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午後十四時頃、トーマとナイルが戻ってきた。少々無理やりではあるものの、どちらもそれなりに元気を取り戻したようだ。トーマは先に到着していたヒラリーへの写真確認を、ヤニと一緒に行うことにした。
ベラはといえば、控え室のソファで仮眠をとったものの二時間で起き、時間が惜しいといわんばかりにまた仕事に取りかかっていた。学校のこと、アゼルのこと、仕事のことも含め、考えることが、悩むことがキライだった。そんなことに時間を奪われるくらいなら、目の前の仕事を片っ端から片づけていくほうがよかった。
キュカもやっていくうちに慣れていったようで、ベラが眠っているあいだヒルデブラントにつきあってもらい行っていたバンドたちへの確認作業も、後半になるとテキパキとこなすようになっていた。目的が明確になればそこに突き進んでいけるタイプだ。
新しい試みである“Stay”と“Don't Stop Believin'”の楽曲制作も、参加メンバー、誰がどのパートにとりかかるかが決まった。ちなみにベラの最初の予定では、サヴァランの参加を許すつもりはなかったので、必要以上にでしゃばるなと彼らに言ってある。召集の時に参加を断固拒否しようかと思ったが、あのメンバーがこの企画を黙って見ていられるはずないし、ずっとしつこくつきまとわれる光景が簡単に浮かんだので、パンクに染まりそうな音をポップ路線に近づける役目を与えることで、渋々許すことにしたのだ。バンドたちはまずは作曲組が、それぞれの時間が合うときに少しずつ、キーズ・レンタルスタジオの一室を使ったりして作業を進めることになる。その場合のスタジオ料金は(ベラの命令で)ディックが支払う。もちろんどちらにも同等に、一日三時間までと決めてのことだが。
キーズ・ビルの作業部屋、先ほどヤニと一緒に向かったヒラリーへの写真確認を終えたトーマが戻ってきて、どの写真をどう使うことになったかの報告を、ベラとナイルに伝えている。
「ふと思ったんだけど」
ベラが突然言った。ベラは、ヒラリーとウェル・サヴァランが一緒に写った写真を持っている。
トーマが言う。「なに?」
「あなたたち、なんでハードロックなの?」
彼はもちろん、ヤニもナイルもぽかんとした。
ベラは続けた。「私の知ってるハードロックグループって、なんていうか、けっこう自己主張が強いメンバーが多いのよ。音楽番組を観たり雑誌のインタビューを読んだわけじゃないから、ただのイメージだけど。詞でもけっこうわかるでしょ、そういうの。
ハードロックじゃなくても、例えばサヴァランはポップ寄りのパンクで、純バラード的な時もあるけど、基本は卑屈。不良ではないんだろうけど仲間内じゃ騒がしくて、一部の人間のことを妬んでる部分もある。アックスはポップスで、実際みんなわりと純粋。バラードをうたっても違和感がないヒトたち。私は、もちろん友達の色恋とか、嘘八百のデタラメストーリーを作るときもあるけど、基本は卑屈で自己中なロックをやってる。
でもあなたたちって、ハードロックってキャラじゃないような、と思って。あなたはどこにでも染まれるような気もするけど、ハードロックに絞れば、あの声があるからかもって思う。でもタフィとステファンはどっちかっていうと卑屈で、ジャンルで言うならパンクじゃないのかなと思って」
本当に突然の、予想外の質問だったので、トーマはぽかんとしている。
先にナイルがくちをひらいた。「好みじゃないの? 単にハードロックが好きだっていう」
「まぁ、そうなのかもしれないけど」ベラは答えた。「べつにいいんだけど、やりにくくないのかと思って」再びトーマに言う。「私も、どんなのがハードロックか、なんてのはわからない。“このジャンルの詞はこうあるべきだ”なんていうのは、まえにディックが言ってたように、やっぱり気にしなくていいんだろうし。ただ、否定してるわけじゃなくて、ほんとになんとなく。いろんなジャンルを作ってうたってる私が言うことでもないんだけど」
ナイルは笑った。「確かに」
わかりやすく悩んだ表情をしたかと思えば、トーマは苦笑った。「いや、まあ、うん」チェアに座りなおすと、背もたれに深く背をあずけて下を向いた。「俺だけじゃなくて、タフィもステファンも、わりといろんなジャンルの音楽聴いてる。こだわりがないとは言わないけど、キライなジャンルっていうのは特になくて、そのジャンルの中で好みがある感じ。
サヴァランを知ったのは中学の文化祭で、その時はまだオリジナルじゃなくてカバー曲だったけど、ベンジーとジョエルは、双子ってこともあって地元じゃちょっとした有名人で、その双子がバンドをはじめたってので、それがまたうまくて、すごい興味持って。高校に入って、サヴァランがライブハウスでうたいはじめて、たまたま見に行く機会があって、そこからハマッた。なんだかんだ話すようになって、オリジナルで作った曲も、パンクバンドらしく、ほとんど嘘なんてないってのもわかった。ブラック・スターにくるようになって、いろんなバンドを見て、自分たちもやりたいと思った。でも」
一度言葉を切ると、トーマは申し訳なさそうな表情でベラの視線を受け止めた。
「いざ楽器をやりはじめて、バンドってカタチにしたはいいけど、どのジャンルをやりたいかってなったら、かなり悩んだ。パンクってジャンルに持っていったら、サヴァランがどう思うかがわかんなくて。もちろん、マネをするってわけじゃない。サヴァランは、ポップパンクっていう新しいジャンルを作ってる。でも俺たちがやるとしたら──さっきベラが言った、性格的なことで言うと、もっと暗めのパンクになる。
ベラたちやブラック・スターのバンドも、自分たちで音楽をやりたいっていうきっかけになったのは確かなんだけど、そもそも“音楽”とか“バンド”っていうのにハマッたきっかけが、サヴァランだった。そのサヴァランと同じジャンルの中で、別方向のパンクをやるってなったら──なんか、喧嘩売ってるようにしかならないような気がして」
数秒、沈黙ができた。四人とも、誰かが次に喋るのを待つように。
「──つまり」と、ナイルが言う。「ハードロックっていうジャンルには、特にこだわりはないと?」
トーマはまた苦笑った。「っていうより、卑屈をさらに強めて怒りにもっていったのがハードロックかな、って感じかな」
「ああ、なるほど」納得したらしい。「ダークなパンクも、結構強めにいくやつもあるもんな」
「うん。軽いパンクは好きじゃないってはっきり言える。あのふざけたノリは、自分たちには無理だから。卑屈基準で考えて、強めか暗めかでってなって、パンクを選ばないならハードロック? みたいな。聴くのは好きだしっていう──まぁ、かなり曖昧」
「まあいいんじゃないの。その方向性は間違ってないような気がする」
ナイルは納得していたが、ベラは考えていた。トーマたちがパンクを選んだとして、それもサヴァランとは違うダークなパンクを選んだとして、サヴァランはなにかを思ったりするのか。
なにを思われようと、関係がないような気がする。
「わかった」と、ベラは言った。「試しに書いてみる。幸い卑屈な性格の男友達はわりといるし。書けたら見せるから、そうだな、マトヴェイに頼んでおくから、四人で音をつけてみて。もちろんダークなパンクで。なんならエイブにも言っておくから。あの二人なら、ブレずにそっちの方向に持っていってくれる。それで、もう一度考えてみて。どっちのジャンルでいきたいのか。どのジャンルがいちばんやりやすいのか。あなただけじゃなくて、ちゃんと三人で」
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その夜、作業をひと段落させたベラは、赤白会議室でチェーソンと電話で話していた。
「べつに、俺は気にしてねーんだけどな」と彼。「殴り返すつもりもなかった。けど、あいつらが先に反応しちまって」
「当然なんだろうけど、もうちょっと早く止めてくれてもよかったような」
「いや、止めたって。あいつらが聞かなかっただけ。俺もビミョーな立場なんだよ。あんま言うと、ティリーの名前だって出ちゃうだろ。俺は理由をわかってるし、バレたらレジーがくることだって予想はしてたけど、あいつらは知らないわけだから」
彼の言うことも一理あるのだろう。下手に止めて事情を話さなければならない状況になれば、ティリーが晒し者になってしまう。
「他のみんなは? レジーのこと、怒ってる?」
「んー、まぁ。つっても、俺が気にしてなくて、俺がフツウに絡んでれば、べつになんもないと思うぞ。チームの奴ら、最近はレジーともそんなつるんでないみたいだし。もともと正式メンバーでもないし。アルフレッドだって、今はあれだけど、昔チームに入りたての頃、俺にしょっちゅう喧嘩売ってきてたからな。当然俺が勝つわけだけど」
現役だった頃のチェーソンの落ち着きぶりに比べれば、アルフレッドはかなりはじけているものの、昔はそれ以上だったということか。
ベラは取り出した煙草に火をつけた。「そ。なら落ち着いた頃、また一緒に遊びに行く」
「そーしろ。つっても、俺も最近そんなに出てないけどな。マルコとかと飲んでることのが多い。アゼルもたまに」
まさかのアゼルだ。
彼は続けて言った。「お前、アゼルと会ってねーの? ベラはどうしてんだって訊いても、知らねーって言うんだけど」
確かに会っていない。「忙しいの。なかなかタイミングがつかめない。忙しいから、そろそろ切ります」
「あっそ。ま、レジーには気にすんなって言っといて。あと、“モテる男はつらいだろ”って」
ベラの口元が苦ゆるむ。「嫌味ね。わかった。言っとく。ありがと」
電話を切ると、ほとんど吸っていない煙草を思いきり吸い、溜め息と共に煙を吐き出した。
だって、会いに行けない。ジャックを家に誘わない限り、会いに行けない。会いたくないわけではない。でも、ジャックを誘うなんてこと、したくない。
なら、どうすればいいのだろう。
なにをどうしても、面倒になる。どこかで必ず面倒になる。この件に関しては、ああ、そうだ──アゼルの提案を、本気で面倒に思っている。
深く溜め息をついて、レジーにメールを打った。
《今チェーソンと話した。彼本人は事情をわかってるから、怒ってないみたい。“モテる男はつらいだろ”、だって。私に時間ができたら、一緒に遊びにいく》
送信が完了すると携帯電話を閉じ、今度は深呼吸をして、再び仕事に取りかかった。
もっと自分を追い込んで、苛立たなければいけない。そうすれば、ジャックを誘うことなど、簡単にできる。
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月曜の夜──ベラは幹部を赤白会議室に集めた。もちろん、トーマとステファン、タフィも一緒だ。
路線変更のことを話すと、ぽかんとした様子でヒルデブラントが訊き返した。
「パンクに転向?」
「正確には二刀流です」とベラ。
ある意味幹部総出で育ててきたトーマたちが、まさか正式デビューの二ヶ月前にこんなことを言いだすとは思わなかったのだろう。エグゼクティブチェアに座っているベラから見て左側にディック、ヒルデ、ヤンカ、マトヴェイ、デトレフが、右側にトーマ、ステファン、タフィ、パッシ、エイブが順に座っているが、幹部たちは全員、驚くというよりも拍子抜けしたような表情で、トーマたちとベラを交互に見やった。
そしてトーマもステファンもタフィも当然、気まずいというよりも申し訳なさそうな表情で、できるだけ誰とも視線を合わせないようにしている。
それでもこの結論は、トーマが二人とちゃんと話をし、自分たちに合うのはダークパンクだと、三人で考えて導き出したものだ。
驚くのも無理はないだろうが、沈黙で空気を変に重くするところではないので、ベラは続けて言った。「詩はこれから書く。詞もサウンドも、方向を早めに明確にしたいから、私が勝手に書くのをひとつ、三人がメインで書いて私が修正を入れるのをひとつ、最低でもその二曲は急ぎで作る。その曲作りを、マトヴェイとエイブにも手伝ってほしいの」
同じく沈黙の空気をつくりたくないのか、トーマはディックたちに向かって、少々身を乗り出した。
「急な話で悪いと思ってる。最初と話が違ってるのもわかってる。でも、ハードロックがやりたくないわけじゃなくて、もちろんそっちもやりたいんだけど、そうじゃなくて、俺たちにいちばん合うのが、ダークなパンクなんだ。ここに来たくてハードロックを選んだわけじゃないんだけど──」
ステファンも続く。「自分たちの性格に合う音楽を、なんて考え、なかったんだ。ただ、どういうジャンルをやるかって考えて、最初からパンクを除外してたから──」
「サヴァランがいるからだろ」デトレフが静かに言った。「最初から違和感はあった。ハードロックができてないとか、そういうことじゃない。お前らの性格ならパンク。ただサヴァランに遠慮しただけ」
その図星な言葉に、三人は身構えた。それでもタフィは言葉を継ぐ。
「パンクなら、俺やステファンも、作詞に口出しできると思う。もう逃げたりしない。だから──」
また謎の沈黙ができたが、今度はそれを、ディックの深呼吸が破った。
「べつに怒ってるわけじゃない」三人に言う。「お前らを雇うことにしたとき、ハードロックも入れたいってのも確かにあったけど、それだけが理由じゃない。何度も言ってるだろ。いちばんは音楽を好き、ここでプレイしたいって気持ちだ。それが伝わったから雇った。ジャンルなんてのは二の次だし、お前たちがやりたい音楽をやればいい」
この一年、応募してきたバンドを好みじゃないという理由で何度落選させてきたんだとつっこみたい気もしたが、ベラはなにも言わなかった。
そしてボスのその言葉に、三人はあからさまにほっとした。
「うん、そうよ」と、ヤンカもやっとくちをひらいた。「二刀流でしょ? 他のバンドにはそれができるコたちっていないから、むしろ喜ぶべきなのかも」そうは言っているが、まだ納得できていないのか、若干棒読みだ。
「僕が手伝っていいってことは」エイブは口元を緩めた。「本気で暗くしていいってことだよな」
ベラが応じる。「いいわよ。あなたのダークなサウンドと、マトヴェイの早めテンポのロックでバランスをとりたいの。でもこのことは、他の誰にも言わないで。ヒラリーたちや他のバンドはもちろん、サヴァランの誰にも」
「まさか」とマトヴェイ。「本気で喧嘩売る気か」
パッシも身を乗り出した。「まさか、デビュー当日に初披露?」
「あたりまえでしょ」ベラはチェアに背をあずけた。「今から詞を書くけど、私も忙しいし、曲はそれなりにそっちに丸投げする。二曲作って、いけそうならもう一曲。すでにできてるハードロック路線も含めて、できればミニでもアルバムを作って、店の一周年記念の日か、ちょっとズレてでも正式デビューの日に先行で限定枚数を配る。ヤニとまた喧嘩になるかもだけど、トーマには今教えてる仕事で流れを把握してもらって、自分たちのぶんは自分たちでできるだけやれるようになってもらう。それならヤニの負担もちょっとは減るだろうし」
「いいだろう」ディックは立ち上がった。“今から”詞を書くというのが、本当に“今から”だということをわかっている。「そのアルバムの分の金は店で出してやる。それ以降は契約どおり、ぜんぶ自腹だ」
三人はぽかんとした。「え」
デトレフも続いて立ち上がる。「その代わり、俺ら全員が納得できるモン作れよ」
マトヴェイは笑った。「イヤな脅しだな」
「ま、楽しみにしてるよ」とヒルデブラント。「手伝えることがあったら言って」
ヤンカも立ち上がる。「私も楽しみにしてるわ。私が惚れたのは、トーマのハスキーボイス。それでダークパンクなんて、考えたらものすごく最高な気がするもの」
パッシも笑う。「めずらしくヤンカまですごいプレッシャーかけてるな」
その言葉どおり、トーマたちは予想以上のとんでもないプレッシャー攻撃に、言葉を返せなかった。