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赤毛の男はその態度や体格から器用さとは無縁のように思えたが、手慣れた様子で処置を済ませた。
ようやく終わってくれた。わたしは赤毛と金髪に気付かれないよう小さく溜息を吐く。
これで、距離が近過ぎる騎士二人組から解放される、と安堵したのも束の間。
何の前触れもなく突然身体が宙に浮いた。
何事かと思えば赤毛の男に抱えられていたようで、あまりの事態に眼をひん剝いた。わたしは驚愕の余り、自分に何が起こったのか理解するまで時間がかかってしまった。
ようやく今の状況が分かった時には、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。
こんな、物語に出てくるお姫様のように抱えられた事など子供の時くらいしか無い。
「あっあの、降ろして下さいっ」
このままでは羞恥でどうにかなりそうだった。
けれど、赤毛の男はちらりとこちらに視線を投げただけで、何の返答も無く直ぐに逸らした。そのまま、沈黙だけが続く。
こいつ何か言え、何か!
「副団長、言葉が足りませんよ。そんなんだから相手を怯えさせるんですよ」
金髪男が眉をへの字にして笑うと補足するように言った。この赤毛男は口数が少なすぎるため、側にいる金髪がフォローする役割なんだろう。
「リリィちゃん、君の家まで送るよ。怪我をしているか弱い女性を放っておくなど出来ないな」
わたしの家は村外れにある襤褸屋だ。このような身なりの良い人に入ってもらうような家では無いし、茶など出そうにも自家製の三流茶しかないのだ。はっきり言って遠慮してほしいし、むしろ迷惑でしかない。なにより見ず知らずの男性に送ってもらうなど、これでも年若い女なので羞恥心と警戒心が湧き上がってきた。
「いえ、ここで少し休んでいれば大丈夫ですから、降ろしてください」
わたしは大きな腕の中で子供のようにイヤイヤと身じろぎした。痛かろうと、くらくらしようと構わない。そのくらい必死だった。
しかし、どんなにわたしが抵抗しようが赤毛の太く硬い腕はびくともしない。布越しに伝わってくる鍛えられた逞しい身体は、まるで檻みたいに頑丈だった。
こうなったら仕方が無い。最後の手段として、わたしは大声で文句を言おうと大きく息を吸った。くらりとする頭に気分が悪くなるのを堪えて、きっと赤毛の男を仰ぎ見た。
すると、予想よりずっと近い場所に男の顔があって驚いた。このくらいの距離ならば、わたしにだって相手の顔が見える。
赤毛男の緑の瞳がわたしを見下ろしていて、バチンと火花が散ったかと思う位、もろに視線がぶつかり合う。
この人何を考えているのかしら。いらついているか、手間をかけさせるとか思ってるんじゃないの?
けれど、緑の眼は水面のように静かで何も窺えない。苛立ちも優しさも現れず、澄んだ泉みたいに透明だった。表情も乏しく男の機嫌が分からない。
ただ、予想外に至近距離で見た赤毛の顔は整っていた。その顔に大きな傷跡さえなければの話だけれど。
額から若葉色の瞳にかけて斜めに大きく傷が走っている。その白くきっぽになった傷と彼の体格とが合わさると、とても迫力があって正直怖い。
この男に一体何をされるんだろう? もしかして、このまま家に帰れないんじゃあないの?
傍で見ていた金髪男はわたしの混乱と怯えを感じ取ったのか、優しく微笑むと諭す様な口調で言った。
「リリィちゃん、僕らは怪我をした女性を放っておくような人間では無いよ。しかも、こんな時間にね。騎士として、その名に恥じぬ行いをするつもりだ。それに、本当に頭を打っていたら、取り返しのつかない場合だってある。状態によっては医者に見せた方がいいかもしれないしね」
真摯な口調で言った。なんと、彼らは騎士様だったようだ。
本当にそうであるならば、少しはまともな人間なのかもしれない。
「そんな形りでふらふらするな。こんな時間に」
その言われ方にむっとする。騎士様だからといって何なんだ、随分と偉そうに。けれど、悔しいが確かにこの赤毛の言う通りではある。
いつの間にか太陽は険しい山々の向こうに半分ほど消していた。直ぐに日は落ちて薄暗い闇が辺りを染めるだろう。自分のような少女が一人ウロウロしている時間では無い。
おまけに自分は怪我人で、視力に問題もある。
これでは、大人しく従わない訳にはいかなかった。暗くなれば、わたしの眼はほとんど何も見えなくなってしまうから。
それにわたしはすっかり疲れてしまい、言い返すのが面倒でもあった。
「……お世話になります」
わたしは抵抗するのを止めて、赤毛の男に身を預けた。重いのではと気になるけれど、仕方ない。このさい本人が良いと言うんだから、少々重くても構わないだろう。
「リリィちゃん、君の家は?」
「ここから少し先の村から外れた所にあります」
指差した先には草原の中にぽつりと浮かぶ、明かりの灯った小さな家。
「行くぞ」
しっかりとした足取りは一定のリズムで振動を伝えてくる。
「そう言えばまだ名乗っていなかったね。僕はレオナード、よろしくリリィちゃん」
「こちらの赤毛の騎士は……」
「ウォルフだ」
ウォルフの歩調は足場の悪い凸凹道でも変わらない。しかも、非常に安定感があったりする。
悔しいことに、態度は悪いが扱いは悪くない。認めたくはないけれど。
わたしの背中と膝の裏にはウォルフの腕がある。こういうの、結婚式に新郎が新婦を抱える時にやるくらいだ。こんなことされている人、村では他に見た事が無い。
ウォルフの上等な服と革製のグローブ越しでも分かるほど硬い腕。彼の逞しい胸がわたしの頬が触れているのかと思うと、落ち付かない。
やだ、変に意識しちゃう。
彼らは騎士道精神を発揮して、病人を運んでくれているだけの筈だ、多分。
ウォルフとレオナードは少し離れた場所に馬を繋いでいた。
ウォルフはわたしを難なく馬に乗せると、同じ馬の背に跨った。そのままわたしを両腕に抱えるようにして手綱を握る。
わたしは馬に乗るのは初めてで、視界が高くて落ち着かない。くらりとするのは頭を打ったせいか、乗りなれない馬のせいか。足に伝わる馬の体温が妙に感じる。
馬がゆっくり進み出すと、地面と違って不安定な揺れと乗り心地に恐怖を覚えた。
「馬の背は揺れる。凭れていろ」
ウォルフはわたしの額に手を当てて後ろに引いた。わたしが緊張で身を固くすると、わたしの身体を両股で挟む形でぴったりと体を密着させてくる。
左腕がわたしの身体に巻き付くと後ろへ押した。ウォルフの身体の方へ。
密着する背中に息が止まるかと思った。なんとか浅く小さく呼吸をして、怯えた動物みたいにぎゅっと縮こまる。
「力を抜け、楽になる」
言葉は少なく無愛想なのに、その手つきは意外にも優しくて、そっとという表現がぴったりだった。
ウォルフが身動きする度金属の擦れる音が微かにした。それは、レオナードも同じ。二人の腰には無骨な剣がぶら下がっていて、これが音の正体なのだろう。
今更ながらに、相手が武器を持った人物である事に気付いた。これではますます大人しくしておくほかない。こちらは非力な小娘なのだから。
肩には銀のブローチでマントが止めてあり、そのまま背中に垂らしている。纏っているマントや衣服には緻密な刺繍で家紋が入っていて、その身なりや雰囲気から察するに、立派な騎士様達のようだった。
日はすっかり落ちて闇が広がっていく。ほとんど何も見えなくなった視界にぼんやり入るのは、空に浮かぶ青白い月だけだった。
家に着くまでに頭痛とめまいは消え、身体中の痛みも随分楽になっていた。馬から降ろして貰った時も、どうも感じなかった。もう動いても大丈夫だろう。
けれど、結局ウォルフに抱えられたまま、自分では歩く事無く家の扉の前まで送ってもらった。
「あの、もう立てます。頭痛とめまいも無くなりましたし」
「さっきより顔色が随分良くなったみたいだね。気分は落ち付いた?」
「はい」
ウォルフは古びた我が家の扉の前で、わたしをそっと降ろしてくれた。暗闇を探ると手に馴染んだドアノブが触れる。
ウォルフは移動中、終始優しく丁寧だった。その対応にわたしの警戒心は随分と薄らいでしまい、驚くべき事に感謝の気持ちすら覚えていた。
「傷の手当てをして貰った上、家まで送っていただくなんて。御親切にありがとうございました」
ゆっくりと二人の声に向かって頭を下げる。
めまいも頭痛も起こらない。うん、どうも無いみたい。
「いや、感謝には及ばない、当然のことをしたまでさ。リリィちゃん、次からは気を付けるんだよ。では、僕らはここで失礼する。君の事は心配なんだけれど、まだ他に用事があるんでね」
「今度からは寄り道せずに、真っ直ぐ帰宅しろ。いいな?」
ウォルフは口数が少ないくせに、チクリと釘を刺すのは忘れない。
余計な御世話だとも思えたが、わたしは素直に頷いておいた。随分とお世話になってしまったからだ。
「はい、お世話になりました」
他にも用事があったなんて、どうも余計な手間と時間を取らせてしまったらしい。わたしが返事をしてすぐに、二人の気配は消えて分からなくなった。