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輝き星の舞姫  作者: 若竹
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 石造りの小さな家に入ると、ランプに照らされて粗末な古いテーブルと家具が並んでいるのが見えた。左手にある台所から夕飯の匂いが漂っていて、いつもと変わりない様子に少しほっとする。

 温かい家の中はたまねぎと人参、他にも何んだか混ざった野菜の匂いが漂い、ぐつぐつと鍋でスープを煮る音が聞こえる。つまり、そのくらい狭くて簡素な造りの家というわけだ。

 台所を覗けば、こちらに背を向けて母さんが鍋をかき混ぜている。

 わたしは「ただいま」と短く声をかけて、右手奥にある自分の部屋へと直行した。

 背中から追いかけるように母さんの声がしたけれど、聞こえなかった振りをしてドアをばたんと勢い良く閉めた。母さんが部屋に入ってきそうな気配が無いのを確認してから、ふうと息を吐く。

 母さんにこんな泥塗れの格好なんか見られたら、怒られるかブツブツと小言を零すかに違いないから、手早く着替えてしまうに限る。

 真っ暗な自分の部屋に入ると古びたランプに火を灯した。これでようやくぼんやりと、部屋の中が明るく見えるようになった。

 まずは顔の汚れを落とすため、桶に水を入れて用意する。水の張った桶を覗いた時、翠の眼がゆらゆらと映っていた。揺れる水面の所為で歪んだ顔は、青白く泥塗れで見るも無残な有り様だった。

 ウォルフが拭き取った時はよっぽど汚れていたのだろう、見るに見かねて拭いてくれたに違いない。

 わたしは桶に勢い良く腕を突っ込んで、水を掻き混ぜると見たくも無い顔を消し去った。ざっと顔を洗って汚れた服を脱ぐ。床に落ちた服には汚れの他に大きな穴も空いていた。 泥で汚れたスカートには、結構な大きさの穴が生地を裂く様にできている。

 わたしは知らなかったとはいえ、二人の騎士に惜しげも無く足や太腿を晒していたのだ。

 なんて事。今更ながらに恥ずかしさで悶絶した。


 ひとしきり恥ずかしがった後、破けたスカートを手に取った。

 こんなに大きく破れるなんて、一体どんなこけ方だったかしら。まあ、酷かったのには間違いないけれど、何とか繕えるかしら?

 ぎざぎざに裂けた生地を手でなぞってみる。駄目だ、どうやったって繕えそうには無かった。これは数少ない服の一つなのにと、思わずため息が零れてしまう。 

 取りあえず、痛みを堪えながら身体と髪の毛の汚れを拭き取ると、手早く着替えを済ませた。


 今頃、ウォルフとレオナードはどうしているだろう?

 無事、用事とやらは済んだのだろうか。

 考えてみれば、年若い男とあんなに長く接触するなど初めての事なのに、残念としか言いようが無い出逢いだった。

 それでも親友のシェリルが知ったら、大喜びしそうではある。シェリルはロマンスと空想が大好きで、騎士様とかに眼が無いのだから。

 さっそく明日教室で会ったら報告しようか。


 などと考えていると、扉の向こうから母さんが大声でわたしの名を呼んでいた。はっと我に返ったわたしは急いで台所に向かった。


「何度呼ばれれば気が済むんだい、リリィ。聞こえてたんだろう?」

「ドアを閉めていたから気付かなかったの」

「へえ、結構大きな声で呼んだんだけどね」


 母さんは疑わしそうに、その手に木杓子握ったまま振り向いた。


「リリィ、今日は遅かったね、一体何してたんだい。ん? あんたその傷はどうしたんだい? 痣まで作って」

「これ? 別に大した事ないわ、転んだの」


 手を止めて母さんはじっとわたしを見つめたあと、ほうと溜息を吐いた。

 こちらにくるりと背中を向けると、再び鍋に向き直る。


「どうせまた、躍りでこさえたんだろう、大丈夫なのかい? まったく、懲りもせず次から次へと怪我をして。いつまでたっても上達しないんだから、いっそのこと辞めちまえばいいのにさ」

「別に、こんなの大した事ないんだから。それに、今年こそは舞姫候補になってみせるわ。だからそんな事言わないでよ」


 此処で弱気になって、負けてはいけない。どうか、母さんがわたしの強がりに気が付きませんように。祈るような気持ちを隠して強がってみせる。母さんはそんなわたしの気持ちに気が付いたのか、どうかは分からなかったが、鍋の前から動こうとはしなかった。

 代わりに母さんは背中を向けたまま、妙にしわがれた声で言った。手は休める事無く鍋をかき混ぜている。


「うちは裕福な家庭じゃないんだから、いつまでも遊ばしておく訳にはいかないんだよ。舞踏教室だって無料じゃないしさ。それよりも家畜の世話をしてくれると助かるのにね」


 ずきんと、胸に痛みが走った。これはさっきの怪我の所為いじゃない事は分かっている。わたしは何も食べていないというのに、口の中が苦くなった。


「……分かってるわよ。それに、家事と家畜の世話は今でも手伝っているわ」

「そうかい。だったら、ヒツジの世話でもしてきておくれ」


 わたしは返事もせずに勝手口から飛び出した。いま口を開いたら、何を言ってしまうか分からなかったから。

 暗闇の中、ランプを手に家の裏手にある家畜小屋に入る。夜になると、満月の日でさえ殆ど視界が利かなくなる。ランプを灯しても暗くて見え難いけれど、日々繰り返した作業は身体が覚えていて、大体どこに何があるか把握している。

 わたしはヒツジの世話をただ黙々と続けた。この作業は結構力を使うので、何かをしようとするたび打ちつけた所が刺すように痛んだ。

 動くたびにずきずきとする腕や足の所為で、一層気が滅入ってしまう。

 そんな土砂降りの雨の日みたいなわたしの気分を余所に、メエメエ鳴く羊達はとてものんびりしている。

 そののんびりした様子を眺めていると、ヒツジは餌を強請っているだけなのに、なんだか落ち込んでいるわたしを慰めている気がしてきた。


「ねえ、どうして? 何でこんなにも見えなくなってしまったの?」


 その言葉を聞いているのはヒツジだけ。零れた涙を見たのも彼らだけだった。



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