* Treatment
その日の夜、カレルヴォがブラック・スターに来た。昨日ベラが頼んだものを届けにきてくれたのだ。
「話には聞いてたけど、本格的にオフィス化してるな」
赤白会議室に入ったカレルヴォが言った。彼はこの店が完成した直後、このフロアに入ったことはあったのだが、この部屋がベラ専用のようになってからのことは、話に聞いただけで足を踏み入れてはいなかった。
ディックが笑う。「俺らですら専用のオフィスなんてないのにな」
「他の奴らから不満が出たりしないのか」
「まあやっかみを耳にすることはあるけど、ベラの仕事量を考えたらな、文句は言えんはずだ。私欲のために占領してるわけじゃない。ベラ中心で仕事をするのにここを使うんだよ。他のバンドの作詞や作曲を手伝う時も、相手によってはここでやる。なぜかここに入れる人間を制限してるわけだけど」
「ごちゃごちゃ言われたくないんだもん」と、ベラ。中身を確かめたい気持ちをおさえ、カレルヴォから受け取った小ぶりな紙袋をキャリーバッグにしまった。ベラが友達にプレゼントするものだと説明したので、それ以上のことは誰も訊いてこなかった。
マトヴェイが補足する。「毎日とまで言わないけど、ベラの仕事量、ほんと半端ねえんだよ。最近は特に。自分のだけじゃなくて女三人ぶんの作詞もして、プラス二人用とか三人用とか四人用とかも考える。作曲はオレらの誰かが担当するけど、それも高確率で一緒にやるだろ。んでたまに、他のバンドの作詞やメロディ作りも手伝ったりしてるし」
「お前らが手伝えばいい話じゃないのか」
「いや、そりゃやるけどさ。そうしょっちゅう浮かんでくるわけじゃないんだって。ダメな時はほんとダメ。仕事で疲れてたら特に。そういう時はベラを呼びだして、流れ聴かせて、ほら続きうたえ! みたいな」
「人使いが荒いのよ、みんな」彼女が言う。「ヒトが真剣に仕事してる時に、壊す勢いでドア叩いて。最近じゃ説明しないもん。いきなり詩見せたりメロディ口ずさんだりして、ほらうたえ! って」
カレルヴォは笑った。「それに応えるお前もすごいな」
「深く考えないから、なんとかね」
「やっぱり先走りすぎた気がする」ディックは弱音を吐いた。「こんなバタバタしてる状態で金曜にもオープンて、やってけんのか」
「めずらしく弱気だなおい」
「俺とヒルデブラントとヤンカは、ベラから作曲の指名が入るんじゃなきゃ、事務仕事がほとんどなんだけどな。バンドたち見てたら、クオリティを上げようとしての結果なんだろうけど、こいつらを頼ることが増えた気がする。それに騒ぐほどじゃないが、毎日毎日小さい揉め事もある。スタジオの使用時間がどうだの、順番がどうだのって。あと、学生は金ないんだから優先してこっちのスタジオを使わせて、仕事して金あるほうが上に行くべきだとか。くだらんことばっかり」
「その後始末っつーか、仲介がオレらにまわってくる」マトヴェイがあとをひきとった。「ディックやベラは、社会人だろうが大学生だろうが、バンドはバンド。収入は関係ないって言う。オレらはわからないでもないんだけどな、学生をひいきしてやったらって気持ち。もうめんどくさくてめんどくさくて」
「なんだお前。自分が苦労したことは忘れたのか」カレルヴォがディックに言った。
彼は無愛想に答える。「違う。こっちは寝る時間削ってバイトして、飯代切り詰めてやってきた。あいつらはそこまでやってない。悩みが贅沢すぎる。楽器だって親の金だぞ」
「ああ、なるほど。そういや俺んとこの客も、なんだかんだ財布と相談してるみたいだけど、学生ならたいてい親の金っぽいもんな」
「だろ。甘やかされすぎててなんかムカつく」
マトヴェイが苦笑う。「そういうとこ、ホント変わらねーよな」
「あ、そういや」カレルヴォがベラに言う。「ぜんぜん話変わるけど、言ってたアクセの加工代金、お前のぶんだけ一万五千フラム引いてやる」
「え、なんで」
「サイラスが、先月のお前の誕生日になにもやってないから、お前がうちで買い物する時値引きしてやってくれって。一万フラムもすでにもらってる。俺は手間を考えて五千だけど」
「うそ。やった。いいのに」
「どんだけあるか知らんけど、高くなりそうならもーちょい値引きしてやる。パッシのほうは放置だけどな」
買い出しに行っていたデトレフとエイブが、パッシを連れて戻ってきた。デトレフとマトヴェイからアクセサリー類を受け取ったベラは、ディックとヒルデブラントからもらったぶんも含め、パッシと喧嘩しつつ、なにをどう加工するかをカレルヴォと相談した。
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水曜。
ベラは学校から直接家に帰った。今日は店には行かないとディックに伝えてある。メールアドレスは聞いていないので、アゼルにメールを送ることはできなかった。
午後六時頃に電話したものの、応答はなかった。約束するわけではないと彼は言っていたが──けっきょく会えないのかと、諦めの気持ちが頭をよぎる。指輪を渡したかったのに。
指輪は、自分のぶんは左手の薬指用を買ったものの、アゼルには左手の中指用を用意した。薬指だと、彼がつけない可能性が高くなるからだ。
しかたなく、ベラは詞を書きはじめた。“なぜ電話に出ないのか”、という発想からテーマをひとつ。ヒラリーをイメージし、恋愛のはじまりを意識して──マイナスな感情を抑えて、ポップ路線で。
自分とは正反対の人間を基準にしているので、苦戦しながらも彼女はどうにかペンを進めたが、これをレコーディングする自分を想像すると、少々ぞっとした。浮かんでくるメロディは明るいものだ。ヒラリーがうたえば、完璧に可愛いものになりそうな予感がする。
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「夕方っつったはずだけど」と、電話越しにアゼルが言った。
時刻は午後十九時をまわっている。最初に電話をしてから一時間が経ち、ベラは二度目の電話を彼にした。彼は応じたものの、第一声が不機嫌そうな声のそれだった。
彼女が反論する。「だって電話、出なかったじゃん」
「あと一回呼び出し音鳴ってたらとってた」
「そんなめちゃくちゃな」
「お前んとこの駐車場で三十分待ったけど電話鳴らなかったから、もう帰ってる」
ベラはぽかんとした。「は?」
「電話かかってきてちょっとしてから家出た。六時半にはお前んとこのアパートに着いた。三十分待った。電話ねえから帰ってる」
「絶対嘘」
「なんで」
「着いたら普通電話するでしょ」
「なにが“普通”だよ。異常者が“普通”語んな」
また喧嘩を売られているように彼女は感じた。待ったというのは嘘だろうが、詞を書くことに神経を注ぎすぎていたのも事実だ。
彼が続けて言う。「っつーか夕方ってのは四時から六時半までのあいだだって、昔お前、そんなこと言ってなかったか」
ベラには心当たりがあった。確かに以前、そんな話をしたことがある。今もその考えは変わっていない。ということはつまり、自分があやまるところらしい。
「ごめんなさい」
「もうめんどくさいからやめる」
アゼルの扱い方が難しいというのは、昔、イヤというほど思い知った。だが今の彼は、それ以上に扱いが難しい。どう接していいのかが本当にわからなくなる。失う怖さを知っているからというのも、もちろんあるのだろうが。
「なら、行く」ベラは言った。「タクシー呼んで、そっちまで行く」
「もういいだろ」
以前あったことを繰り返しているようだ。つきあいはじめて数ヶ月が経った頃、文化祭の準備で彼に会いに行く暇がほとんどなくなり、その結果、アゼルがどんどん不機嫌になっていった。誰の気持ちも──彼の気持ちすら考えようとしなかった自分はその頃、彼が不機嫌な理由がわからず、喧嘩したようになって、浮気され、別れることになった。
このまま引き下がればまた、同じことになるのだということだけはわかる。
「無理。行く」
「──五分したらおりてこい」アゼルは言った。「アパートの前まで行く」
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キャリーバッグを後部座席に放り込んでから助手席に乗りこみ、ドアを閉めてすぐ、ベラはアゼルにキスをした。彼とのそれが好きだった。長くて深いキスをしていると、自分が今どこにいるのかも忘れてしまう。
そしてアゼルも同じなのか、単なる気まぐれなのか、それともまた嫌がらせをする気なのか、彼は自分の右手を彼女の服の中へと滑らせ、胸に触れた。彼女が快感に声を漏らすとその手を止め、彼女の耳元で囁いた。
「ほんとにお前、どこででもヤれそうだな」
「どこでもはないと思う」
「ちょっと山入りゃヤれる」
「もう外ではしないんじゃなかったの?」
「誰が俺相手だっつったよ。他の男がお前を山に連れてきゃ平気でヤれるって意味」
「ありえない」
「場所さえ選んだらべつにいい気がしてきた」
「どこがダメでどこがいいのか、その基準がわからない。どこもダメな気がする」
「ある程度は今さらだけどな」
そう言って身体を離そうとするアゼルに、ベラはまたキスをした。彼の右手が、今度は彼女の頬に触れる。
「──いつまでたっても動けねえ」
彼女が苦笑う。「自動で運転してくれる車があればいいのにね」
「お前のくちをテープで塞げばいいだけじゃね」
「ずっとタクシー使えばいいんじゃないの」
「黙れ」




