○ Mix
金曜日──学校を出たベラを反対車線で待ち構えていたのは、まさかのディックだった。
「なにしにきたの」、と彼女は訊いた。彼は「迎えにきた」としか答えなかった。「気まずいからって私をつかわないでよ」と言ったものの、それは無視された。
ベラのアパートメントに着くと、ディックは当然のように車を降りた。彼が妙に気まずい立場にいるというのは、ある意味当然のことだ。火曜の深夜、ヤンカたち幹部にもその他のスタッフにも客たちにも、臨時営業の報告以外、ディックには一切連絡をするなと言ってある。ケイトとのことを詮索されたり責められたりすることが、彼にとって苦痛になると考えたからではない。ケイトとのことはふたりの問題だし、彼になにを言ってもきっと、すべてが手遅れだ。ただケイトのことを考えると、やはりディックを責めたい者もいるだろう。だが物事には、責められることで救われることもある。責められることに反抗心を持つことでそもそもの原因から逃げることができたり、開きなおる人間もいる。
なのであえてなにも言わず、訊きもしない。それを復讐の代わりにしようとベラは考えた。
結果、詮索されたり、くちうるさく説教されたりしたくないという考えもあり、誰に連絡することのなかったディックは二日間と半日、誰からも連絡されず、店にも現れず、それでも営業日はそうもいかないので、この不自然な状況を脱したく、手っ取り早くベラの元にきたのだ。
部屋に入るとベラはすぐに、この三日間で書いた詞、数枚をディックに見せた。
「これは私の友達、メルヴィナの感情を勝手に書いたやつ。デトレフとマトヴェイに頼んだ。こっちはジェイドとキュカとヒルデにやってもらってる」単調な口調で説明していく。「これはヤンカとエルバと、今日ヒラリーがくるから彼女に。で、こっちはあなたの立場で書いたものだけど、トーマたちに渡した。エイブとパッシには、ぜんぶを気まぐれにまわってもらってる」
ほとんどは流し読みだったくせに、トーマたちに渡したという詞にだけは少々引きつった表情を見せた。「俺のぶんがない」
「書いてる途中のがあるから待って。今日仕上げるつもりだったのよ。予告のない迎えとかやめて。友達に訊かれるんだから」
「んなもん知るか」ディックはテーブルにあったノートパソコンを勝手に開き、電源をいれた。「シャワー浴びるならさっさとしろ。今日も能天気にステージに立てるなんて思うなよ。勝手なことばっかりするな」
そんなことを言われる覚えはない。最初に勝手なことをしたのは誰だという話だ。
「日曜じゃなくて、明日やすもうかな」アゼルのことを考えると、日曜よりも土曜に休みをとるほうがいいような気がしてきた。そうすれば金曜の仕事が終わったあと彼のところに行き、特になにもなければ、日曜の昼か夕方までは一緒にいられる。
彼はどうでもよさそうだ。「好きにしろ」
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数時間後、ブラック・スターのメインフロア。ドリンクカウンターの端の席にニックと並んで座り、ベラは食後のカフェオレを二人ぶんオーダーした。
「そっか。別れちゃったのか」
ニックが言った。基本的に練習にはキーズ・ビルのレンタルスタジオを使っていた彼らアックスのメンバーは、水曜のブラック・スター立入禁止勧告にも特に反論しなかった。そんなことに文句を言う暇があるなら、混雑するまえに貸スタジオの一室を押さえろ、という感覚だったらしい。
「どうりで妙に空気が重いわけだ」と彼が続けて言う。「活気がないって言ったら言いすぎかな。でもなんか、トゲトゲってほどでもないけど、やわらかくはない、空気が」
その言葉の意味は、ベラにもなんとなくわかった。ただ自分は食事目的でここに出てくるまで、ディックと一緒にずっと赤白会議室にこもっていた。そこまでの空気を感じとるほど敏感ではないし、違和感はあっても、やはりケイトがいないことを知っているからか、と思ってしまう。
「ケイトの存在は、やっぱり大きかったんだと思う。立場上、特に重要なポジションについてたわけじゃないけど、厨房ではオレーシャのアシスタントで、ドリンクカウンターではヤンカの右腕で、フロアではヒルデのサポーターで──女スタッフのリーダーみたいだった。それもしゃしゃり出たり目立つタイプじゃなくて、支え、みたいな感じ。誰かのミスを文句も愚痴も言わずにフォローしたり、相談に乗ったりしてた。営業日は週三日なのに、いることがあたりまえになってた。いてほしいときにいてくれたのよ、彼女。みんなにとって、その存在が突然いなくなるっていうのは、やっぱり影響が、ね」
「男たちにはなにも言わずに、だもんな」ニックはカウンター内の男スタッフからグラスをふたつ受け取った。ひとつをベラに渡す。「昨日はそうでもなかったけど、今日はさすがに、ケイトの話があちこちで広まってる。それでもなんか、どうせベラに怒られるからって考えがあるからかな、辞めた理由を幹部たちに根掘り葉掘り訊く、なんてことはしてないみたいだけど。みんな、ある程度想像はついてるんだろうし」
まだ世間を知らない十代も何割かはいるものの、ここには二十代が多く集まっていて、若きオトナと呼べる同僚や客と過ごす時間のおかげで、自然と“オトナ度”も高まってくるらしい。ベラの影響も少なからずあるのだろうがみんな、“空気を読むこと”を覚えていく。
「あなたはどうなの?」ベラは質問を返した。「なんだっけ、名前──“Catch Me If You Can”の逆バージョンのヒト。彼女のこと、最近見ない気がするけど」
「ああ、最近連絡もきてないな。何度かは一緒に飯行ったけど、俺も今は仕事とバンドで精一杯だし」
「ずいぶんあっさりね」
ニックは少し、悩むような表情をした。「なんていうか、たぶん、“病んでる”んだと思う。ああやって毎日酒飲んで酔っ払ってるけど──絶対に本性を見せない。話を聞いてる限り、見た目どおり、わりと軽い。でも、本気の本心ていうのは、たぶん誰にも見せないんだと思う」言葉を切ると、また苦笑った。「こういう考えかたは冷たいのかもしれないけど、深入りすると抜けられないのがわかる。だから境界線を引いてるのかな。理解できる気がしないんだ。彼女の性格や言動がどうこうじゃなくて、俺はそこまでできた人間じゃない。表面だけ見て、キライじゃないからって理由で受け入れていい相手じゃない。結果的に、彼女が傷つくことだけはわかるから」
濃すぎるメイクと強すぎる香水、そして浴びるほどの酒にいつも溺れているようなあの女から、ただ逃げていたわけではないらしい。
突然、背後から肩に腕をまわされた。ベンジーだ。同時にニックの肩にも腕をまわしていて、先に彼に軽い挨拶をした。
「お前、またトーマたちに曲作ったんだってな」ベラに言った。「見せろっつっても見せてもらえねーんだけど」
「曲を作ったわけじゃない」彼女は訂正した。渡したのは書いた詞だけだ。
「どっちでもいいわ。来月、とうとうあいつらの正式デビューだろ。またコラボやらね?」
「あんたたちが目立ってどうすんのよ」
「盛り上げてやろうとしてるだけだし」
ニックは笑った。「サヴァランが平気でも、トーマたちが平気じゃないだろ」
ウェル・サヴァランとアックスは、スカウトされたか応募したか、すでに完成バンドだったか未完成バンドだったかという違いはあるものの、同じ日にブラック・スターでプレイすることが決まった、いわゆる“同期”だ。
「楽器ならオレらが引っ張るから平気だって」
「ステファンもタフィも、わりといっぱいいっぱいらしいよ。楽器サポートの連中のが覚えるの早いとかで、若干焦ったりしてるし。不満言いだしたらキリがないっぽいけど」
「あいつら、深く考えすぎなんだよ」ベンジーは身体を起こし、両手をジーンズのポケットにつっこんだ。「楽しんでやんなきゃどうすんだっていうな」
先日までメルヴィナとのことでヤケになっていた人間のセリフとは思えないな、とベラは思った。「どうせならジョエルとトーマ、三人で書きたい気もするけど」口元をゆるめて二人に言う。「この三人で書いてみる? テーマは“遊び人”」
一瞬、ベンジーの表情が引きつった。喧嘩を売られたと捉えたらしい。「いい度胸だな。やってやる」
ニックは答えるよりも先に、ディックと曲を作っていたのではないかと訊いた。
「題材は置いてきたし、たまには私の周り以外のバンドの手伝いもしてやればって言ってある。じかに手伝うのじゃなくても、たとえばメロディだけを渡すとかでもいいしって。そんな気分でもないなら、ジェイドたちが詞を書きやすいように曲作ってあげればって。ひとまずそうすることにしたらしくて、赤白会議室に立てこもってる。私のと店のPC、三台駆使して全力で」
二人とも笑った。
「んじゃ上だな」とベンジー。「ギターとってくる」
キーズ・ビル、レンタルスタジオの一室──ベラはウェル・サヴァランのベンジー、アックスのニックと一緒に、曲作りに熱中していた。
ニックと一緒に作詞をすることはあっても、ベンジーと一緒に作詞からメロディ作り、作曲まですることは今までなかった。“低音が好き”という部分以外はほとんど完全に“色”の違う三人なので、もっと色々と苦戦するかと思いきや、方向は早々に決まった。そこからはとんとん拍子に話が進んだ。時間を忘れるほどだった。
今回のこれも前回同様、サヴァランの音楽をベースに音楽を作っていく。表面上はトーマたちがサポートをしているように見えるものの、トーマたちにとっては真横でプロ並の演奏を目の当たりにできるという、とても刺激的なライブになるのだ。ニックにとっても新鮮だったようで、彼もどんどんアイディアを出した。以前よりももっとトーマにうたわせようと提案したのもニックだ。ロック色の高校生、パンク色の大学生、ポップス色の社会人という、ブラック・スターで三大人気を誇るソングライターが共同で作った曲をうたえるなど、トーマたち以外にはいないだろう。とはいっても、どうせこれは、トーマたちのためというよりサヴァランの──ベンジーの暇つぶし、というのがいちばん正しい名目だろうが。
細かいサウンド調整とPCを使ってのデモ作りはベンジーが自分でやると言うので、メロディや歌詞を相談しながらもニックがギターを弾き、ベンジーがドラムを叩き、ベラが思いついた詞をうたうという方法で曲を作っていった。楽しすぎて調子に乗ったベンジーは、自分もうたうと言いだした。おかげでパート分けには苦戦、歌詞も長くなってしまった。
「これ、ほんとに覚えられるの?」スタンドにセットしたマイクに両手を乗せ、ベラは訊いた。「いや、あんたがだいじょうぶだとしても、ジョエルとかトーマとか」
「余裕だろ」とベンジー。「トーマは問題ない。オレらと違ってアタマいいし」
ニックが笑う。「ジョエルのフォローはどうした」
「あいつが忘れたらオレがうたうから平気だ」
自信満々な彼の答えにベラは呆れた。
「台無しにならないといいけどね」十二月にステージに立ってるとはいえ、正式デビュー当日は間違いなく緊張するだろう。「ギターとドラムだけってかなり物足りないけど、もういっかい、通しでうたわせて。次で完全にモノにできそうな気がする」
「お前がモノにしてもしょーがねーんだよ」
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そろそろ店が閉まるので戻ろうかと話しているとき、ベラの携帯電話に着信が入った。ダリルからだ。先に片づけを済ませ、奢ると言ったベンジーとニックに支払いを任せると、ベラはスタジオ内から電話をかけなおした。
ダリルは最初から、怒っていた。「今からセンター街に行く」
「なにしに?」
「ケリー呼び出した。知ってんでしょ。あの野郎、先週、あたしに黙ってブラ・ギャンの集会に行きやがった」
知っている、どころではない。「それでキレてんの?」
「んなことじゃねえよ!」彼女は怒鳴った。「それもキレるけど、五百歩譲ってそれはいい。けど──ティリーが、チェーソンと、ヤッたって」
さすがに、ベラも驚かずにいられなかった。「ほんとなの、それ」まさか、本当に処女を捨てたのか。それも、その相手にチェーソンを選んで。
「そうだよ!」ダリルは怒り任せに早口で説明した。「一時間くらいまえ、ティリーが泣きながら電話してきた。電話じゃラチあかんくて、自分の家の近くの公園にいるっつーから、あたしが行った。チェーソンに送ってもらって、それからあたしに電話してきたって。無理やりヤられたとかじゃねぇ。先週集会に行って、悩んでんのバレて、電話番号教えられて、自分から連絡したって。べつにチェーソンにキレてるとかじゃねぇ。今どんだけ後悔してようと、ティリーが自分で決めたことだってのはわかる。けど、ケリーはなんか、違うだろ。あいつは煽ってなんかないんだろうし、むしろけしかけたのはあたしらだけど、それでもなんか、違うだろ!」
なにかが、違う──ダリルの言っている意味は、ベラにも、わからなくはなかった。
すべてはティリーが自分で決めたことで、チェーソンは無理やりそうしたわけではない。煽ったのは自分たちで、ケリーは一度だって、けしかけるようなことはしていないはずだ。
それでも今、ティリーは泣いていて、つまり今になって後悔しているということで、それは間違いを犯したということで、そのきっかけを作ったのは、ケリーのような気がする。
「わかった」とベラは答えた。「場所は決めてんの?」
「ひと気のなさそうなところがいいと思ったから、まえにブラ・ギャンと集まった公園。バスのルートからはちょっとはずれるけど、そんなもん知らん。歩かせる」
それは自分も歩くことになるのではないのか。「ケリーはそれでいいけど、あんたまで歩かなくていいような気がする。ティリーは? まだ一緒にいるの?」
「いる。けど、歩くのきついっぽい。だから帰らせる。帰りたがってはないけど──ひとりになりたくないらしい」
「ならティリーも一緒に、タクシーでくればいいよ。料金は払ってあげる。で、今日はもう、私の家に泊まればいい。エフィにも電話してみる。エフィがケリーと話す必要はないけど、それにしたって、ティリーについててもらってたほうがいいだろうし」
「わかった。じゃあ悪いけど、すぐタクシー呼ぶわ。兄貴に送ってもらってもいいんだけど、ティリーはイヤだろうし」
「タクシーでいい。公園で待ち合わせね。着いたら連絡して」
エフィに電話をかけると、やはりパーヴォと一緒にいて、単車でのドライブから家へと送ってもらっている途中だった。詳しい説明は省き、レジーにはなにも言うなとパーヴォにも言って、エフィを待ち合わせ場所まで送ってもらった。




