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こんな出来ではわたしが舞姫候補生として選ばれる事など無いだろう。
がっくりと落ち込みながら、わたしは舞台から退場した。
舞台の裏ではシェリルとケイト先生が待っていて、シェリルがわたしの顔を見た途端駆け寄って来た。
わたしはシェリルがやさしく声を懸けてくれるのをぼんやりと聞いていた。労いの言葉と共に怪我の具合を尋ねてくる。
シェリルの声をただ聞いているだけなのに胸が苦しくなってきた。眉を寄せて怪訝そうな顔をしているケイト先生も、一緒になって足の具合を尋ねてくる。わたしは痛みを堪えながらも、首を横に振った。
何でも無いというように、足を動かして。
先生が心配しているのは分かってる。けれど、とにかく今は一人になりたい。
わたしは二人の傍を離れて舞台裏から抜け出した。
足を庇いながらも出来るだけ急いで賑やかな広場を離れ、人気の無い集会場へと逃げ込んだ。
痛みはどんどん強くなり、右足を引きずるようにして集会場の裏手へと着いた。
途端、すとんと膝から力が抜けてしまった。ぺたりと冷たい土の上に座り込む。着ている衣装が汚れてしまうと分かってはいたのだが、足に力が入らなかった。
実際は立っているのでさえ辛かった。
わたしは糸の切れた操り人形みたいにぐったりと脱力してしまった。
少し湿っている地面は冷たくて、おしりがひやりとする。その感触に、まるで地面までもがわたしを拒絶しているかのよう。
今思い返してみても、みっともない舞だった。
よりにもよって、母さんの見ている前で。
右足首の痛みはいつまでもじくじくとして、わたしの気持ちそのもの。余計に暗澹たる気持ちになる。
ふうとため息を吐くと、狭い視界がじんわり歪んだ。
瞼が熱く鼻がツンとなる。
そんなの駄目。
今ここで泣いてしまったら、わたしはきっとさっきの舞台よりももっと惨めになる。
膝を抱えて顔を押し付けた。
獣みたいにくぐもった声が漏れて、せっかくの綺麗な衣装にシミができてしまった。若草色の生地の上にはシミがどんどん大きく広がっていくけれども、自分の意志ではどうにもできなかった。
「リリィ、右の足を見せてみろ」
艶のある、深い声。わたしのすぐ隣から聞こえた。
傍に人が居たなんて全く気が付かなかった。吃驚して顔を上げれば、緋色の髪が眼に飛び込んでくる。
またウォルフだった。彼はわたしを見下ろすように立っている。
どうしてここにいるんだろう。
彼にはいつも、みっともない姿ばかり見られている。今のわたしの姿など、誰にも見られたくはないのに。
「足を痛めただろう?」
「ええ。でも別に、どうってことないわ」
ウォルフに泣いている所を見られてしまったのが悔しくって仕方が無い。つい、そっぽを向いて、つっけんどんな態度を取ってしまった。
「無理するな」
突如ウォルフはわたしの前に跪き、痛めた右足を持ち上げた。
「少し腫れてるな。だが、ひどくは無いようだ」
「痛い! 何するのっ」
前触れも無く足を触られるという突然の出来事に、言葉使いを気にする事など頭からすっ飛んでいた。わたしは痛みと驚愕で、ウォルフの手から逃れようとじたばたした。男の人からこんな風に足を触られる事などあり得ない。
「ううっ痛いっ! その手を離してっ」
「手当てをする。大人しくしてろ」
わたしの意志を無視して強引に物事を進めようとするこの男に対して無性に腹が立つ。
「いらないから。やだってば、この変質者!」
「このまま放っとけば、もっと酷くなる」
右足首は腫れ上がり、もがいた途端に鋭い痛みが走った。
「痛いっ!」
「大人しくしとけ」
まるで、子供をあやすような口振りだ。わたしは文句を言ってやろうと口を開いたけれど、言葉を出せなかった。
「ひゃあっ!」
何故ならウォルフは素早く腰のポーチから何やら取り出すと、躊躇いも無くわたしの足に塗り付けたからだ。
それは、すうっと冷たくて糊のようにべたついている、鼻を刺す程匂いのきつい軟膏だった。
わたしの拒絶を受け付けないまま、ウォルフは強引に手当てをしていく。
彼は腫れた足首に薬をたっぷり重ねて塗り付けると、上から白い当て布をしてぐるりと包帯を巻き付けた。
あっという間で実に手際が良かったのだと思う。でも、わたしにとってはそんな風には感じなかったけど。
「これで安静にしておけば、腫れが退いて楽になる」
軟膏を塗った所はひんやりとして痛みが多少楽になってきた。そっと動かすとまだ痛むが、先程よりはずっといい。
「リリィ、お前にとってこの足は、かけがえのないものだろう」
ウォルフはわたしの足を手放すと、真剣な様子で言った。耳に心地よい低い声も硬質になった。
「そんな大したものじゃない」
この無愛想なお節介男め。もう放っておいてほしい。
わたしは思いっきり頭を振った。どのみち、もうこれで躍る事すらできなくなるのに。
「いや、違う。お前の足は芸術を生み出す貴重なものだ」
その言葉は、今のわたしにとって皮肉とも取れるものだった。
一体貴方なんかに何が解るというの? わたしの何を知っているというのか。苛立ちと怒りがふつふつ湧いてくる。
「ねえ、ウォルフさん。もしかしてわたしの失敗を面白がっているの? お願いだから、気休めなんか言わないで」
ひどい拒絶の言葉を投げつけてやった。
多分、ウォルフは生意気な小娘に失望して此処から消えてくれるだろう。少し悲しい気もしたが、それで良かった。
けれど、予想に反してウォルフは怒りも嗤いもしなかった。
「先程の舞は素晴しかった」
思いもよらない一言に、耳を疑ってウォルフの顔を見た。
「気迫の籠った躍りに只、見入ってしまった。お前の足が悪いなど、誰が気付くか」
その言葉にわたしは身動きできなくなった。本当に、そうだろうか。わたしがじっと彼を見つめていると、だからと付けくわえて「粗末にするな」と言った。
意外だった。あんな舞をこんな風に言ってくれる人がいるなんて。
「……ありがとう」
でも、これで終わりなの。
続きは心の中で呟いた。