* Role
「遊び、とはちょっと違うかもしれないけど」ベラはキュカとエルバに向かって切りだした。「人前でうたうことに抵抗がないなら、ここでうたう? ひとりが恥ずかしいとかなら、二人で一緒にうたえばいい。慣れてきたらひとりでうたう。カバー曲でもいいし、詞さえ書けば、音楽はスタッフがつけてくれる」
彼女たちは揃って目を丸くしている。ベラは続けた。
「女シンガーを探してる。プロ並にうまくなくてもいいの。今、ここでうたう女シンガーは私だけ。あとはみんな男のバンドばっかり。もちろんカラオケより本格的だけどね。うたうのって、わりとストレス発散になるでしょ」
後方にいる客たちがざわつきはじめたのに気づいて振り返ると、ベラが作詞のサポートをしたポップスバンド、アックスがステージに上がっていた。ギターの男が軽く挨拶をすると、彼らは“Incomplete”という、ベラが作詞した曲を演奏、うたいはじめた。
エルバが手元にあった歌詞カードをめくり、歌詞を確認する。そこにカクテルの入ったグラスふたつと黄色い花をトレイに乗せたエイブが戻ってきた。
カクテルを渡しながら、彼が彼女たちに訊ねる。「この曲はどう?」
二人は声を揃えた。「いい!」
「それはよかった。内緒だけどこれ、ベラが作詞したんだよ。サウンドは完全に僕の趣味。うたってる子たちももちろん、一緒に作曲してるけどね」
「マジで?」
「ここ、ここ!」エルバが興奮気味に歌詞カードを指で示す。「ここいい! “どうかもう一度僕を見つけ出して。そしてこの絶望から救い出して。生かしたまま責め続けて。君の傍で永遠に”! マジヤバい!」
エイブは笑いながら、黄色い花を一輪ずつ、彼女たちに差し出した。
「そこは僕もいちばん好き。で、これはオンシジウムの花。花言葉は“遊び心”。ぴったりだといいんだけど」
二人はくすくすと笑って花を受け取った。二千フラムと空になったグラスを渡しながら、キュカが彼に訊ねる。
「あなたも歌をうたったりするの? それとも楽器?」
「楽器サポートはたまにする。うたうつもりはなかったけど、今のところ一曲だけ、ベラと一緒にうたうのがあるよ」
「マジ? デュエット?」
ベラが彼女に答える。「そう。上の無茶ぶりで」
「今日はうたわないの?」
「予定にはない」
「明日も来るなら、明日うたおうか」エイブが提案した。「それなら歌詞カードも用意できるよ」
「ほんと?」
「うん。とりあえず黙って、Cメロがくる」
そう言うと彼は立ち去った。
三人は一旦話をやめ、真剣に曲を聴いた。この曲はベラのお気に入りでもある。ボーカルの少々かすれた声が、ロックに近いサウンドと真剣な詞にぴったりなのだ。歌が終わると、客たちはまたざわつきを取り戻しつつも大きな拍手をした。ステージの上、アックスのメンバーは照れくさそうに、今度は得意のカバー曲を演奏しはじめた。ちなみにカバー曲の場合、歌詞カードは用意されない。
「この店、何時から?」キュカがベラに訊いた。
「夕方六時から午後十時半まで。スタッフとして働いてるヒトたち、ほとんどはみんな、昼間は別の本職がある」
「マジ? セカンドワークってこと?」
ベラはうなずいた。
続けてエルバが質問する。「練習する暇、あんの?」
「今はシンガーが少ないから、店は土曜と日曜だけにオープンする。スタッフ用のスタジオもあるの。ボスはこの店一本だから、言えば平日でも朝から開けてくれるし、そこが埋まってても、上の貸スタジオで練習できる。ただこの店でうたうなら、シンガーは“客に聴いてもらう”っていう姿勢でいなくちゃいけない。そう難しいことでもないんだけど、うたったからって給料がもらえるわけじゃないの。ウェイトレスとして働けば、そのぶん給料は出るけどね。だから今のこの店、給料目当てで働いてるヒトたちって、ほとんどいないはずよ。音楽が好き、料理が好き、客に喜んでもらいたいって人間ばかりを集めてるから」
二人は関心しきっていた。
「で、客としてくる男たちとも出会える、と?」エルバが訊いた。
ベラが笑ってうなずく。
「そうね、その気になれば。私はそっち目的じゃないからほとんど無視だけど、歌や声を気に入ってもらえば、声はかけてもらえる。注目は当然、集まるもの」
キュカが確認する。「さっき、プロ並じゃなくてもいいっつったよね?」
「私は素人だし」
「あんためちゃくちゃ歌うまいじゃん!」
それほどの自覚はないのだが、ベラは素直に礼を言った。「あら、ありがとう」
「けど作詞なんか無理だよ」不安げな様子でエルバが言う。「絶対無理。文章力ないんだもん」
「オリジナルがいいなら、私が書いてもいい。二人は昔話を聞かせてくれるだけでいいの。そこから私が書く」
彼女たちは顔を見合わせた。
「お話中のところ悪いけど」と、ヒルデブラントが声をかけた。「ベラ、無線入れて。ディックが呼んでる」
ベラは従った。二人に背を向けて無線機のスイッチを入れてディックを呼ぶ。チャンネルを切り替えるよう言われてまた従った。ちなみにディックは無線機の、誰がどのチャンネルに切り替えているかというのがわかる機械を持っているので、盗み聞きしようとしてもすぐにばれる。
「ヒラリーが来てたよな」無線を通してディックが言った。
「来てるわね」と、ベラ。
「ムカついたか?」
「そうね、ちょっとイラッとした」
「聴かせてやるか? 怒りの“Dangerous To Know”」
「あれは“怒り”なの?」
「違うのか? “哀しみ”ともとれるけど、“強さ”とはちょっと違うだろ」
ベラは悩み、うなった。「まあ、そうね。気づいてくれると思う?」
「気づくわけがないだろ。ただそれだけにすると、お前がすごい性格の悪い女みたいな感じで、フロアの空気も微妙になるかもしれん。」
「さらに“怒り”で明るくいけってこと? “Alone”とか」
「できるか? さすがにテンションが違いすぎる。しかも“Alone”の演奏につきあえるのは俺だけだ。デトレフたちは、もしかしたらって程度。そのうちとは言ってたけど、はっきりと覚えるって言ってたわけじゃないからな。ノリでごまかせる以上に間違える可能性がある。しかも今、わりと忙しいらしいし」
客たちが拍手をした。ステージでアックスが演奏を終えたのだ。
「今アックスの演奏が終わった。このあと?」
ディックが答える。「いや。もうひとつバンドが入る。テーマは“怒り”だけど、その一曲だけなんだよ。二曲やるはずだったが、二曲めはバンドにとっても新曲。緊張ってのがあるらしくてな、無理っぽい。だからお前がいけるなら、そいつらの曲が終わりそうになったところでステージ脇でスタンバイして、すぐに曲だけ流してうたう。奴らはすぐステージをおりる。ひとつうたえば緊張は解けるかもしれんから、ステージをおりたらまた練習に戻らせて、いけそうならあとでうたわせてやる」
これがベラの役目そのものだった。せっかくのライブが一曲だけだと物足りない、けれどトラブルは予期せず起きる。そんなトラブル時にあいだに入り、場を繋ぐ。もしくは場の空気を完全に別のものにする。
“Dangerous To Know”は暗い歌だ。去年のクリスマスライブで、自分の大嫌いな歌をうたったヒラリーの、純粋というイメージを崩したくて書いた詞。“Alone”は別の相手に向けて書いたもので、これはノリのいい曲に仕上がっている。
「なら、やる」ベラはディックに答えた。「でも“Dangerous To Know”が終わったら、ほんの三秒くらい、ステージの照明、落としてもらっていい? 曲はすぐ流してくれていいけど、照明落とした隙に感情を切り替える。客もざわつくだろうから、それで空気をリセットしてもらう。“Alone”はあなただけでいい」
「よし。ならそいつら、そっちに行かせる」
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地下二階から持ってきた二曲ぶんの歌詞カードをキュカとエルバに渡したベラは、ドリンクカウンターにいるヤンカから炭酸アップルジュースのペットボトルに入ったビールを受け取って飲んだ。サイラスやカレルヴォには最初のステージを褒められた。
いつのまにかフロアを手伝わされていたというパッシと話していたところに緊張気味のバンドが来て、ベラに申し訳なさそうな顔を向けた。だが彼女は気にしておらず、パッシも気にするなと言った。適当でいいならつきあってやるとパッシに提案されたが、台無しにしたくないから遠慮すると答えて彼に怒られた。
バンドの演奏がはじまると、パッシはフロアの手伝いに呼び戻され、ベンジーとジョエル、ヒラリー、マーヴィンがベラに声をかけた。
ベンジーが訊ねる。「またうたうって?」
「これが終わったらすぐ。ひとつはポップロックかな。でもちょっと重いっていうか暗い。そのあとノリのいいロック」
「どんなん?」
「聴けばわかる。一曲めはちょっと怖いかも。歌詞の意味を理解してくれれば嬉しい」
彼は天を仰ぎ、そんなのばっかりだと文句を言った。
ジョエルに肩を抱かれたまま、ヒラリーが控えめな笑顔で割って入る。「さっきの歌、すごくよかった。みんなに聞いたわ。曲によってイメージするキャラクターが違うって。ほんとに、キャラクターが違ってた。二曲めのほうがちょっと子供っぽい感じ? 純粋にロックが好きって雰囲気で」
彼女たちのうしろを、口元をゆるめたディックが通った。ヒラリーの感想を面白がっているらしい。
ベラも彼女に微笑み返す。「そう。一曲めは完全に自己主張の歌。性格そのものがロックなのね。でも二曲めは促してる。相手を完全に自分のペースに巻き込もうとしてる。だから強烈」
ベンジーが口をはさむ。「なあ、“Brick”の録音、持ってねえの? ドライブしながら聴きたいんだけど」
「自分の聴いてればいいじゃない。あなたたちの“The Anthem”、好きよ」誰に向けた歌かは知らないけれど、と心の中でつけたす。
「んじゃあれやるから、代わりに“Brick”くれ」
「今さら録音なんかしないと思う。みんな、あれはライブじゃなきゃって言ってるもん」
「ええー。お前、絶対CD出せるって。ゼスト・エヴァンスで売ってもらえばいいじゃん」
「そんな趣味はない」あっさり返した。
「ベラ」彼らの後方からディックが呼んだ。「準備しろ」
ベンジーがすがるように彼に言う。「ディック、“Brick”録音してくれ、頼むから」
彼は呆れ顔を返した。「お前もしつこいな。話はあとだ。今忙しい」
ベラは機材脇に立った。ステージで演奏されている曲は最後のサビを迎え、終盤に近づいている。
サングラスのテンプルに指をかけ、目を閉じて集中した。小うるさい会話も、自分の好みではないステージのロックの音も、すべてをシャットダウンする。
“Dangerous To Know”はヒラリーの裏の顔を想像したものだ。表に見える彼女は明るくて純粋でヒトなつっこく、純白が似合う人間。まるで自分とは正反対。演技をしてもそんな立ち振る舞いはできないし、そんな人間にはなれないだろう。だが想像した裏の顔なら、自分も似たような部分は持ち合わせている。“怒り”をテーマにした曲から、一気に暗めのポップロックに引き込まなければならない。幹部たちと一緒に、自分も曲作りに関わっている。イメージしたものがある。キュカとエルバには歌詞カードを渡したが、他の客たちには用意されていない。そのぶん、はっきりとうたわなければいけない。
背後からディックが、終わるぞと声を潜めて言った。演奏されていた曲が終わり、客たちはバンドに拍手を送った。