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R E D - D I S K 0 4  作者: awa
CHAPTER 30 * We Just Go On
186/191

○ Possibility That A Ring Has

 水曜の学校──に、きたはいいものの、朝っぱらから数学の授業など受ける気にはならず、ベラは旧図書室にいた。

 外ではしとしとと雨が降っていて、それがさらに気温を下げている。この旧図書室にもエアコンはついているが、古いのだろうそのリモコンの電池が切れていて、普段使われていないそこに乾電池の予備などあるはずがなく、コートを着たまま、去年ケイが高校の合格祝いにくれた手帳をひらいている。

 最近は学校が終わってもキーズ・ビルにいることのほうが多いので、うたう機会も以前に比べると、本当に少なくなったと思う。やりたいことが多すぎて、やらなければいけないことも多すぎて、赤白会議室にいることもあまりないので詞を書く時間も限られていて、学校にいるときにまでそのことで頭がいっぱいになりそうなのを、変な詮索を避けるために無理やり、そこらへんにいるハンナたちやギャヴィンやジャックと話すことで気を紛らわせているような状態だ。

 ──やりたいことを考えないようにするためにニガテな人間(ジャック)と話すというのも、なんだか変な話だけれど。

 今月末には、アゼルの誕生日がある。それまでにはジャック問題を解決したいところだが、もう本気でどうでもいい。面倒でしかない。そんなことをしている暇があるなら詞を書きたい。音楽を作りたい。アルバムを完成させたい。ヤニにものすごく微妙な顔をされた、トーマたちのデビューアルバムの制作もあるし、人生でいちばんではないかというほど忙しい。

 笑える。ぜんぶブラック・スターだ。いつのまにか私の人生は、ブラック・スターに覆いつくされている。アゼルとうまくいっていない(ような気がする)ぶん、よけいだろう。

 祖母が生きていたら、今の私のことを知ったら、どう思うだろう。

 マスティは? ブルは? リーズは? ニコラは?

 ──自分の、父親は?

 突然教室の戸が開き、ベラはペンを止めてそちらを見た。

 まさかだ。まさかのジャック(苦手な人間)がいる。

 「あれ、先客か」彼は戸を閉めて彼女のほうへと歩いてきた。

 「遅刻ですか?」

 「うん。寝坊した」

 とりあえず手帳をとじる。「このあいだ私、脅された。単位とれてると思ってるのは計算間違いかも、進級できないかもって、ミースター教諭に」

 ジャックは笑ってバックパックを机に置き、ベラの向かいの椅子を引いた。腰をおろす。

 「それなら僕もまずいかも。たまに授業中でも気づいたら寝てるし。君と同じ」

 「ギャヴィンも寝てるわけだけどね」と言いながら慌てる様子もなく、手帳を隣の椅子に置いてあるバックパックにしまった。「私たち三人、わりと目つけられてると思う。赤点とったら容赦なく補習だって」

 「それはイヤだな。だからって勉強は嫌いなんだけど」

 それはこちらも同じだ。勉強は嫌いだし、補習など受けている時間もない。だからといって、補習を受けないために勉強などしている時間もないわけだが。

 ベラは彼に向かって微笑んだ。「うちで一緒に勉強する?」

 ジャックはぽかんとした。「え」

 「勉強嫌いが補習を受けないための勉強会」

 少々沈黙。

 「──カノジョが」彼は申し訳なさそうに言葉を継いだ。「いるから」

 「そ」立ち上がり、ペンケースとバックパックを持った。「またあとで、教室でね」

 「え、戻るの?」

 振り返らずにドアへと向かう。「怒られるのは慣れてるから」

 笑いだしそうになりながら図書室を出ると、アゼルにメールを送った。

  《カノジョがいるから、で終わりました。遅刻を怒られる覚悟で授業に出ます》

 本当にもう、なんなのだろう。ほんの数分前までは、面倒だとかやりたくないとか考えていたはずなのに、気づけば一瞬で終わっていた。

 ジャックはどう思っただろう。彼はこちらがアゼルと別れたと思っていて、おそらくそれは今も変わっていなくて、なのに自分を(勉強という名目ではあるが)家に誘ってきたとなると、それなりに気持ちがあるものと思うだろうか。いや、彼は鈍いのだったか。“一緒に”と言っただけで、“ふたりきりで”とは言っていない。そのまえにギャヴィンの名前も出しているが──まぁ、どうなろうとどうでもいいか。

 自分が気にするべきなのは、アゼルと今後どうなるかだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 その日の放課後、雨はすでにあがっていて、ハンナ、エフィと一緒に学校を出たベラは、自分の目を疑った。

 「あれ? あの車──」

 エフィが言うと、ハンナはなにかと訊き返した。

 あの車は、間違いなくアゼルの車だと思われる。反対車線の路肩に停まっている。朝送ってもらったとき、彼がいつも車を停める場所だ。

 アゼルは窓を開けたりしない。手招きなどもしない。電話もしないしメールもしない。

 「え、なに?」

 ハンナが言ったが、ベラは無視した。「迎えがきたから、また明日ね」

 車のほうに向かって歩き出しながらも、ベラは口元がゆるむのを抑えられなかった。

 純粋に、嬉しかった。めずらしくアゼルが、自分の意志だけで仕事を早く切り上げ、何時に出てくるかわからない自分を迎えにきてくれた。

 車に乗り込むと、ドアを閉めてすぐに彼にキスをした。約半月ぶりのキスだ。

 「作業着だ」嬉しそうにベラが言った。

 アゼルの手もベラの頬にある。「とりあえず一回帰るか」

 「また出るの面倒だから、私の家に行って着替えとって、買い物行ってそれから帰る」

 「シャワー浴びたい」

 「そんなの私が許すわけない」

 「意味わかんねぇ」

 「さんざん待たせたんだから、ちょっとくらい時間ください」

 「待たせたのはお前だろ」またキスをした。「とりあえず車出す」

 当然ベラはディックその他に、今日は行かないと連絡を入れた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 木曜の夜──キュカは恋人であるジョンと一緒にいた。仕事が終わってから一度帰り、迎えにきた彼の車に乗って、郊外のレストランで食事をとったあと、ベネフィット・アイランドを南の方向へ車を走らせている。

 「店、行かなくても怒られない?」運転しながらジョンが訊いた。

 「やすみだしだいじょうぶ」とキュカは答える。正直、共同制作の話には興味をそそられたし、先週の火曜に店にいなかったことも後悔したが、あのベラが自分のわがままを聞きいれてくれるはずがない。

 一周年記念アルバムの製作を手伝うことになったものの、トーマとナイルが活躍しているらしく、ベラもヤニも仕事が早いこともあり、強制されたわけではないし、自分がいなくても影響はない。どちらにしてもジョンは週末──土日は絶対的に会えないらしいので、そのときに店に行って手伝えばいい。──と、思う。

 彼は、平日は仕事が終わって時間があれば会えるが、土日は会えないという。なんでも仕事が朝早くから遅くまで続くらしいのだ。彼いわく、IT関係の仕事だという。

 何度かデートを重ね、つきあうことになるまえ、その話をされた。それでもいいか、と。あまり深く考えず、かまわないと答えたので、いまさら訊くに訊けないし、会いたいなどと言うわけにもいかなかった。

 「ならいいけど」彼が言う。「そろそろ止めてくれないと、どんどん南に行ってるよ」

 キュカは笑った。目的もなくバイパスを走り、いつのまにかリトル・パイン・アイランドに入っている。「海、寒いかな」

 「間違いないね。山は? 星がキレイなんじゃない? って、そっちも寒いだろうけど」

 「なんでもいい」自分の右側にいる彼の腕に、自分の腕を絡ませた。「一緒にいたらだいじょうぶ、たぶん」

 信号待ちで停まり、ジョンは微笑んでキュカの頬を撫で、キスをした。

 「今日はそんなつもりじゃなかったのに、誘ってる?」

 彼とは、会えば毎回寝る、というのではない。ただ食事をして終わるときも、そのあとドライブして終わるときもある。最初の何度かはナイトホテルを使ったこともあるが、最近は彼の部屋に行くことも、彼がこちらの部屋にくることもある。部屋にいても必ず、というのでもない。今までつきあってきた男はみんな、それが目的なのかと思われてもおかしくないほど、毎回だったのに。その違いに、どこまでも紳士的な彼に、どうしようもないほど惹かれている。

 「そんなつもりはないけど」彼女は口元をゆるめて答えた。「いいじゃん、山。星。行きたい」

 「オーケー」信号が青に変わったがジョンはまたキスをして、それから車を発進させた。「コンビニ寄っていい? カーナビで行けそうなところ探して」

 十分ほど走ると、キュカが適当に設定した目的地に行く途中でコンビニエンスストアを見つけた。

 「なにかいる?」シートベルトをはずしながらジョンが訊いた。

 「コーヒー飲んだら寝れなくなる?」

 「カフェオレならだいじょうぶじゃない? ミルクたっぷりで」

 「じゃあお願い。あったかいので」

 「うん。すぐ戻る。待ってて」

 ジョンはエンジンをつけたまま車を降りてドアを閉め、コンビニへと向かった。

 キュカは運転席のほうに身体を向け、シートにもたれて、窓越しに彼のうしろ姿を眺めた。

 週末に会えない、というのは、泊まることが不可能、ということだ。平日は自分も仕事がある。一日中一緒にいることなど、休みをとらない限りできない。休んだことはあるが──自分だけが仕事を休んでも意味がない。彼が休めないのなら意味がない。

 ひとによっては、仕事をしてても泊まることはできるだろう。以前つきあった男とそうしていたことはあるし、どちらかが一泊分の着替えと少しの荷物を用意すればそれができる。だがジョンは、それをしようとはしてくれない。どれだけ遅くても必ず帰るし、必ず送ってくれる。

 大切にしてくれているのだろうと思う。喧嘩などしたことがないし、やさしくて誠実で、会いたいと言えば、平日ならたいていは、たとえ一時間しかなくても会ってくれる。その代わり、土日は会議が多いこともあって携帯電話を見る余裕がないらしく、返事がないことがほとんどだが。

 ──そろそろ、いつも以上のわがままを言いたくなる。

 視線を落とすと、自分の指の先にコンソールボックスが目に留まった。ジョンはあまり音楽を聴かないらしく、自分が持っているCDを貸そうかと言ったものの、壊したり失くしたら困る、という理由で断られたことがある。無理強いするものでもないので、それからはそんな話をしていない。

 自分は、手持ちのCD──最近ではブラック・スターに所属するバンドたちのものが多い──を、コンソールボックスに入れている。もちろんグローブボックスにもあるし、それだけでは納まらず、別にケースを用意して後部座席に置いてある。

 音楽を聴かない人間は、コンソールボックスになにを入れているのだろう?

 そんなふとした好奇心から、キュカはそれを少し開けた。そして、きょとんとした。

 パスケースがひとつ入っているだけだ。電車やバスは使わないと言っていたが──社員証かなにかが入っているのか。いや、そうではなく、それ以前に──その隣に、指輪がある気がする。暗くてよく見えないが、鈍く光るそれは、確かに指輪だ。

 彼はいつも、アクセサリーなどつけていない。

 考えることを脳が拒否したのか──心臓の鼓動が暴れ出す前に、無意識にそれを閉めていた。

 そのうち足音だんだん近づいてきて、ドアが開いた。「お待たせ」ジョンが戻った。「レジに立ってたのが新人の子で、けっこう待たされた」車に乗り込んでドアを閉めると、彼は袋からカップに入ったコーヒーをふたつ出し、ドリンクホルダーに置いた。「あとこれ」もうひとつの袋からなにか──ストロベリー味のチョコレートを出して見せた。「買ってみた、なんとなく」

 それは、ベラが好きなお菓子だった。“初恋の味”だと言ったら友達みんながやたら食べるようになったという、ベラが大好きなお菓子だ。

 キュカは彼に抱きついた。なにを言えばいいのかわからない。というより、脳が考えることを拒否しているようで、なにも言えない。

 ジョンは笑って、彼女の髪を撫でた。「待たせてごめん」

 なにか言わなければ。「──食べさせて」

 「うん?」

 「チョコレート」

 「このままだと開けられないよ」

 なにか喋っていないと、考えたくない考えが、脳を埋め尽くしてしまいそうだ。「開けて」

 どうにかして、彼はお菓子の封を開けた。しかし彼女に食べさせるのではなく、自分が食べた。

 「ちょうだいって言ってるのに」キュカは腕をほどいて彼と目を合わせた。「なんであなたが食べるの」

 するとジョンは微笑んで、キュカにキスをした。

 深いキスだったので、彼がくちの中で溶かしたチョコレートが、そのまま口へと入ってくる。

 それは、自分にとっては、“初恋の味”ではない気がした。“罪の味”のような気がした。

 キスは、止まらなかった。お互いの口からチョコレートの味がしなくなるまで続いた。

 「──行こうか」ジョンはやさしく言った。「ここじゃ、落ち着かない」

 軽く息をきらしならが、キュカも答える。「うん。早く」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ジョンの車は決して広いとは言えない白いセダンで、彼の部屋と同じく、無駄なものを置いていない。“生活感がない”という言葉がぴったり当てはまるような部屋で、車だ。

 “インセンス・リバーの出身なんだ”と彼は言っていた。“去年の秋に転勤でベネフィット・アイランドにきた”と。

 それ以上は訊かなかった。いつかインセンス・リバーに戻る可能性があるのか、などとは訊かなかった。もし戻ったとしても、インセンス・リバーなら車で一時間あれば行けるだろうし、平日に会う回数が減るくらいで、別れを考えるほどではないからだ。

 だがあの指輪は、なんなのだろう。他に女がいるのか? というか、インセンス・リバーに本命がいるのか? 自分が“浮気相手”の立場なのか? 土日は絶対的にインセンス・リバーに帰っていて、本命の女と会っているのか?

 秋にベネフィット・アイランドにきた、というのは本当だろう。インセンス・リバーは隣のプレフェクチュールで、遊びにきたことはあるらしく、大まかな地理は知っているが、どこにどんな店があるか、細かいことまでは知らない。早い時間に会えた時、センター街でデートしたこともあったが、記憶が数年前のもので、新しくできた店のことなどは知らなかった。

 それにしても、恋人なら、週末だけでなく平日だって、会いにくることはあるような気がする。そうじゃなくても、連絡はとる気がする。けれどジョンは、無防備に携帯電話を置いてその場を離れたりするし(といっても数分か、長くても十分程度だが)、怪しいところなどない気がする。なにかを隠そうとする人間のほとんどは、携帯電話を肌身離さず持ち歩くものだが、彼はそうではない。仕事の電話がかかってくることはあっても、それ以外で携帯電話が鳴ることは、知る限りではほとんどない。

 本命の誰かがいるとして、普段連絡をよこさず、週末にしか会わないでいられるものなのか? 交際期間が長い? 仕事が忙しい? 淡白?

 もっと他の──普段から彼に構っていられない理由。例えばあの指輪は、ペアリングではなく、本物の結婚指輪で、例えば実は、こどもがいるとか。

 エンジンをつけたままの狭い後部座席、彼とつながっているとき、キュカは果てた。

 「──今日は、早いね」息を切らしながら、自分の上に覆いかぶさるジョンが言った。

 本当に、と、心の中で彼女も同意した。考えたくないことを、自分の中にいるマイナス思考が勝手に考えている。考えたくなくて快感に身を任せているのに、いつも以上に彼を感じていられたのに、その一方で、脳が勝手に“もしかして”の話を進めている。

 “そんなわけがない”と、誰かに言ってほしい。

 彼女は静かに訊いた。「今日、家に泊まっていい?」

 彼は、動揺したわけではないだろう。少々困った表情になったかと思えば、今度は申し訳なさそうな顔をした。

 「どっちも、明日も仕事だし、僕は朝が早い。夜中に電話で起こされることもある。仕事に支障があったらまずいだろう。それに、こんなことしておいてなんだけど、泊まりっていうのは、もう少し時間が経ってからのほうがいいと思う。焦りたくないんだ」

 “そんなわけがない”と、あなたに言ってほしい。

 「──もっと、して」泣きそうになるのをこらえながら、キュカは彼を抱きしめた。「ねぇ、ジョン。愛してる」

 彼も、それに応えた。

 「うん。僕も大好きだよ、キュカ」

 もしかしたら自分は、彼は、あの指輪は、“最悪の可能性”を持っているのかもしれない。

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