17
ウォルフが腰のポーチから何か取り出した。
「これを掛けてみろ」
「何?」
一体これは何なのだろう。どうやって使うかも分からない、不思議な形をした物体は中に透明度の高いガラスが入っていた。外枠は銅で出来ていて鋭い光を帯びている。
一目で高価な物であるのが分かった。
何度か促されて恐る恐るウォルフの手から受け取った。だとしても、どうしていいものか分からずに戸惑っていると、ウォルフがひょいと眼鏡とやらを手にしてわたしの顔にあてた。
「こうするんだ」
それは、耳に引っ掛けて鼻の上に載せるといった奇妙な形の物だった。
「眼鏡と言うんだが、どうだ?」
「……くらくらする」
眼鏡越しに見る景色は鮮明過ぎた。痛い位くっきりと、周りの景色がわたしの視界に飛び込んでくる。
こんな凄い物があるなんて。
それは、わたしにとって奇跡を起こす魔法の道具だった。
でも、どうしてこんな凄い物をウォルフは持ち歩いているのだろう。
間違いなく高価な物だろう。わたしなんて一生お目にする事のない物だろうに、持ち歩くなんてあり得ない。しかも、見るからに繊細そうで、壊してくれと言っているようなもの。
「ねえ、ウォルフさん。本当はあまり眼は回復してないんじゃないの?」
ウォルフは首を横に振って、眼鏡を外そうとしたわたしの手を制した。
「今では不要となったものだ。強いて言えばお守りだな」
「……そうだったの。だから、貴方はわたしの眼が悪い事が分かったのね」
「痛い位にな」
だからわたしの事が放っておけなかったのか。
ウォルフは眼鏡を掛けたままでいるわたしの頬をそっと撫でた。わたしの暗い気持など、気付きもせず。
わたしは上目遣いにウォルフの顔を眺めた。眼鏡越しに見える顔は整っていて男のくせに美しいとさえ言えた。ただし、無愛想でそっけない態度と顔の傷さえなければ。
元が整っているせいで余計に迫力が増している。おまけに、この無愛想な表情と言ったら、怖がられても仕方ないだろう。
こんなことなら、見えない方がまだ良かったかもしれない。なんとなく逆に話しかけづらくなった。
そんな事を思っていると、目の前にある傷の入った若葉色の瞳が細まった。つり上がり気味の目尻が僅かに下がって皺が寄る。
意外にも、ついさっきの印象を払拭するほど軟らかい表情だった。
気付けばぽうっと見とれていた。
「ウォルフさん。貴方って、本当はそんな顔だったのね。もっと怖い人かと思ったけど」
傷のせいで怖いと思えたその顔は、あっという間に凛々しくて優しいものへと印象を変えた。まるで、氷が水へと変わるかのように。
緋色の髪はまるで暖炉の炎みたいに綺麗な色だった。
ウォルフはわたしの言葉に一瞬意外だとでも思ったのか若草色の宝石のような眼を見開いた後、返事の代わりに透明な笑顔を浮かべた。それは心からの表情で、わたしの心を暖炉の火のように温めてしまった。
ウォルフの全てがわたしの心を魅了した。……後で火傷をすると分かっていても、触ってみたくなるくらい。
わたしの言葉のどこにそんな表情をさせるものがあったのだろう。けれど、そんな些細な疑問などどうでもよくなるくらい、彼の表情に釘付けになった。
彼の笑顔以外何もこの目に映らなくなってしまう。
魅入られたように暫らくその顔を見ていたら、「ウォルフだ、リリィ。そう呼んでくれ」と彼は手を差し出した。
どきん、と心臓が跳ねて顔が火照った。どうか、彼が変なわたしに気付きませんように。内心祈りながら頷いて、その手を握り返した。
「リリィ、まだ舞台は終わっていない。見に戻らないか?」
はっと現実に戻らされた。ぼんやりと温もった心はすっと硬い殻を纏う。
「……そんなの、無理。どうして?」
解こうとした手をウォルフは逃さないというように、さっきより強めに力を込めた。
どうして、そんな事を言うの?
もう踊りには関わるつもりが無いと知っている筈なのに。舞台で他の子が踊っているのを見るのは辛いし、決心も揺らいでしまうだろう。
「今までに気付けなかったものが分かるかもしれんぞ」
ぐらぐらと心が揺れた。
本当にいいの? こんな不消化な気持ちのままで。
これからの一生の中で、眼鏡を使う機会なんて多分二度とない。
「それに、もう一度お前の舞が見たい」
その言葉はわたしの気持ちを強く推した。
――どうせなら最後にもう一度、この目ではっきりと見ておくべきだったかもしれない。
迷っていると、ウォルフの若葉色の瞳と視線がぶつかった。
すると、ウォルフはわたしの態度に業を煮やしたのか、「一緒に付き合ってやる」と言ってわたしの手をぐいっと引いた。