○ The One Who Understands
昼間に中断していたキュカとエルバ用の曲を、エイブ、パッシ、ディックと四人で完成させたあと、音楽を流しながら、ベラはひとりステージに立ってうたった。歌詞そのものは自分にはまったく合わないものの、また新しいサウンドを手に入れた気がして、彼女はすっかり満足していた。
テーブルに腰かけているパッシが言う。「もったいないなー、これ、お前がうたわないの」
ステージからおりたベラは、しかめっつらを彼に返した。「やだよこんなの。口説いてくださいって言ってるようなもんじゃん」
「っていうより、一晩相手してくださいって言ってるだけのような」
思わず笑う。「どうかな。そうかも。でもまあ、とりあえず誘ってみなきゃわかんないっていうですね」
機械からディスクを取り出したディックが彼女たちのほうに戻ってくる。「やっと明るい曲書いたと思ったら、けっきょく行きずりか」
「行きずり言うな」とベラ。「行きずりからはじめてずるずると、気づいたら普通につきあってましたみたいな男に言われたくないわ」
「誰も行きずりのつもりはない。ケイトがそういうタイプじゃないことはすぐわかったからな」
エイブが割って入る。「でもこれ、あの二人がどこまで高い声出せるかが勝負な気がする。っていうか、それを伸ばせるか? 腹から声出せるか、みたいな。ベラのうたいかたを真似るなら、だけど」
パッシは呆れた顔をした。「それ、本人たちに言わないほうがいいと思う。真似るとなったら難しい。明日レコーディングしたらさらにコーラスが入って、絶対また難易度上がってるんだから」
「確かに」
「ま、どううたうかはあいつらに任せりゃいいだろ」ディックが言った。「ベラだって原曲は自分が満足いくようにするけど、他の奴にまでそれを求めたりはせん。この詞を書いた時、二人をイメージしたってだけで、歌声は知らなかったんだしな」
「そういうことです」と彼女も応じる。「そもそも、二人が気に入るかどうかはわかんないしね。でもこれでいいなら、早ければ来週末にここでうたってもらえる。それでもたぶん、歌詞とリズムを覚えるので精一杯だと思う。うたいかたはうたってるうちに自然と決まってくるだろうから、それでいい」
パッシが彼女に言う。「あいつらが気に入らなかったらお前、これうたえな。埋もれさせたら怒る」
「え、やだよ」
「こんな時間までつきあわせてんだから、そのくらいしろっつの」
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家に帰ると、ベラは真っ先にシャワーを浴びた。
やっとまた、ひと段落した。プレッシャーを感じるタイプではないものの、ずっと心待ちにしていた二日間をやっと終えたのだ。達成感がないわけはない。けれどいつまでもこんな気持ちが、日常が続くわけはなく、明日とあさってを終えれば、水曜には高校の入学式──本来の現実が待ち構えている。
三種類の飲み物しか入っていない冷蔵庫からビール瓶を取り出すと、彼女はソファに腰をおろした。この家にはテレビがない。必要がないからだ。リビングのみで言えば、あるのはラグとセンターテーブル、三人掛けソファとクッション、祖母の家で使っていたビーズクッションふたつ、床に置かれたCDコンポのみ。あとは小物があるくらいだ。
この一週間、空時間にヤンカやディックにつきあってもらい、買い物には行った。けれど開店準備を優先させていたので、最低限のものしか揃っていない。そのうちちゃんと家具を買い揃えに連れてってくれるとディックは言っているが、ベラにはどうでもよかった。
ビールを飲んで一息つくと、テーブルに置いたままの、使えなくなった古い携帯電話を手に取り、一方でハンドバックから新しい携帯電話を出した。古いほうの電話帳を開き、番号を確かめて新しい携帯電話でゲルトに電話する。すでに午前一時を過ぎている──迷惑なことはわかっているものの、この二日間が終わったら彼に電話しようと決めていた。時間を理由にやめてしまうと、次に電話するきっかけが見つからなくなってしまうかもしれない。
呼び出し音は数回続いたあと、不機嫌そうな声に変わった。
「誰?」
「ゲルト? 私」
「──ベラか?」
「そう」
「お前──」彼は呆れたような、咎めるような声を返した。そしておそらく眠っていた彼は、電話のむこうで身体を起こしている。「──聞いた、デボラのこと」
デボラというのは、先週金曜に亡くなったばかりの、ベラの祖母のことだ。
彼女は質問を返した。「アニタから連絡あったの?」
「あった。今週の水曜だっけか。俺に話してないとは思ってなかったらしくて、お前から連絡あったかって。ないけどなんでって訊いたら──デボラが死んで、お前が消えたって」
とてもシンプルな言いまわしだとベラは思った。ウェスト・キャッスルに残っている人間からすれば、それがいちばん適切な表現らしい。
「べつに消えたつもりはないんだけどね。消えられるならそのほうがいいけど、学校あるし。それすら行くのやめて、ウェスト・キャッスルからじゃなくて、ベネフィット・アイランドから姿を消すって手もあったけど──そうもいかなくて」
「そりゃそうだろ」
理由をわかっていないだろう彼の言葉に、彼女は笑った。
「違うよ。法的な問題とか、親がどうとか、実行力とかお金とか、そういうんじゃなくて。約束があったから。バイトするのね、私。っていうかもうしてるけど。そこで仕事するって約束があったから、投げ出すわけにもいかなくて──投げ出したくはなかったし。だから、ベネフィット・アイランドを出て行ったりはしなかった」
数秒沈黙があった。それを、静かな口調でゲルトが破る。
「いきなり、間違った気がする」
「なにが?」
「お前と別の高校選んだこと」
ベラが入学するのはミュニシパル・ハイスクールで、ゲルトは地元であるウェスト・キャッスルから近い場所にある、テクニクス・サイエンス・ハイスクールへの入学を控えている。
「間違ってないよ」と彼女は言った。「むしろ同じ学校を選んでたら、私はあんたにまで、アニタに言ったのと同じこと、言わなきゃならなかったかもしれない」
「それも聞いたけど──あいつ、すげえ泣いてた」
ベラは知っている。電話のむこうでアニタは泣いていたし、自分自身も泣いた。
「距離が欲しいの。ぜんぶに距離をつくりたい。特に、アニタやペトラってのは、女だし。友情と恋愛がもつれてぐちゃぐちゃになるようなの、もうイヤなの。今はまだ爆発せずにすんでるけど、いつ爆発するかわからない。そうなったらまた傷つける。そうなるまえに、距離とっておきたい」
「けど、アニタは同じ学校だぞ。会うだろ」
「うん、たぶんね。部屋を決めて“母親”に連絡した時、できればアニタと同じクラスになりたくないって言ったの。あのヒトはそれを学校に伝えた。どうなってるかはわからないけど、学校もあのヒトから事情を説明されてるから、運がよければクラスは別」
また沈黙ができ、ゲルトは溜め息をついた。
「どこまでも自己中だな。どこまでも徹底的。どこまでも逃げ腰で、どこまでも独りよがり。ほんとに、頼ることなんてしねえのな」
彼の言葉はいつも的を得ている。二人のあいだには遠慮などないので、ゲルトはいつでも、ベラがいちばん言われたくない言葉を言うことができる。
そしてそれは、彼女の心をまっすぐに傷つけ、彼女を泣かせる。
ベラの頬を、静かに涙が流れた。だがそこには、彼に対する怒りもあった。
「──頼ったあげくに、なにも気づかなくて、無理させてたなんて気づかなくて、いきなり死んだのよ。そんななのに、頼ったりできるわけ──」
「話が違う」彼は彼女の言葉を遮った。「デボラは病気だったんだろ? だったらお前のせいじゃないだろ。気づかなかったのは、デボラが徹底的に隠してたからだ。心配かけたくなくて、知られたくなかったから。言わなかったのはデボラの意志だよ。だったらお前じゃなくたって、他の誰も気づかなかったかもしれねえだろ。なんでお前が自分責めるんだよ」
この一週間、ベラがそんなふうに考えたことはなかった。気づかなかった自分を責めてばかりいた。本人の自覚がないところで、もともとそういう性格も持ち合わせているのだが、気づけるところはあったのにと、ここ最近、そんなことばかりを繰り返していたので、自分を責めるのがあたりまえになっていた。
言葉を返せない彼女に対しゲルトは続けた。
「距離とりたいってのはわかる。俺もお前に同じことしたから、そこを責めるつもりはない。もし俺らが受験勉強でデボラに会ってたんじゃなきゃ、お前だってそこまで考え込む必要、なかったかもしれないし。っつーかお前が自分責めるんなら、俺らにだって、少なからず責任はあるってことになる。やたらお前の家に押しかけて、散々迷惑かけてたんだから。お前ひとりが悪いなんてこと、絶対ありえねえ」
ゲルトは、ベラのいちばんの理解者だ。小学校時代、五年生の時を除いてずっとクラスが一緒で、中学でも一年と二年を同じ教室で過ごした。彼女の何気ない愚痴をいちばんそばで聞いていた人間でもあり、家庭の事情もある程度知ったうえで、彼女の性格をよく理解している。ずっと支えていてくれたし、高校に入れば距離はできるだろうが、性別を超えた大切な友達だという部分はこれからも変わらないだろうと、お互いに確信している。
立てた脚に顔を伏せ、ベラは泣いた。やっと、少し救われた気がした。この部屋にいれば自分を責めるばかりで、早く朝がくればいいと思っていた。ただシャワーを浴びて寝て起きるだけになっていたこの部屋でやっと、ひとりでやっていける気がした。
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そんなベラの泣き声を電話越しに聞きながら、ゲルトがまた溜め息をつく。
「すぐにとは言わないけど、連れてけとも言わないけど、せめてどのあたりに引っ越したかくらい、ちゃんとアニタに言ってやれよ。そりゃもちろん、変に気遣われたくないんだろうから、あいつが普通に遊びに行くって感覚になるんじゃなきゃ、ダメなんだろうけど」
鼻をすすり、彼女はゆっくりと深呼吸した。
「いつかは教える──けど、とりあえず高校行って様子見てみなきゃわかんない。入学式で会ったら、あいつ絶対、去年の冬休み開けと同じ顔するんだもん。アゼルがいなくなった時と同じ顔」
彼が苦笑う。
「確かにすると思う。入学式でお前の顔見た瞬間、あの顔してるあいつの姿が目に浮かぶ。──そんでお前はやっぱりそれにムカついて、うんざりした表情返すんだ」
それを彼が見ることはもうないのだろうと、ゲルトはそう言っているのだろうというのが彼女にはわかった。
「──あんたは、訊かないの? どこに引っ越したか。どんな部屋か」
「べつに。だってお前、俺には言うもん」
目に涙を浮かべたまま彼女はきょとんとし、笑った。
「訊かれたら言うつもりだった。でも教えてもね、ほとんど家にいないのよ。今日も朝八時に出かけて、帰ってきたのが零時三十分過ぎだったし。居残ってたってのもあるけど」
「なに、バイト? そんなハードなもんやってんの?」
「ハードってわけじゃない。ある意味ハードだけど──あ、これは訊かれても教えないけど。でも怪しいのじゃない。ちゃんとしたとこ」
「ふーん。じゃあどっちにしてもあれか。乗り込む暇がないっていう」
「そうね。強制ってわけじゃないけど、学校がはじまっても、帰ったら着替えてすぐそっちに行くし。無駄に居座るし」
「自由か」
「半端なく」
「家具は揃ってんの?」
「最低限のものだけ」
「部屋は何部屋?」
「1LDK。ベッドルームと、あとはひとりには広すぎる気がするリビングとダイニングとキッチンが、仕切りもなくひとつにまとまってる」
「ラグとソファは?」
次々と繰り出される彼の質問に、ベラも淡々と答えていく。「あるよ。ソファは三人掛け。ビーズクッションも持ってきた。あとクッションがみっつ」
「寝るにはじゅうぶんだな」
「は?」
「明日の夜、俺が乗り込むってどうよ。お前がバイト終わったあと。お前がいいならセテも一緒に」
厳密に言えば、明日はバイトというバイトはない。仕事はするが。
「めんどくさい」と、ベラは答えた。
「俺もすごいめんどくさい。けど学校はじまったら、それこそいつ暇になるかわかんねえじゃん」
面倒だとはいえ、それにもうなずける。
「なら明日、夜の八時くらいでいい? セテも来るなら一緒に。ついでに夕食にピザでもとる? ビールはあるし」
「奢る金あんの?」
「ある」
「ほんとに自由だな。まあいいや、んじゃそうするか。あとの説教は明日にする。あ、あとお前、アドレスも送れよ。こっち変わってないから」
「じゃあメールで住所送る。タクシーで来ればいいよ。近くに来たらワンコールして、そしたら出迎えに行って、料金も払うから」
「わかった。じゃな」




