヤッてねえならなんだ。またそこらの男とキスでもしまくったか」
見抜かれている。他の男と寝ていないというのを彼が信じたかはわからないものの、五人というのは適当な数字ではない。この一年半のあいだにキスをした人数だ。最も、マスティは数に入っていないけれど。
「──地元の同期の男、二人──球技大会の時に、景品感覚で、した。それから、秋に知り合った男──。あと──」
残り二人の名前は、彼も一応知っている相手だ。だからこそ言いたくなかった。
言えずにいると、アゼルはまた彼女の身体を激しく突いた。ベラが果てそうになったところで再び動きを止め、今度は彼女の中から自分を抜いた。
ふたりの息が激しく切れる。物足りなさがどうしようもなかった。
この行為において、ベラは必ずそこに達したいという願望を抱いているわけではない。達しなくても快感は大きいし、彼のしたいようにしてくれていいと、今も昔も、本気でそう思っている。けれど彼の中に、自分をそこに導く気があるというのがわかってしまうと、そこに辿りつかせてもらえない物足りなさは、何倍にも膨れあがる。
「言わねえなら、ずっとこれだぞ」アゼルが言う。「あげく俺ひとりで終わって、しかも外に出す」
彼が続きをしたがっているというのは、彼女もわかっている。過去の何度かを除いて、彼はいつもそうしてくれる。最後にはけっきょく、そこへ導いてくれる。それを眺めるのが、彼は好きなのだ。
だが快感を得るためにこのふたつの名前を口にするなど、最悪な気がする。でも、アゼルも欲しがっている。彼を満足させるにはおそらく、名前を言うしかない。
ベラは目を閉じた。涙が流れる。自分はどこまで最低なのだろうと思った。アゼルのためだと思ってみても、なんの気休めにもならない。おそらく純粋に自分を好きになってくれただろう二人よりも、自分は、アゼルを選ぶということになる。戻る気はないと、あれだけ言い張っていた彼を選ぶということになる。それがイヤだというのではない。ただ、申し訳がたたない。けっきょくは、自己欲のためだけに彼を選んでしまうのだから。
「──ルキアノス──昔、リーズが惚れてた相手──。受験勉強手伝ってもらってて、高校に受かったあと告白されて、その時──。それから、マルコともした──。ホテルは、去年の十二月、アマウント・ウィズダムの施設を見に行ったあと、近くに泊まって──ひとつのベッドで、腕枕してもらって、寝た──。でもほんとに、してない──マルコは触ったって言ってたけど、私は寝てて気づかなかったし、どこをどう触られたかなんて、わかんない──。でもそれから少しして、マルコに触られてる──下までは、いってないけど──あと、四人はフレンチだけど、マルコとだけは、深いキス、した──。私も、応えた──」
泣きながら答える彼女は、後悔に押しつぶされそうになっていた。なにをどれほど後悔すればいいのかもわからないほど後悔している。どれだけ懺悔しようと、この最悪な罪は消えない気がした。
「──俺が、別れてねえつったら、お前のそれは、浮気だ。俺のこと、とやかく言えなくなる」
それはつまり──今この状態がどうなのか、まったくわからないが──つきあっているとして、もしくはつきあったとしても、自分がそれをどうこう言う権利はないから、彼はまた浮気をするということなのか。
「──怒ってるの?」彼女は訊いた。
「どうでもいい」
彼がまた彼女の中に、奥の奥まで入る。激しく身体を突いたりはしない──ゆっくりと動きながら、彼女の唇にキスをして、頬を撫で、首筋にキスをして、胸に触れた。上から下まで、全身が撫でまわされる。彼女は何度も声を漏らした。
持ち上げた彼女の左脚にキスをして、アゼルが言う。
「──ひとつ、約束、破る」
息を乱しながらも、ベラは訊き返した。「──なに」
「ちょっとだから、許せ」
訊き返す間を与えず、アゼルはまた彼女の中から出た。かと思えばすぐに戻ってきた。昔一度だけ入り、彼女が二度としたくないと言った場所にだ。
すべてではなかったが自身のいくらかを彼女の中に埋め、慣らしてから、彼女の身体を突いた。もうしないと約束したはずなのに、アゼルはそれを破った。
それでもベラは彼を責めなかった。責める資格がないと思ったからではない。それが受け入れるべき復讐なのだと思ったからでもない。彼が自分のすべてを求めているのだとわかったからだ。
そしてまた彼女の中から出ると、アゼルはすぐ本来の場所へと戻った。
その勢いのまま、ふたりは一緒に果てた。
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ほんの少しの照明だけをつけたリビング。アゼルがキッチンの冷蔵庫からビールを出すあいだに、ベラは指輪の入ったケースを用意した。指輪をふたつとも出し、空になったケースのひとつには自分が薬指につけていた指輪をしまう。
ソファに座って煙草に火をつけようとする彼の手からそれをとって灰皿に置き、彼の脚の上に向き合うように腰をおろすと、彼女は自分のぶんの指輪を見せた。
「まえのほうがよかったんじゃね」と、アゼル。
「だってなんか、対象の本人を目の前にして、憎しみだのなんだのって言葉を並べた指輪をつけてるのもどうかと思って」
「今さらだよな。さっきまでしてたよな」
「同時がよかったの。つけて」
「自分でつけろよ」
「このあいだはつけてくれた」
「そりゃ変な指輪だったからだろ」
そう言いながらも彼は彼女の左手の薬指に、少々雑に、指輪をつけた。
「こっちはあんたの」
ベラはもうひとつの指輪を見せた。彼が内側に刻まれた文字を、わずかな明かりを頼りに確認する。
「──金の無駄」
「だいじょうぶ。薬指じゃないから」彼の手から指輪をとり、アゼルの左手の中指につけた。「ほら、ぴったり。さすが私」
「──なにが“だいじょうぶ”なのかが、さっぱりわかんねえ」
「たぶんそれほど邪魔にならないだろうって。でもどうしても邪魔だったら、はずしてもいい。捨てないで持っててくれるなら、それでいい。けど捨てたら怒る」
「失くす可能性はあるよな」
「それ、言い訳だよね」
彼は左手を握ったり開いたりした。
「──なんで」
「うん」
おそらく質問をしようとしたのだが、アゼルはそれをやめた。ベラの腰に両腕をまわす。「明日の朝にはなくなってる」
彼女も彼の首に手をまわした。
「早いな」
「一回はずしたらもうつけねえよな」
「じゃあタトゥー増やす? “Aphrodite”」
「めんどくさい」
「痛い?」
「お前には無理」
「彫りたい」
「未成年は親の許可が要る」
「どうやったの?」
「保護者がいねえから、んなもんとる必要はない」
「卑怯者」
「実際お前もいねえのと同じなのにな」
「生きてるか死んでるかの違いだけ?」
アゼルは彼女の髪を撫でた。
「──もう十六だろ。その気になりゃ、好きに生きてける」
「学校辞めて働くとか? それも考えたことはあるんだけど、どっちにしても、またあのヒトに会わなきゃいけないじゃない。学校に退学届出すのも許可が必要で、その前に行かなくなったとしても、学校からあのヒトに連絡が入って、そしたらこっちの電話が鳴るかもしれないし。部屋の鍵は持ってないはずだけど、その気になれば入れるんだろうし──どうすれば逃げられるのか、ほんとにわかんない。この国じゃIDはわりと必要な気もするし──そしたらどこに逃げても、居所なんてすぐにばれる」
「偽のID造ればいいんじゃね。っつーか、IDなくてもどうにかなる」
「住所不定の身元不明人になるの? それはそれでアリな気もするけど」
「ホームレスになったらさすがに引くけどな」
「それはヤだな。シャワーくらいはいつでも浴びられる環境、持ってたい」
「川で泳げばよくね」
「水浴びじゃなくて泳ぐの?」
「そのうち水死体になる」
「私、泳げるから」
「泳げても溺れることはある。足がつったりして」
「怖いこと言うな」
「腐敗が早まるし身体が膨らむから、すぐ引き上げられるんじゃなきゃ、水死体はあんまいいことねえ」
「背中に髑髏背負ってるヒトがなに言ってんの」
「俺が選んだんじゃねえし」
「なら誰?」
「オンナ」
ベラはかたまった。
「ジジイ」アゼルが続けて言う。「“今月の新作”。“一押しデザイン”。単なる気まぐれ。開いたページにあった。壁にかかったデザインの中でたまたま目に入った。単に大きさで選んだだけ」
彼女はぽかんとしていた。そんな彼女の腰を浮かせて自分たちのバスローブをよけ、身体を押しつけるよう再び、自分の上に彼女を座らせる。
「──単に、髑髏の絵が欲しかっただけだ」彼女の頬を撫でながらアゼルは言った。「けど、お前が彫ったらキレる。小さくても。お前はやるな」
意味がわからないが、妙に真剣な気がした。「──なに、その、わがまま」
「タトゥーシール買ってやろうか」
「そのくらい自分で買えます」
「いや、けどシールはダメだな。邪魔くさい」
「なんなの」
「彫ったらキレるからな。お前のぶんも俺のぶんも、南京錠、壊して捨てる。二度と会わねえ。あの約束もなし。本気でお前の前から消えてやる」
どうやら本気らしい。「──わかった」
互いの熱を感じながら、ふたりはキスをした。
「──お前が、入れろ」唇を離して彼が言う。「見ててやる。入れて、動け。お前の声、聴かせろ」
彼女は従った。
何度も何度も、アゼルの名前を呼んだ。昔そうしていたように、“愛してる”と口にする代わりに、ベラは何度もその名前を呼んだ。
それに対する応えなのか、彼も彼女の名前を呼んだ。愛称だけでなく、彼女の嫌う“イザベラ”という名前もだ。ファーストネームで呼ばれるのは好きではなかったが、不思議と、それは彼女にとって不快ではなかった。むしろ、そのたびに快感が増した。




