○ Mean Boy
翌日。
朝の十時半を過ぎた頃、ベラはブラック・スターに着いた。赤白会議室で雑用を済ませているとディックが来たので、昨晩の話を少ししたあと、印刷したばかりの詞を見せた。
「最高にふざけてるな」と、ディック。
「みんなでうたえるの、作りたいなっていう話をしててね。兄様方、まだあのノリが抜けきってないみたい。先に系統決めようとしたんだけど、けっきょく、“Brick By Boring Brick”とか“That's What You Get”とか“Hallelujah”とか、ああいう系にしようとしてた。ああいうのにしたら、みんなが曲覚えるまでうたわせてくれないのに」
「大好きすぎだろ。で、あのバカ三人はまだ寝てると」
彼女は肩をすくませた。
「さあね。昨日、ヤンカとヒルデが、自分たちが早めにくるからゆっくり寝なさいって言ってくれて、就寝予定時刻が夜中の二時から朝の四時まで伸びたのよ。実際それくらいまで起きてた。曲作り終盤は私が無理やり起こしてた感じだったし、朝は一応声かけたけど、みんなあまりにも気持ちよさそーに寝てるもんだから、もういいかと思って。で、私はタクシーを呼んでひとり家に帰って、用意してここ」
呆れからディックが溜め息をつく。
「ってことはお前、あんまり寝てないんじゃないのか」
「私は平気。睡眠時間は短くてもぐっすり寝たはず」
「ならいいが」
それから少し仕事の話をしたあと、ディックは席を立った。
「ヤンカの話だと、今日はエルバとキュカ、朝からスタジオ使ってたらしい。ちょっと前に交替して、今は白黒会議室だと。また閉じこもる気ならお前、名刺にサインしてやれよ。そしたら上に行ける」
「それはいいけど、なにも言われてないのに私から差し出すの? みんなあなたをとおしてるのに? 彼女たちは割引のことを知ってるのよ。なんか邪魔者扱いしてるみたいじゃない。上のスタジオ使うほどじゃないから行かないんだろうし、なんか変よ」
彼は悩んだ。一理ある。ただうたうだけなら、廊下でだってできる。
「んじゃ、まあいいか。言われない限り」
「だと思う」
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しばらくあと、買ってきたパンを片手間に食べながら、ベラは自分の雑務に追われていた。
そろそろ通しリハーサルが始まるだろう時間帯、レストルームを出たところでちょうど、ヒラリーとウェル・サヴァランのメンバーに出くわした。
「あ、ちょーどよかった」ヒラリーの肩を抱いたままジョエルが言う。「ヒラリーあずけていい? 俺らこれからリハ行ってくる」
「べつにいいけど、連れてけばいいじゃない」
ヒラリーはすぐさま拒否した。「さすがに無理!」しかしすぐに思いとどまる。「ああ、でも、仕事してるなら──」
「詞を書こうとしてただけだけどね」
彼らの前方から五人組ロック──ベラは好みではないうえ、ロックだとも認めていない──バンドメンバーの二人が現れ、ひとりがベラとサヴァランに声をかけた。
「もうリハはじまってんだろ。みんな行ったぞ」
ベンジーが答える。「これから行く。っつーかそっちだって遅れてんじゃねーか」
彼らは止まらず歩いてくる。「俺ら今日は後方だもんね。確か一周目の順番はお前らよりあとだぞ」
「あれ、マジ?」
「マジだっつの」
「つーかジョエル」すれ違い様、もうひとりがにやつきながらからかった。「お前、ルール破んなよ。スタッフ同士の恋愛は禁止だぞ」
瞬間、ヒラリーの顔が真っ赤になった。
ピートが反論する。「ヒラリーはスタッフじゃねえよ!」
くだらない嫌味だと思いながら、ベラは彼らに聞こえるだろう声で彼女に言った。「気にしなくていいわよ。連れ込む女がいない男の嫌味だから」
案の定、聞こえた二人が立ち止まって振り返る。嫌味を放った男は不機嫌そうな顔をした。
「なんて?」
もうひとりが小声で止める。「おい、やめとけって」
腕組みをしたベラは彼に向かって微笑んだ。
「聞こえたでしょ? 連れ込む女がいないから嫉妬してるだけ。外でも店でもイチャつくカップルを散々見てるのに、スタッフフロアでまでそんなの見てたくないもんね」
「お前な、ガキだからって──」
彼女に近づこうとした彼をもうひとりの男が止めた。しかしベラはやめない。
「ガキだからなに? いい年ぶっこいた大人がガキからかって楽しんでんじゃないわよ」
「オレはまだ二十歳だっつの」
「二十歳。それって大人じゃないの? いい年じゃないの? 高校生からすれば、二十歳ってすごく大人。あ、年齢差の問題じゃなくて、精神的な意味ね。あんたの嫌味は中学生レベルだけど」表情から笑みを消す。「からかうのは彼女がいない時、ジョエルだけにしといてくれる? 彼女がスタッフフロアに来ることに不満があるなら、幹部に直接文句言って。上から叱られるならまだしも、あんたにごちゃごちゃ言われる筋合いはないわよ」言葉を吐き捨て、ベラはヒラリーに言った。「行くよ」
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「だめよ、あんな言いかたしちゃ」
赤白会議室、ヒラリーが困惑気味な様子でベラに言った。
「今眠気のピークがきてて機嫌が悪いの。気にしないで。ああやって言っておけば、そのうちあのやりとりがスタッフたちに広まるから。そしたらもう誰にも文句言われない」
昨日聞いた話以上の状況になったことに、ヒラリーは少々の戸惑いを感じている。「からかっただけじゃない。私は気にしてないわよ」
「私が気にするのよ。ああいうの、大嫌い」ベラはノートの白紙のページを見つめながら、ペンで顎を軽くたたいている。「からかうってのは、それなりの仲だからできることでしょ。ジョークだってわかるからできること。サヴァランとあいつだけなら、いくらでもやればいい。でもあなたは違う。私にはただの嫌味にしか聞こえなかった」
彼女は返す言葉が見つからなかった。確かに皮肉交じりだった。サヴァランのメンバーが話しているのは見たことがあったが、自分は話したことのない相手だ。ベラが自分のために言ってくれたのだということはわかる。それでもサヴァランと彼らの今後を考えれば、完全にプラスだとは思えない。
「でも、サヴァランのことを考えたら──」
「平気よ。くだらない嫌味を放った年上が折れるとこだって、誰がどう見ても明らかなんだし。それより」ベラはノートの傍らに置いた辞書を彼女に差し出した。「適当なところ開いて、なにか単語を言ってくれない? それテーマにフレーズを作るか詞書くかするから」
「え」
「なんでもいいの。ほら」
彼女は眉を寄せてページをめくった。開いたページにある言葉を端から端まで見ていく。「──じゃあ、“reason”?」
ありきたりな答えに、ベラはぐるりと天井を見まわした。
「辞書、意味ないし」
「だめ?」
「だめっていうか──」彼女の手にある辞書を奪い、ぱらぱらとめくる。「そーいえば、地元? でのライブは? 土日とかってないの?」
「ああ──絶対土日ってわけじゃないのよ。平日にもするわ。それに、そんなしょっちゅうってわけじゃないし。でも──」
ページを開いたがなにも出ず、ベラはまた最初から辞書をめくりはじめた。
「なに」
ヒラリーは気まずそうだ。「予定、今は入れてないのよ。なんか──」
辞書をめくる手を止め、ベラは視線を上げた。
「サヴァランがもうライブハウスに行かないから?」
彼女はとうとううつむく。
「──それも、あるかな」
「“halfway”」
顔を上げた。「え」
「“中途半端”」
ベラは辞書をテーブルに投げ置いた。再びノートと向き合う。
自分のことを言っているのだと、ヒラリーにはすぐわかった。そんなことはわかっている。インセンス・リバーの、自分やサヴァランがうたっていたライブハウスに、彼らが今後の連絡を入れたとわかった時、本当にこれで終わりなのだと実感した。それ以来自分はすっかり目的を見失い──といっても、自分はただうたっていただけで、目的などなかったが──あの場所でうたいたいと思わなくなってしまった。
この店でベラと再会し、一度はロックのカバーにも挑戦しようと思えた。好きなことをすればいいと思えた。
けれど翌日、この店をあとにして地元に帰った時、今まで味わったことのない孤独感に襲われた。ベラとの共演は楽しすぎた。姉とうたっていた時以上のものだった。それに昨日、また“Rock This World”をうたわせてもらい、さらにエルバとキュカと四人で“Can You Hear Me Boys”をうたった。
わかってしまった。曲のジャンルの問題ではない。この孤独感は、自分がインセンス・リバーの人間だからこそだ。もちろん地元にも音楽仲間はいる。けれどこれほど音楽への情熱が集まっていることを実感できる場所というのを、自分は知らない。チケットを買ってもらい、アーティスト気取りでステージに立ち、客が帰るまで楽屋に引っ込むというシステムのライブハウスとは違う。ここではシンガー側とお客たちが、ひとつの空間を最初から最後まで共有している。知る限りではベラだけなものの、口ずさむのを許可するだけでなく、マイクまで渡して一緒にうたわせてくれるのだ。こんな楽しい場所を知ってしまったら、もうライブハウスに戻りたいとは思えない。
一方ベラはノートを見つめながら、どんな“中途半端”を書こうか考えていた。けれどなにも言わない、ショックを受けているような、思い悩んでいるような様子のヒラリーに向かって、再び口を開いた。
「や、辞書のページにあったのよ。べつにあなたのことを非難してるわけじゃないんだけど」
ヒラリーはっとした。また独りよがりに考え込んでいた。数秒遅れて彼女の言葉を理解し、苦笑って首を横に振る。
「いいの。そのとおりだもの」
辞書にあったのは本当なんだけどと思いつつ、ベラは吐息をついた。
「受け取りようだと思うけどね、中途半端ってのも」
彼女には意味がわからなかった。「どういうこと?」
ベラは視線をそらして少し考えた。中途半端さを彼女自身、自覚している。テーマが見えてきた。
「たとえば──」
そう言って、ノートにペンを走らせる。
中途半端。二重の顔。白黒つかない状態。ただの一部。目立たない。だけどそこには、可能性がある気もする。物語の脇役だって、いつ主役になれるかわからないのだから。
ベラが言葉をノートに書いていくのを、ヒラリーは邪魔にならないよう覗きこんだ。どんどん書き込まれていくそれに、いつのまにか胸がドキドキしていた。
なんてプラスな考えかたなのだろう。こんなふうに考えたことがない。中途半端でなにもはっきりとさせられない状態を、こんなふうに言えるものなのか?
ベラは左のページにある程度の言葉を書き込むと、メロディを考えながら順番を整理して番号をつけていった。めずらしくもポップソングになりそうな内容だった。ヒラリーの影響だろう。しかも妙にポジティブだ。こんな考えの人間が目の前にいれば、笑顔でぶっ飛ばしたい気もする。
順番が決まると後方にある棚上からICレコーダーを取り、メロディを録音した。これをすれば、二番を書くのがラクになる。
ヒラリーは黙ってそれを見ていた。ドキドキが止まらなかった。彼女は天才だと改めて実感する。正直なところ、さっきまで劣等感しかなかったのに、それすらどこかに消えていた。この歌の完成版を聴いてみたい。
メロディに従い、ベラは黙々と二番も書いた。ヒラリーがそこにいるのはわかっているが、存在を完全に無視していた。彼女がどう思っていようとどうでもよかった。自分はただ詞を書き、メロディをつけ、イメージを固めて、それに曲をつけてもらうだけだ。誰がうたうことになろうとどうでもいい。自分は絶対にうたわないのだから。




