○ Missing Man
よほどの自惚れ屋でない限り、販売用のディスクは一組のバンドにつき三十枚程度しか作らない。金銭面や売れ残りへの不安で十枚程度に留めるバンドもいる。
本印刷待ちだった七組のバンドの分はヒルデブラントとガエル、パッシとアナイが製本までどんどん進めてくれ、そのあいだにヤニはベラが途中まで作業していた分を含めた三組分を、エイブはゼロから一組のバンド分を、ナイルとトーマはそれぞれ一組分のリリック・ブックを完成させた。ベラは試印刷するたびに残っているバンドに確認に行き、時々ヒルデブラントたちを手伝ったり、ヤニたちの作業に口出しをしたりした。
ヒルデブラントとガエルが帰ったあともパッシとアナイは残ってくれ、ベラはそこも手伝った。本印刷の時は、万一の場合の眼も必要になる。朝の五時が近づくとさすがに疲れた様子のパッシとアナイが帰り、ナイルとトーマも六時頃に限界を迎えたのでタクシー代を渡して帰らせた。最終三組分となったリリック・ブックの本印刷と製本をヤニと二人で終えた時には、朝の七時半になっていた。
リリック・ブックと裏ジャケットをすでにディスクが入っているケースに入れたり、それをさらにビニールの袋に入れたりというのはバンドたちがそれぞれやるため、完成したそれぞれを小ぶりなダンボールに詰め、キーズが店を開けてバンドたちが取りにきたらノエミに渡してもらうことにした。
「とりあえず今日はもうお前、仕事やすめよ」ダンボールを棚に置いたヤニがベラに言った。「来週試験だろ。勉強しろ」
思い出したくない現実。「替え玉ってできないかな」
「誰がやるんだよ。まえに言ったとおり、俺は今回はつきあえないからな」
ヤニは単位にそれほど余裕がない。進級はできるらしいが。
「わかってるよ。今回は最終兵器に頼んであるからだいじょうぶ」
最終兵器──つまりはルキアノス。そしてアドニス。彼らは先日、ナイル、ゼインと四人揃ってフォース・カントリー大学から合格通知を受け取った。合格祝いをしようかと言ったものの、こちらの学年末試験が終わってからだと言われた。間違いなかった。だからよけいに、記念アルバム制作も、キリのいいところまで進めたかった。
ルキアノスとアドニスふたりが勉強を教えてくれるとして、何人までいけるんだろう。さすがに多すぎはどうかと思うけれど、なんならマーシャとセルジとニルスはだいじょうぶだろうけれど、自分を含めてその他は危ない。いや、どちらかというと、危ないのはダリルたちか。ハンナたちは得手不得手が分かれているけれど、ダリルたちは全体的にだし。
自分が留年するわけにいかないのはもちろんだけれど、どうせならみんなで進級したい──なんてことを、ここ最近、ぼんやりと思うようになった。去年の受験の時の自分とは大違いだ。
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朝の八時すぎ、アパートメントまで送ってくれたヤニの車を見送ると、ベラはエレベーターの中でアゼルにメールを送った。今から寝るけど、起きたら会える、と。
家に入ったところで電話がかかってきた。
眠そうな声でアゼルが言う。「今どこ」
起こしてしまったのか、起きていたのか、やはりベラにはわからない。「今アパートメントに帰ってきた。徹夜で仕事してたから、今日は休む。ものすごく眠いから寝るんだけど、あんたがいいなら起きてから行こうかなって」
「俺も眠いから寝る。ニ十分くらいで迎えに行く。シャワーもこっちでいいだろ。服だけ持ってこい」
眠いから寝るのに迎えにきてくれるのか。シャワーまでつきあってくれるのか。そんな矛盾に、ベラの口元はゆるんだ。
「わかった。ごめんね。待ってる」
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また少々伸びた髪についた寝ぐせもほどほどに、車を飛ばして迎えにきてくれたアゼルの車に乗り込むと、コンビニに寄ってからアゼルのコンドミニアムに行った。
ふたりでシャワーを浴び、軽く朝食を食べながら、起きたら買い物に行って食料の買い溜めをし、明日の夜まで引きこもろうという話をした。
そうこうしているうちにアゼルの髪は乾くわけだが、彼と違って長いベラの髪はそう簡単には乾いてくれないので、いつからか勝手に置いているドライヤーで根気よく乾かすという手間が必要になる。この日はなぜかそれを、普段ドライヤーなど使わないはずのアゼルがやってくれた。ドライヤーを使っていればその音で会話などできないのに、彼は黙々と彼女の髪を乾かしていた。
やっとそれを終えると、ふたりはじゃれながらベッドに倒れ込んだ。そのうち眠った。
十四時頃起きると、今度はだらだらと準備をし、十六時頃にやっと買い物へと出かけた。いくつかの店をまわり、缶ビールを数箱と、日持ちするもの、しないものを含めた食材、そしてお菓子を買った。
「これ、絶対一回じゃ持ってあがれないよね」助手席から後部座席に積み込んだ荷物を見ながらベラが言った。「ビール缶二十四本が入った箱を三箱って、買いすぎな気がする」
アゼルはパーキングエリアにバックで車を停め、エンジンを切った。「ちまちま買いに行くほうがめんどくさい。あとでか、明日でもいいだろ」
「あとでとか絶対行かない気がするけど。あれだ、すぐ取りにくればいいんだ」
「めんどくさ」
「買ったのはあんたでしょ。ショッピングカート使ったんだから、ちゃんと戻すとこまで戻しなさいよ」
「使ったのはお前だし。お前が持ってるカートに乗せてただけだし」そう言って、彼はドアを開けて車を降りた。「持てるだけ持て。ビニール袋じゃなくて紙袋にしたのはお前なんだからな」そして運転席のドアを閉めた。
ショッピングカートの使用者は、ふたり一組ではなく持ってきた者、押した者でカウントするのか。知らなかった。などと思いながら、ベラも車を降りて助手席のドアを閉めた。
「荷台買わない? こういう時のために」
「それを取りに行くのがまずめんどくさいわ」
「車に乗せとけばいいじゃない」
「いらねー」
それならいっそのこと、ネットショッピングに登録すればいいと思う。
「あ」と言って、またアゼルが運転席のドアを開けた。インストゥルメントパネルをのぞき込む。「ガソリン入れんの忘れた」
そういえば帰りに入れると言っていた。「行く?」帰りにガソリンスタンドを見たはずなのに、ただの景色としてしか見ていなかった。
「めんどくさい」と、彼はまた運転席のドアを閉めた。
すぐそこにある。が、だからこそとも言える。「残念」
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ベネフィット・アイランド・シティの中心部──といえる場所からは少々離れた所、センター街の外郭でタクシーを降りたベンジーは、これからどうしようと考えていた。
昼前にはキュカといたナイトホテルを出たものの、食事をとったあと流れでキュカの家に行き、帰るに帰れず、夜までダラダラしていた。シャワーは借りたもののさすがに着替えたくなり、彼女は送ると言ったが酒を飲んでいたので断って、タクシーに乗ってどうにかここまできた。
さすがに財布の中の金がなくなった。すっからかんだ。センター街まで辿りつけただけでも奇跡だ。ここまでだって、金を払えるぎりぎりの場所だった。
さて、どうしよう。ジョエルを呼ぶ? 金はどうにかなるかもしれないが、なにをどう説明すればいいんだ。いきなり消えて、連絡もなく丸一日帰らなかった兄に説明を求めないわけがない。
しかもなんなら自分には今車がないわけで、金もないわけで、だから家に帰るなら車を借りなきゃいけないわけで、でもあいつが車で店に来てるとは限らないわけで、そもそも今日はライブの日で、店で普通にうたっている気がする。バンドは自分がいなくてもプレイはできる。マーヴィンだってコーラスはできるし、ギターはピートだけでも(物足りないだろうが)できる。
さて、どうしよう。車を置いていったことはバレているはずだから、どこかに泊まったこともバレているはずだ。どうにかかわせるものなのか。なんたって言い訳が必要な相手はジョエルだけじゃない。そもそも言い訳が必要なのかは知らないが、なにも言わないにしても、ルースは勝手に女だと思い込んでにやけるだろう。ピートもにやけて茶化す。マーヴィンは話さないとわかればそれ以上は訊かない。ジョエルは──怒ってる気がする。しれっと怒ってる気がする。わかりづらく、でもわかりやすく怒ってる気がする。仕返しにオレの車の鍵とか持って出そう。いや、自分の車の鍵は自分が持ってるけど。
それより店は? どのツラさげて顔出す? 信用問題にかかわるのか? 怒られる? 呆れられる?
確かベラは休むと言っていた。だから今日の店の負の感情はぜんぶ直接自分にくる。気をそらせてくれるかもしれない人間がいない。ヒラリーには無理。絶対無理。なんなら庇われたところでよけいにジョエルの機嫌が悪くなる。
ケイトはもういない。キュカならやってくれたかもしれないが、そもそもそのキュカと一緒にいたし。エルバだって、キュカと喧嘩まがいのことをした(らしい)し、虫の居所は悪いだろう。というか下手したら店にいない。
あとからベラに話がまわって、あとから攻撃される可能性だってある。怒られても当然な気はするが、連絡しなかったのも確かに悪かったが、こればっかりはどうしようもなかった気がする。
そうやって言い訳して通るものかがわからない。携帯電話の電源を入れるのが怖すぎる。ジョエルたちだけじゃなくて、ディックや他の奴らから電話がきてたらどうしよう。
待て待て待て、本気でどうしよう。こんなところにいてもしょうがない。あいにく学生証も持っていない。バスに乗るにしても、そのバス代すら残ってない。なんでセンテンス・ロジックの学生を狙ったみたいにセンター街からのバス代が五百フラムもかかるんだ。バカなのか。そんな金すら今はない。ぎりぎり缶コーヒーが買えるくらいの金しかない。本当の本当にすっからかんだ。だからって歩く元気はない。なんならバス停まで歩く元気すらない。ヤりすぎたせいで、腰も脚もかなり痛い。正直かなり疲れた。
うん、どうしよう。でもどうしよう。マジでどうしよう。
金。知らない女に声をかける。無理無理。タクシー代に見合う行動をとれる気がしない。ならタクシーを呼んで、金とってくるから待ってて、って? いやいやいや、危険すぎる。金をおろすにしたって、キャッシュカードなどという立派なものは持っていない。毎月の小遣いだって、金の管理ができなさすぎて、ぜんぶジョエルまかせだ。
あれ、けっきょくジョエルに頼まないとなにもできなくないか? どっちにしても当面の金は借りるしかないが、それにしたって。
考えれば考えるほどわけがわからないし、考えが一向にまとまらないので、仕方なく、ダウンジャケットのポケットから携帯電話を取り出した。恐るおそる電源を入れる。
──メール三十五件、不在着信四十二件。
怖すぎる。モテすぎだろ、オレ。いや、違うだろうけど。
その二つのシステムの、今まで見たことがないような未確認数は無視して、応じてもらえない確率も無視して、ベンジーは、ベラに電話をかけた。
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二十一時すぎ──ベラはセンター街の裏手にある高台のふもとにいた。トレーラーズ・ミッションというなにかの店だか施設だかの看板がある。センター街のムーン・コート・ヴィレッジの裏手にある公園の、さらに裏手にあたる場所になるので、それほど明るくはないしうるさくもなく、時々車が通る程度だ。
なぜ突然こんなところにくるはめになったのかというと、昨日の夜から行方不明、今日のステージもしっかりサボったらしいベンジーから突然電話がきて、"金を貸してほしい"と言われたからだった。
タクシーで行くつもりだったが、アゼルがついでにガソリンを入れると言って送ってくれたので甘えることにした。アゼルがガソリンスタンドに向かうと、彼女は待ち合わせ場所となっているだろう歩道の柵に腰かけた。どうせならソラ―ド21にしてくれと言ったが、あのコンビニは店の客やバンドたちも立ち寄ることがあるからと拒否され、待ち合わせがここになった。
他の大学生よりもお金を持っている様子だったベンジーが突然無一文になった理由については訊かなかった。店を、幹部だけでなくジョエルたちにも無断でサボったことについてもなにも言わなかった。少し歩けばブラック・スターも、そのまえに(開いているかは知らないが)サイラスの店だってあるのに、そこに連絡をしないということは、彼なりの理由があるのだと思ったからだ。
五分ほど待つと、とぼとぼと歩いてきたベンジーが声をかけてきた。
「まじで悪い」
「べつにいいけど」バッグから財布を、そこから二万フラムを出して彼に渡した。
彼はぎょっとした。「いやいや、そんだけいらんて。せいぜい千フラムでいいって!」
「使わなかったらすぐ返してくれればいいし、無理なら返せる時でいい」
「あぁ──」
「タクシーで帰るんでしょ? 番号わかるの?」
「いや、知らんけど、ネットで調べれば──」
「いつも使ってるところの、呼んであげる。私は迎えがくるからいらないけど」
そう言うと、ベラはタクシー会社に電話をして一台きてもらえるよう頼んだ。
彼はめずらしく申し訳なさそうだ。「いや、もうほんと、なにからなにまで──」
無視して彼に言う。「ジョエルたちが、あなたのことでこっちにメール送ってきてた。ジョエルは、あなたから連絡があったら教えろって。私がそれに応じる義務はないとは思うんだけど、昨日の夜中? も、彼、あなたと連絡つかないって電話してきてた。マーヴィンたちからはメール。
今日のステージはマトヴェイとパッシがあなたの代わりに出たらしいし、ディックたちが怒ってる様子は特になさそうだから、言われるとしても、怒鳴られたりはしないと思う。全員に理由つけて説明しろとは言わないけど、あやまる必要があるならあやまっときなさいよ。明日は復帰するだろうけど理由は訊くなって、ディックにだけはメール入れといてあげる。それでたぶん、店のほとんど全員の口を封じれるはず」
「あぁ──オレもディックにはメール──か、電話しとく。けどそのまえに、ジョエルだ」
「うん、そこだろうね。あとサヴァラン。ディックはそれほど気にしてないと思うわよ。幹部たちからあなたの行方不明問題について報告はあったけど、とやかく言ってるわけじゃないし」
「お前は訊かないわけ?」
「訊いてほしいの?」
ベンジーはきっぱりと断った。「いや、無理。答えれん。少なくとも今は」
うーん、可能性のひとつとして考えていただけだったが、本当にそうなっているかもしれない。まさか、キュカに走るとは思わなかった。いや、キュカが彼に走ったというべきか。
「なんでもいいけど、ごたごたするのはやめてね。めんどくさいから」
ベンジーは、悩むように変な唸り声をあげた。「いや、これっきりだ。二度とない。──はず」
行きずりかよ。まぁいいか。勘が当たっているにしても、二人ともそれなりにオトナだ。たぶん。
「ならいいけど」
アゼルから電話がかかってきて、もうすぐつくということだったので、ベラはベンジーをその場に残して反対車線へと渡り、迎えにきたアゼルの車に再び乗りこんだ。
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「そういえば、あんたのとこって、車にオーディオデッキもつけれるんだっけ?」
コンドミニアムへ向かう車内でベラがアゼルに訊いた。
前方を向いたまま彼が答える。「つけれるけど」
「中古のデッキはさすがに置いてない?」
「あー、あるかもしれんけど、車種によってつけれるもんとつけれんもんがあるから、なんとも」
「なにがあればわかる? 車種と車番? みたいな?」
「車種とデッキんとこのサイズじゃね、単にデッキ置くだけなら、だけど」
「ヤニの車のデッキ、壊れたままなのよ。春休みに引きずってくから頼んでいい?」
「普通の店行けよ。中古なんか使ったらまたすぐ壊れるだろ」
ベラは不満そうに唇をとがらせた。「だって高いらしいし。そんなことに金使いたがらないし。デトレフに訊いたけど、新品買うならつけてやるとか言われたし。ケチだし」
「中古のパーツならチェーソンのとこだろうけどな」
「やだおもしろい。あんなとこまで行けない。めんどくさい」
「そもそもお前がまた勝手に言ってるだけじゃね」
間違いない。「あいつがデッキを復活させてくれないと、私は中途半端な時間で思いつきフレーズをレコーダーに数秒吹き込み続けることになるのよ。あ、そういえば、なんかこないだヒラリーがそれをひとつ聴いたらしくて、で、ヤニの車でこっちにくるあいだに歌詞ができたら? 曲作りを彼とやるとかいう話になったらしいんだけど、できるはずもなく諦めた、とか言ってた」
「なんの話だよ」
「こないだヤニが言ってたのを思い出した」あの曲の続きも作りたいところだけど、今はわりとそれどころではない。だって、今はなんだか、"キレイ"ではない気がする。
車は左へ曲がり、バイパスへと出た。
「とりあえず、やるなら車種訊けよ。あとデッキんとこの写真。俺もそこらへん詳しくねーから、訊かねーとわかんねー」
「わかった」