* Black Jealous
二メートルの脚立を抱えたベラとヤニの登場には、メインフロアにいた全員がぎょっとした。ステージでうたっていたバンドも当然呆気にとられ、せっかくのライブが台無しになった。
ベラは気にしなかった。気にせず、ドリンクバーとは反対側の壁際にいた客たちを追いやって脚立を設置、マイクを持って、脚立中段にあがった。
「ピンクフレークを見つけたひと?」マイクを使ってそう訊くと、何人かから声があがった。「オッケー。まだまだいける。あ、ライブを台無しにしてごめんなさい。ちょっと待ってね、先にピンクフレークの説明だけさせてください」
一周年記念の、ということは伏せ、何組かのバンドたちのアルバムを作るために写真を撮りたいので、ピンクフレークを条件に明日、撮影に協力してほしい、と説明した。リリック・ブックに載るかどうかはわからない。あくまで“メンバーの表情を引き出す役目として”だと。
「あと、今からここでフロア全体の写真を撮るけど、気にしないでほしいの。写りたくないひとはスタッフに言って。その写真は使わないようにするから。わかってると思うけど邪魔しないでね。ってことで、一旦ライブメンバーを変えよう。メインボーカルはヒラリー、コーラスはみんな。誰か、何人かにマイクをくばってください。ドラムはルース、ギターはベンジー、ベースはマトヴェイ──いる?」ドリンクカウンターの近くで見つけた。「いるね、行って。もうひとり、ギター、誰でもいいや。誰か名乗り出て」間髪入れずにパッシがやると言った。「じゃあそのメンバーで──そうだな、ヒルデ、誰かひとり女の子に、好きな曲を三曲訊いてください。ヒラリーの曲じゃなくてもいいから」
ヒルデブラントは苦笑いながら常連のひとりを指名、リクエストをもらって、諦めとヤケででたらめにでも演奏しようと決めた即席バンドメンバー、どうにかライブをはじめた。
「お前、ほんとめちゃくちゃだな」ナイルは呆れている。「で、上から撮ればいいってこと?」
「うん。あ、ちょっと待って」脚立のすぐうしろのカウンターにPCを置くようトーマに指示し、ロングタイプのコードを、カメラからPCへとつないだ。「ヤニ、チェックして、気になることがあったら教えて」
「わかってるようるさいな」
ナイルがいちばん上にまたぐように腰をおろすと、ベラもブラック・スターのメインフロア用カメラを手に彼の近くまであがった。
「とにかく撮って。ブレをなくそうとか、ピントを合わせようとか、そんなこと考えなくていい。被写体を眼で探してから撮るんじゃなくて、レンズ越しに見つける感じで。バッテリーがなくなったら取り替えればいいだけの話だから。“最高の瞬間を撮る”んじゃないの。“撮った瞬間が最高”なの。“表情”が足りないって思ったら言って。私がつくるから」
言われたとおり、ナイルは写真を撮った。
どんな写真が必要なのかも、なにをテーマにするのかも、バンドマンやスタッフ、客のこともまったく知らないのに、この場所ですら、十数分滞在しただけなのに──楽器の音も誰の声も頭に入ってこないほど集中していた。神経を研ぎ澄まし、広くも狭くも思えるメインフロアの全瞬間を記録に残す勢いでシャッターを押した。
その集中ぶりを感じとったベラは、彼に言われる前にマイクでくちをはさみ、“表情”をつくった。合間で指示を出してステージに立つ人間を入れ替えたり、控え室やレンタルスタジオで練習している人間を呼び出したり、自分もコーラスを入れたりした。けっきょく食事などとる暇もなく、二時間近くを撮影に費やした。
明日の予定をざっくりと説明したあと、ナイルたちを連れてまたレンタルスタジオに戻り、やっと食事をとりつつ作業の流れを教えた。
「バイト代もらってないの?」ナイルが訊いた。
「もらってない」とベラは答える。「他のバンドを手伝うとしても、キーズからはもらわない。内訳なんかは知らないけど、私がやたら疲れてたり、できた曲が気に入ったりしたら、ディックがブラック・スターでの給料に上乗せしてくれてるみたい。元は私が勝手にはじめたことだし、手を出すかどうかも自分で決めてるし、手伝うとしてもぜんぶじゃないときもあるし。そもそも、私の気まぐれな行動ぜんぶを把握して仕事として給料を発生させる、なんて無理なわけで」
「へー」
トーマがくちをはさむ。「やっぱり、ベラって幹部?」
「トップシークレットだけどね。幹部以外は知らないことだし。みんなには、ときどき誰かの作業を手伝った報酬をお小遣い程度にもらってるって言ったり。幹部っていっても、私の仕事内容はディックたちとは違う。私はあれよ、料理のスパイス的な立場」
「とりあえず」ヤニがナイルに言う。「今日はもういい気がする。せっかくだし、ちょっとはフロアで遊んできなよ。明日撮影して、それしだいでやるかやらないか、決めればいい」
「うん」と答えつつも、ナイルは少し考えた。「やってみたいとは思ってる。そっちがいいなら、だけど」
「あら、即答ね」ベラがヤニに訊く。「私は、ぜひって思ってる。あなたは?」
「いいんじゃないの」彼はノートPCに表示した、ナイルが撮影した写真を一枚一枚見ながら続けた。「全体的な意味なら、ある意味お前より腕がいいんじゃないかと思う。なんだろうな──お前は、ある程度頭の中で計算してるから、欲しいものがわかったうえで撮ってる。けどナイルの場合、なにも考えずに撮ってるのに──いや、だからかな。こっちが“使いたい”って思う写真が撮れてる。写真からイメージをかためていく感じ。構成から考えなきゃいけなかった今までを考えたら、作業面ではかなり仕事しやすくなると思う」
彼女も同意した。「明日、まともに“個人”を相手にしてどうなるか、それも楽しみね。じゃ、細かいことは明日決めようか。ディックをまじえてのガエルたちとの話し合いも、明日ってことにしとく。私は明日学校だけど、終わったらくるから、時間があればディックと一緒にさっそくカメラを買いに行ってもいいし。取り寄せでもいいけど」
「カタログならあるよ」ヤニは棚に並んだ本の中から三冊を抜き、ナイルに渡した。「店に並んでるのは基本一般人用だからな。雑誌二冊にはプロのカメラマンのレビューも書いてある。時間あったら読んでみればいい。あと」トーマに言う。「トーマには、こっちからノートPCを渡す。新品じゃなくて、俺がまえに使ってたやつだけど。基本的な写真加工ソフトは入れてあるから、練習と思って暇なときにやってみて。受付にいるときでもいいし、持ち帰ってもいいし」
「ノートPCなら持ってるのに」
「それは作曲とかに使ってるだろ。こっちので作曲するなとは言わないし、好きにすればいいけど、担当してるリリック・ブックのぶんは、他の人間に見せないほうがいい。作業のしかたを覚えれば、自分たちで好きなようにできる。ガエルたちの許可がとれたら、ディスクやインク、用紙代を払うだけでレコードが作れる。いちばん経費がかかる人件費をおさえられるわけだから、かなりの節約になるよ」
まさかのアドバイスに、トーマは驚いた。「それ、アリ?」
「まえからそういう話にしてあるわよ」とベラ。「あなたがここで働くことが正式に決まったときにね。要領がつかめたら、他に仕事がなければ、受付にいるときに自分の作業をしてもいい。そうやって出費をおさえられるようになれば、タフィとステファンのバイトの時間を、ちょっとは減らせるかもしれない。そうすれば練習時間が少し増える。あなたひとりに負担がかかっちゃう気もするけどね。
もうすぐあなたたちは正式にステージに立つようになって、そのうち週にあと二日は営業時間が増えるのよ。スタジオ料金も自腹になるし、早いうちに立ちまわりかたをある程度確立しておいたほうがいい。二週間に一度ステージに立つのか、一週間に三度ステージに立つのか、大げさに言えばそういうこと。時間が足りないプレッシャーに追われてほしいわけじゃない。あなたたちが楽しくなきゃ、聴いてる誰も楽しめない。ここでの仕事中に空時間があれば、あいてるスタジオを使って練習すればいい。あなたが自分たちのバンドを守りつつここで仕事していけそうなら、社割扱いでさらに値下げしてもらえるよう頼んであげる。料金を払わずに楽器を持ち出してスタジオで演奏する誰かさんがいるんだもん。払うだけましでしょって」
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ナイルと二人でメインフロアに戻ると、アドニスたち三人がいる席にエルバとジェイドがいた。アドニスはナイルを紹介、ナイルはスタッフが持ってきてくれたスツールに、ゼインの隣で腰をおろした。
「ベラのツレはハンサムばっかだね」とジェイド。「類は友を呼ぶってか?」
アドニスはにやついた。「オレは逆だと思ったぞ。ベラのツレはカワイイ娘ばっか。類は友を呼ぶって」
ジェイドがけらけら笑う。「さすが、クチがうまいな。あんまり調子に乗らせないで、本気にしちゃうから」
「いやいや、オレは嘘はつかねーって」
「ほんとに、僕たちは嘘はつかないよ」ルキアノスはエルバの手をとった。「お姉さんたちみたいな美人がいるなら、もっと早くここにきたかった」
エルバも笑った。「あんたたち、かわいすぎ。おもしろすぎ。年下もいいかもとか思っちゃうからやめて」
アドニスも笑っている。「いいんじゃね? オレもすげー新鮮な気がしてる。あわよくばとか思っちまう」
「残念なのは」ルキアノスはエルバの手を離し、ベラを指さした。「ベラの友達だってこと。そうじゃなきゃ、ぜひって言いたいのに」
ツボに入ってしまっているらしいエルバの横でジェイドもまだ笑っている。「それはわかる。ベラのツレだって思ったら、なんかもう、それだけでゴメンナサイ、だ」
呆れ半分に苦笑っているゼインがナイルに訊く。「で、話は終わったん? バイトでもするんか」
「うん。カメラマン」
「え、マジで?」
「詳しいことはあとで話す。今ここでおおっぴらにしたくない」
「ピンクフレークのこともあるし」ベラがエルバとジェイドに言う。「曲順がどうなってるか知らないけど、ステージ荒らし、手伝ってくれる?」
二人はもちろんと即答した。席を離れようとするベラをナイルが呼び止める。
「明日、昼くらいなら上に行ってもいけるかな。バンドたちの曲聴きたい」
「いいよ。あとでヤニたちに言っておく。連絡先も教えなきゃね。ヤニと時間があえば、作業も教えてもらえばいいよ」
「うん。ありがと」
乱入に乱入を重ね散々ステージを荒らしたあと、エルバと一緒にスタッフフロアへと降りると、廊下でウェル・サヴァランが揉めていた。
「キーズでレコード作らないと撮影に参加できないんだから、しょうがないじゃん」ジョエルが言った。「ヒラリーのことも迎えに行く。とりあえず、一周年アルバムだけでもいいからさ」
マーヴィンが反論する。「今から頼めるわけないだろ。それに今までずっと自分たちで作ってきたのに、なんでいまさら頼まなきゃいけないんだよ」
「たまにはいいじゃん」
「そんなの時間の無駄だし」
「マーヴィンの言うとおりよ、ジョエル」ヒラリーが言った。「キーズだって、人手が足りてなくて忙しいの。トーマも、今日来てたナイルも、いろいろと覚えなきゃいけないし──明日撮影に参加するバンドはもう決まってるのよ。今からなんて無理よ」
「けど──」
「私は明日、自分でくるから。迎えはいいわ。できたら見せるから、それまで我慢して」
ジョエルのわがままはここ最近、妙に面倒なものになっている気がする。と思いながらも、ジョエルをなだめようとくちをはさむエルバを残し、ベラは赤白会議室へと向かった。マーヴィンとルースもついてくる。
「ある意味病的」マーヴィンはチェアの背に、疲れと呆れを一緒に背中をあずけた。「あんなんじゃなかったのに」
ルースは彼の隣、チェアでなくテーブルに腰かける。「ただの嫉妬じゃないよな。週末会う回数が増えて感覚が麻痺してんのか?」
「そんな感じだよな。バンドより女なのかって思う。そりゃ、こっちだって練習じゃなくデートする時もあるけどさ」
「ヒラリーがこっちに引っ越してくれば解決すんのか? それはそれで、学校変わるとか言いそうだな。じゃなくても、一緒に住むとか」
まさかと答えかけて、マーヴィンはやめた。ジョエルなら言いそうだと思ったらしい。
嫉妬に狂う男──ポップスよりだとは言え、サヴァランは一応パンクバンドだ。嫉妬がパンクのルーツになるのかな、などと、わけのわからないことをベラは考えた。
「だからって、ジョエルがそんな詞を書くわけないしな」とルース。「パンクにするにはあいつの感情は重すぎる。俺たちにも合わねー」
「おまえ、そこまで感情移入しないじゃん。基本中立だし」
「よっぽどなしだと思ったら反対してるだろ。無理ならサウンドでどうにかしてるだけだし。そもそも俺は恋愛をうたうのはあんまり好きじゃねえ」
「ベンジーも悪いんだよ。止めろよって」
「あいつはあんなふうにはならないのにな。いや、ジョエルが先に発症しただけで、ベンジーも予備軍か?」
マーヴィンは苦笑った。「まさか。やめて。さすがに怖い。ジョエルの場合、本番じゃ楽器そんなにやらないから、俺たちに比べれば時間が余るってのはわかる。そこをどう使おうと勝手だけど、その時間のせいでよけいにヒラリーに固執されてもな」
「ヒラリーが自立してるぶん、よけいに一方的なのが目立つよな。で」ルースがベラに訊く。「なに書いてんだ」
彼女は作詞ノートを開いて黙々と詞を書いている。それほど集中しているわけではなく、二人の話も聞こえていて自分に言っているのだとわかり、視線を合わせないまま答えた。「“All Black”。みんなまっくろ。ジョエルの嫉妬もあんたたちの愚痴も、みんなまっくろだって歌」
マーヴィンは笑った。「またおもしろいことするな。一服しにきただけじゃなかったっけ」
ベラははっとした。確かにそうだ。上に戻らなければいけないのだった。「じゃあこれ、あんたに送る」携帯電話で写真を撮ると、ファイルをメールに添付して彼に送った。サビの途中までしか書いていない。「完成、楽しみにしてる」




