* Open The Black Star
地下一階、ブラック・スターのメインフロア。
ダークブラウンの板張りというアットホームな空間を、オレンジの照明が少し落ち着いた雰囲気に変える。右にはドリンクカウンターが、その奥には厨房があり、そこではベラの、先週亡くなったばかりの祖母のレシピに従った様々な料理が作られる。
廊下の正面、メインフロアの奥の、少し高台になった木製の柵つきステージは、今年二月、受験に集中していたはずのベラのなにげない思いつきから一度取り壊され、引き出し式収納を兼ね備えたものに生まれ変わっている。そのステージからテーブルまでは少しばかり距離があるので、その点を利用して、いくつかの弦楽器や予備のマイクなどを収納できるようにしているのだ。そしてステージは背壁を黒にし、スタンドにセットされたマイク、そして持ち運びが困難なドラムと、脇にいろいろな機材を構えていた。
とにかくここでは素顔を晒すことを避けてきたベラは、相変わらずサングラスをかけたまま、ケイトに幹部たちを紹介した。当然、ディックの恋人だと言って。途中から、その役目はディックが担った。幹部どころか、店のスタッフ全員に言った。手を出したらどうなるかわかってるな、と。普段はそうでもないのだが、女に対する彼の調子のよさは天性らしい。
そんな姿に呆れ返りつつも、ベラは幹部のヒルデブラント──愛称ヒルデから無線機を受け取った。フロアチーフである彼はヤンカの夫で、ディックの同級生でもある。年相応に落ち着いていて、おそらく幹部の中ではいちばん常識をわきまえた人間だ。ヤンカと彼はよく意見を対立させ、一週間に一度は別れるだの別れないだのというやりとりを繰り返すが、どちらも本気ではない。お互いがお互いに心底惚れていて、そんなやりとりすら楽しんでいるらしい。周りからすれば非常に迷惑、という話もなくはないのだが。
午後十七時四十五分。
合わせて六十人以上の全員にドリンクが行き渡ると、ステージの前に立ったディックとヒルデ、ヤンカ、マトヴェイが、マイクを使って代わる代わる言葉を発した。この店の趣旨や、オープンからの流れの最終確認、まだ夕食を済ませていないなら各自様子を見て済ませること、トラブル時はどうするか等──そしてなにより、自分たちが楽しむこと、と。スタッフは全員、客との区別をつけるため、ブラック・スター専用のリストバンドをつけている。
それじゃあ、と乾杯の合図を出そうとしたマトヴェイの言葉を誰かが遮った。
「けっきょくベラの年、聞いてないんだけど?」
周りのスタッフたちもざわつきながら同意する。カウンター席でケイトとデトレフのあいだに座っていたベラは、やはり天を仰いだ。どうしてそんなに年齢が気になるのかが本気でわらかない。
「ほんとに隠してるのね」ケイトが彼女に小声で言った。「徹底的」
「笑えるでしょ、わりと偉そうにしてるのに、実はいちばん下っ端なんだから」
ケイトは笑った。
「ベラ、自分で言え」
そんなディックの声で、スタッフたちの視線が一気に彼女に集まった。ベラはしかたなくドリンクをカウンターに置き、チェアに立った。笑うデトレフから受け取ったドリンクを掲げて、はずしたサングラスを持ったままの手を腰にあてる。
「来週高校入学。おめでとう、私」
「は!? 十五!?」ウェル・サヴァランの双子の片割れが声をあげた。「マジで!?」
周りのざわつきも一層大きくなる。それをディックが止めた。
「だから奴が十六になるまでは、どれだけこの店で働こうと給料は払わん。つまりバイトですらない。ただこの店をうろついて、歌をうたうだけ。それなら法律的にはなんの問題もない。先に忠告しとくが、こいつのことを客だの警察にだのにバラして、ベラがここでうたえなくなるようなことになったら、どんな仕打ちをされるかわからんぞ。ガキではあるが、こいつは人間を精神的に追い詰める天才だからな」
ディックの脅しは嘘ではなかった。事実彼女は中学二年生の時、ひとりの男を精神的に追い詰めたあげく、引っ越しまでさせている。それ以外にも、年齢問わず何人かの人間に、大恥をかかせ追い詰めて泣かせてきた。
半信半疑な様子のスタッフたちに向かって、ベラは微笑んだ。
「そう、天才なの。幹部のみんなが教えてくれたでしょ、性悪の悪魔だって。話に聞く以上にタチが悪いのよ。放っておいてくれればなにもしない。でもこの店の営業と私のシンガー生活に影響が出るようなことをすれば、私は手段を問わずに復讐します。デトレフが腕で押さえこんで身体的に傷つけるタイプなら、私は頭を使って精神を傷つけるタイプ。勉強はできないけど、社会的に消滅したくなるくらいの大恥をかかせるのは得意なので」
デトレフをはじめ、マトヴェイやパッシは大笑いした。
「そういうことだ」と、少々引き気味の彼らに向かってディックが続ける。「見た目に騙されるなよ。客にベラの年齢を訊かれたら、とりあえず企業秘密ってことにしとけ。それから、ベラとケイトとヤンカ以外なら誰を口説いてもかまわんが、片っ端から口説いて客を減らすなんてのはやめてくれよ。そんな危険性があるのはデトレフとマトヴェイだけでじゅうぶんだ」
どっと笑いが起きた。
「じゃあ、改めて」ヒルデがドリンクを掲げた。「いよいよオープンだ。みんな、楽しめよ」
ヤンカがあとに続く。「新しい門出に」
「最高の一日にするぞ」マトヴェイが乾杯の合図をとる。「乾杯!」
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スタッフたちはそれぞれ配置につき、緊張しているバンドマンたちは再び練習に戻ったり、そうでなければ紛れこめるよう待ち構えたりして、ブラック・スターははじめての客たちを迎え入れた。
ディックとエイブは、もうひとりのバイトの男と三人で廊下の先に立ち、最新のハイテク機材を使って、十七歳から二十九歳までの人間以外が入らないようIDカードで生年月日を確認しつつ、二十歳以上の人間にはアルコール注文可能という印に、手に特殊なインクを使ったスタンプを押している。数時間で消える、“BS”をロゴにしてデザインしたものだ。スタッフ用リストバンドと同じロゴでもある。
さきほど外で会ったカレルヴォが、隅でケイトやパッシと話していたベラに声をかけた。女連れの彼に結果を報告すると、彼は笑った。カレルヴォは歌を楽しみにしてると言ってカウンター席につき、女友達二人も店に入ってきたからと、ケイトは彼女たちのところに戻った。パッシも自分の恋人の姿を見つけ、一目散に駆けていった。そこに、ウェル・サヴァランが声をかけてきた。
ウェル・サヴァランは今年から大学生になる。ボーカルとギターの二人が双子で、そのうちひとりは坊主頭でB系スタイルの服装を好むらしい。それからお喋りなギター担当のブロンド男がもうひとりと、ベース兼キーボードという両刀使いの赤髪男、喧嘩が好きそうなドラム担当の男の五人で活動している。うたうジャンルはパンクだが、他のパンクバンドとは違っていて、ベラはポップパンクと判断した。音もしっかりしていて、ヘビーというわけではないものの安定しているので、パンク嫌いのベラも彼らの歌は好きだ。
「ずっと気になってたんだけど」双子の片割れ、坊主頭が言った。「お前がクリスマスのライブで声かけてきたのって、ディックの計算か?」
そのとおりだったが、ベラはすっとぼけた。「計算て?」
「いや、よくわかんねえけど。ここの話を持ち出された時は気づかなかったけど、ディックにだって見覚えがあった。で、ここでお前見て思い出した。お前がライブの時、一緒にいた相手だ」
よく覚えている。関心だ。「どうでもいいじゃない、そんなの」
ギターのお喋り男が割り込む。「んじゃベラ。こいつら二人、どっちがどっちだかわかるか?」
双子のどちらがどちらかというのはわかるし、一度は自己紹介もされているものの、ベラは彼らの名前を覚えていない。
「今話したほうがギターよね。で、こっちが」もうひとりの片割れを示す。「ボーカル」
「すげえ! 一発!」
「服装でわかるんじゃね? 何回かは会ってるわけだし」と、坊主頭。
「まとってる雰囲気が違う」ベラは答えた。「あなたはなんだか、オーラが少し黒いのよ。あれこれ細かく計算してる気がするし、ぎすぎすしてる。つまりちょっと性格が悪そうってこと」
彼は呆気にとられたものの、他の四人はけらけらと笑った。
気にせずに、ベラが失礼な質問をセリフを続けて放つ。「で、名前、なんだっけ。ヒトの名前、覚えるの苦手なの」さらりと嘘をまじえる。「一気にこられると、わけわかんなくて」
肩をすくませたものの、彼らは改めて紹介をはじめた。
双子の片割れ、子供っぽいボーカルの男がジョエル。その片割れ、黒オーラを放つのがギターのベンジー。もうひとりのギター、お喋り男がピート。ベースとキーボードを使う二刀流の赤髪がマーヴィン。そしてドラムを扱うソフトモヒカンの男がルース。
彼らは本当に覚えたのかと疑って、何度か確認をさせた。ベラはやっと彼らの名前を覚えた。
誰かがサヴァランたちを呼んだ。声の主にはベラも見覚えがあった。去年のクリスマス、ウェル・サヴァランが参加したライブで、立ち上がろうとした自分にエルボーをお見舞いしてくれた男だった。彼もベラに気づき、またもあやまったが、彼女はもういいと冷たく返した。
ベンジーがエルボー男の肩に腕を置いて彼を紹介する。
「こいつはトーマ。今年高校三年になる。オレらの大ファンだって話」
ジョエルが補足した。「かなりしつこくつきまとってくる。ライブなんて毎回観にきてくれてた。ここのことは教えなかったんだけど、噂聞きつけたらしい」
「しつこくってなに!? なんで迷惑系!?」
エルボー男、トーマは口ごたえしたが、無視された。彼の連れの男二人のうしろにまわったピートが彼らの肩に両腕をまわす。
「んで、こっちがタフィ。こっちがステファンな」と、二人の男を紹介した。
紹介されたところで、ベラが興味を示すはずもない。
「エルボー男と連れ二人、じゃダメなの?」
「俺らはいいぞ」ルースが言った。「どうせ客だし。お前の年も教えられねえ。お前は男嫌いだって話だし」
「え、年わかったの?」タフィが訊ねた。
ベンジーが答える。「わかったけど、残念ながら教えられねえんだよ。客には公表するな、だと」
「なんだそれ?」
「ジョエル!」
またも聞き覚えのある声がした。声の主の姿を確認したベラは、思わず舌打ちしたい衝動に駆られた。そんなこととは知らず、ジョエルは後方から駆け寄ってきた彼女に応えてハグをし、頬にキスをした。続いてベンジーにもハグをすると、女はピートたち、トーマたちに挨拶して、ベラに気づいた。
「また会えて嬉しい」と、女が笑顔を向ける。
彼女はヒラリーといって、おそらくジョエルの恋人であり、ベネフィット・アイランドの隣のプレフェクチュール、インセンス・リバーに住んでいるらしい。ウェル・サヴァランがライブをしていたゼット・バグにも時々顔を出し、何度か彼らと共演したことがあったという。これらは人づてに聞いただけの話で、ベラは去年のクリスマスのライブで一度会っただけだ。ライブで会ったというよりは、ディックの命令で、サヴァランのメンバーに自分のことを印象づけるため、花屋に薔薇を買いに行き、そこで会ったというのが正しいけれど。
少し話しただけでなぜこんなに嫌ってるのかというと、そのライブの時、ヒラリーが飛び入りで、ベラが世界一といってもいいほど嫌いなクリスマスソングをうたったからだ。もうひとついえば、その演奏をしたのがサヴァランのメンバーだということもあり、ベラはサヴァランのことも好きではない。
「そういえば言ってなかったっけ。彼女もここでうたうんだよ」ジョエルがベラのことを説明した。「すごいよ。ハードロックからバラードまで、なんでもうたうんだ」
ピートが補足する。「つってもオレら、そんな何曲も聴いたわけじゃねえんだけど。ぜんぜん聴かせてくれねえんだよ、練習も見せてもらえねえ。なんか、バンドメンバーさえしっかり練習しとけば、一度合わせただけで完璧だとかいって」
ヒラリーは目を丸くした。「ほんとに? すごいのね」
ベンジーがなにをうたうのかとベラに訊ねた。
「とりあえずしょっぱなから三曲。“Black Star”、“Acting Out”、“Brick By Boring Brick”」
ベラが答えると、彼は笑顔で指を鳴らした。
「よっしゃ、“Brick”がある!」
「こいつ、すっかりあの曲の虜だよ」ジョエルが言う。「ディックたちにも頼んだんだ、せめて曲だけでもくれって。当然拒否されたわけだけど」
「他のはなに?」マーヴィンが訊いた。「“Black Star”ってあれだよな、オープニングに使うって聞いた。で、“Acting Out”? も、ロック?」
「当然。“Black Star”は短い。プロローグ的なもの。そこから“Acting Out”にうつる。最初からかっ飛ばしてくの」
「今日決まってんの、それだけ? そのあとは?」
「適当。客のノリと空気しだいで、音楽だけで気まぐれにぶっこむ。バンドたちがわりと緊張してるから、予定どおりにまわせるかわからないって話だし。私、曲だけは無駄にあるからね」
ジョエルが割り込む。「それいきなり言われて、やっぱすぐに歌詞出てくる?」
「出てくる。言ったでしょ、自分で書いた。三分くれれば、その歌のキャラになりきるわよ」
関心する彼らをよそに、トーマが口をはさむ。「っていうか、ちょっと待って。流れって決まってないの? ライブハウスみたいに、誰が一番手で二番手で、なにうたって、みたいな」
ベンジーが答える。「いや、決まってる。オレたちバンドはな。あと、ベラが今日先陣切るってのも。けどそれ以外、ベラはフリーらしいんだよ。オレたちはどの順番でなにをうたうかってのを決めてるけど、ベラはほとんど決めないんだと。だから今日の通しリハにも一切顔出してない。それどころか、もし時間がなくてバンドとして練習できなくても、バンドメンバーさえ個々のパート覚えてりゃ、あとはぶっつけ本番でどうにかするってさ。まさかとは思ったけど、どうやら本気でそんなんらしいわ」
「そんなのアリ?」
ルースが応じる。「アリかどうかは聴きゃわかる。“Brick”はお前も気に入るぞ、絶対」
彼らの後方からディックが声をかける。「ベラ、そろそろいくぞ」
「了解、ボス」返事をすると、サングラスをはずし、彼女はヒラリーに向かって微笑んだ。「ロックの世界へようこそ。楽しんでね」