〇 I'm So Sick / Going Under
ベラはフライリーフの、スタッフ用フロアへのドアを入ったところで壁もたれた。
「エイブに聞いた。あいつらとヒラリーに、変なこと言っただろ」無線のイヤフォン越しにディックが言った。
「それである程度距離をとってくれるなら、それでいいと思ったのよ」
「そっち目的なら、たぶん失敗だな。心配はしてたみたいだが」
彼女は鼻で笑った。
「心配? なんの? 頭がイカれてるんじゃないかって? 精神科にでも行けって?」
「ベラ」彼は咎めるような声を出した。「あいつらがそんなふうに思ってないってことは、お前もわかってるだろ。そこそこ出来た人間なら、そのくらいじゃ動じたりしない。むしろよけいに心配させるだけだ。年を教えたからさらに。その年でなにがあったんだって」
ベラは唇を噛んだ。
「なにがあったって、私は昔からこんなよ。両親の離婚なんか関係ない。キレやすくてイカれてる。破天荒で発想がめちゃくちゃ。他に遠ざける方法がわかんないの。しかたないじゃない」
「無理に遠ざけようとするなよ。細かいことを話さないっていう選択肢だってあるだろ。もうちょっと──」
「わかったから、放っといて!」怒鳴るような声で彼の言葉を遮ると、彼女は向きなおってドアノブに手をかけた。「サヴァランからそれほど間を置くつもりはないの。空気をパンクのままにしておきたくない。客の注文が落ち着いたら“I'm So Sick”、いく」ドアに額をあずけて目を閉じる。「──喋りすぎかなとは思ったのよ。でも目閉じたら、その映像が出てきたんだもん。しょうがないじゃない。私は思ったことをそれなりに口にするタイプなのよ──仕事はする。女シンガーも見つけるし、ちゃんと詞も書く。でもその子たちと仲よくするなんてことは、約束できない。女は苦手なの。男なら簡単に傷ついたりしないかもしれないけど、女はすぐに傷つく。私は知らないあいだに傷つけてる。それがイヤなの。だったら、傷つけるまえに距離をとっておいたほうがいい」
数秒沈黙したあと、ディックは溜め息をついた。
「わかった。女シンガーはしばらくいい。昨日いきなり二人も見つけたんだ。しばらくはお前と三人でまわす。あいつらが慣れてきたらひとりずつうたわせて、たまに二人でもうたわせる。それでやってく。いいな」
泣きそうになったのをこらえ、ベラはゆっくりと浅い深呼吸をした。
「──ん。ごめん」
「かまわん。お前も来週は入学式で、詞を書くペースは落ちるだろうしな。エイブがちゃんと、詮索嫌いだからなにも訊かないほうがいいとは言ったって。だからたぶん、根掘り葉掘り訊くようなことはしないだろ。二人ともあの性格だ。訊くより話すほうが好きなんだろうしな」
涙を浮かべたまま、彼女は苦笑った。「たぶんね。ああいうのも苦手。ほんと苦手」
「苦手が多すぎだな。とりあえず十分後、“I'm So Sick”からいく。一周めはいいけど、二周めはノリのやりくりがちょっとハードだぞ。ちゃんと準備しとけよ」
「わかってる」
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無線を使ってのディックとのやりとりを終えたベラは、客の入店がひとまず落ち着いたらしいガラス戸の脇に立つエイブを睨むように見た。
「なに」
彼女はなにも答えず、彼にハグをした。というより、首に手をまわして彼に抱きついた。
「どした」
「じゅーでん」
「なんの?」
「演技力」
「うん、意味わかんないけど」
そう言いながらも、彼もそれに応えて片方を彼女の腰にまわし、もう一方で髪を撫でた。
彼に訊ねる。「どうやったら、そんなふうに万年穏やか人間でいられるの?」
「君と万年のつきあいした覚えはないけどね」
ベラは笑った。「怒らないの?」
「怒るよ。けど年とると、たいていのことがどうでもよくなる。諦めが早くなる」
「そういえば見た目以上に年とってるんだっけ」
「失礼な言いかたするな」
「ほら怒らない」
「半分は褒めてるだろ。見た目若いって」
「褒めた覚えはない」
「相手が褒め言葉だって受け取ったんだから、それでいいんだよ。たぶん」
ベラは相手の気持ちを考えない人間だった。考えてもわからないのではなく、考えてもわからないから考えないことにしている人間だ。さらに鈍感で無神経ときている。知らず知らずのうちに誰かを傷つけていたことを、いままで散々思い知らされてきた。昔ならそれでもよかったが、中学三年間のあいだに、そうは思えなくなった。相手の反応に臆病になっている部分がある──それでも元の性格も手伝って、思っていることをあっさり口にしてしまう。不注意だと言えばそれまでだが、ベラはもう、自分がどうなればいいのかわからなくなっていた。
「もうすぐ“I'm So Sick”だろ」彼女の髪を撫でながらエイブが言った。「それから“Going Under”。ぶっ壊れてきなよ。ここで聴いてる」
ベラは彼の香水の匂いをめいっぱい吸い込み、深呼吸してから、やっと身体を離して彼に微笑みを返した。
「うん。いってくる。怒りつつ泣きつつ憎みつつ、ぶっ壊れてくる」
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ステージ脇に控えるベラと、地下二階からあがってきたディック。二人は顔を合わせるなり、どちらからともなくハグをした。彼女は彼の言いたいことをわかっていた。彼は話に聞く以上の様々な問題が彼女を襲ってるんだろうと察したが、それ以上は訊こうとしなかった。
ベラはもう一度、マトヴェイたちがくれた、炭酸アップルジュースの容器に入れられたビールを飲んだ。“I'm So Sick”はディックが作った曲がはじまりで、結果的には恋愛を──アゼルを想って書いた詞のようになったが、この詞を書いた時の彼女はまだ、アゼルのことを引きずっているとは認めていなかった。
履いていたロングブーツを脱いだ彼女が、バンドメンバーであるディック、デトレフ、マトヴェイ、パッシと一緒にステージにあがる。拍手でそれを迎えた客たちは歌詞カードを用意した。ステージ上の照明はいつもより少し暗めにされている。ベラの要望だ。
口元に指をあてて“静かに”と客たちに合図すると、スタンドにセットしたマイクに両手をかけて目を閉じ、それを待った。この曲は最初、三行目の最後で突然シャウトする。客の心を一気に引き込もうと思えば、最初の脆そうな声とそのシャウトに、かなりのギャップをつくらなければならない。
演奏がはじまると、ベラは自分のイメージする、“病んだ脆い女”になりきって、うたいはじめた。
落ちていく 闇の中へ
あなたの空っぽの愛を感じながら
落ちていくの──
私は病んでいる
麻薬のようなあなたに夢中になって
望むすべてを犠牲にして
曖昧にねじれた境界線
病んでいる とても病んでいる
蜘蛛が罪深き私を裁く
私は這いつくばり 懇願し 命を捧げる
道徳心が侵され
悪魔の囁きに汚染されていく
私は病んでいる
麻薬のようなあなたに夢中になって
望むすべてを犠牲にして
曖昧にねじれた境界線
病んでいる とても病んでいる
私の油断だらけの羽を圧し折って
あなたの元へまっすぐ落ちていけるように
もっともっと傷つけて
あなた以外を愛せないように
あなたの冷たい瞳の中で生きている
あなたが私を傷つけることで命を実感し
あなたがつけた傷痕を弄んでくれるから
私は病んでいる
麻薬のようなあなたに夢中になって
望むすべてを犠牲にして
曖昧にねじれた境界線
病んでいる とても病んでいる
ハードロックは好みが分かれるが、ベラたちはそんな心配をしていなかった。自信があった。事実、客たちの歓声はやはり大きかった。もちろん昨日も来ていた客の中には、ベラがうたいこなすジャンルの幅広さに関心して拍手をした者もいるだろう。
この店では、基本的にはマイクパフォーマンスをしないことになっている。けれど次の曲は内容が内容だけに、少し話しておいたほうがいいんじゃないかという意見が出ていた。ベラは拒否したものの説得され、渋々了承した。
マイクを持ったパッシが切りだす。「次の曲の詞見たら絶対、引くと思う」
「いや、たぶんもう引いてるな」別のマイクを持つマトヴェイは客席を示した。「ほら、みんな次の詞見ただろ。かたまってるだろ」
どっと笑いが起きた。
パッシが彼女に訊ねる。「いやほんと、この詞、なんでこんなことになってるわけ?」
スタンドからはずしたマイクを持ち、“演技する自分”で質問に答える。「はじまりはボスが送ってくれた曲。いきなりこんなの書くわけないじゃない。ゴシックだよ、怖いよ、やべーとか思って」また笑う客たちがいたが彼女は気にしない。「だったらほら、怖い詞を書こうってことになるでしょ。ゴシックメタルとか、完全に好み分かれるし。私もあんま聴かないんだけど。なんで送ってきたんだっつー話になるんだけど」
彼らも客たちも笑った。ベラが続ける。
「どうせならもう、とことん引かれちゃえってね。でもだいじょうぶ、この曲そのものはかっこいいの。そんな私は、ものすごくがんばってひくい声を出さなきゃいけないんだけど」
笑い声とひやかす声の中、客席から質問があがった。
「オトコいんの?」
くすくすと笑いが起こる。ベラは素に戻りかけたが、答えるよりも先に、声のしたほうに左手を挙げて見せた。
「見える? 薬指に指輪があるの。これ以上は言わなくてもわかるよね」左手をおろす。「っていうかこんな危ない詞書く女、ほんとにやめたほうがいい。実はこれが素かもしれないし。だとしたら、いつ刺されるかわかんないよ、マジで」
質問の主がいるだろう方向に向かって言うと、大きな笑いが起きた。
パッシがあとを引きとる。「うん。ということで、刺されたらたまんないから、ちょっかい出さないほうがいい。オレらですら怯えてんだからね。せっかくバーガー差し入れしてやったのに、なんでケーキがないんだとかわけわかんないこと言われても、怖くて反論できないからな。素直に土下座してゴメンナサイだからな」
ベラには覚えのない話に、客のほとんどは大笑いした。
「よし、んじゃいくか。めいっぱい引いてもらうぞ」
マトヴェイがそう言い、彼女たちは準備に入った。マイクを再びスタンドにセットし、笑いをこらえるディックと目で合図をかわす。拍手をする客たちに向かって、ベラは微笑んだまま再び口元に指をあて、“静かに”と身振りで示した。拍手がおさまってしんとすると、合図をきっかけにすぐ、彼女はうたいはじめた。
あなたを絞め殺すのは簡単 自由を奪えばいい
泣きながら、憎みながら そして愛しながら
愛が永遠になることを願って
あなたを刺し殺すのは簡単 あなたが隣で眠っている時にすればいい
あなたの叫びを聞き 血を眺めながら
その血は最後の一滴まで拭い去るわ
だけどあなたを断ち切るのは無理
沈んでゆく 終わらない痛み
私たちは矛盾 痛みが与える至福
私たちは沈んでゆく
あなた欺くのは簡単 あなたが夢を真実だと私に信じさせたように
難しいのは自分を欺き立ち去ること
私のすべてが どうしようもないほどあなたを求めてる
あなたを断ち切るなんて無理
私は沈んでゆく 終わらない痛み
私たちは矛盾 痛みが与える至福
死にゆくの 深く暗い海に溺れて
また傷つけ合いながら 光のない場所へと沈んでゆく
私は沈んでゆく 終わらない痛み
私たちは矛盾 痛みが与える至福
私たちは沈んでゆく




