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輝き星の舞姫  作者: 若竹
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 今度こそはしっかり跳んでみせるから。

 リリィ・ホワイトは、胸にぎゅっと握りこぶしを押し当てると強く決意する。

 わたしは今、青草に覆われた丘まで歩いてやって来ていた。

 小高い丘になっているこの場所からは、眼下に小さなオレンジ色の屋根をした村の家々が見えるはずだ。子供の頃は、ここから良く眺めたものだ。


 ここは村はずれの自宅からは散歩程度の距離にある丘で、人気も無い。一人で何かするには丁度良い場所だった。

 ざくざくっと足元の草が踏まれて水っぽい湿った音がする。

 足元には背の低い、白詰草やオキザリスなどの草花が地面を覆っている。まだ春先だというのに、生命力あふれた草花達のおかげで緑の絨毯を歩いているような心地になった。

 ひゅうと冷たい風が頬に当たったけれど、歩いてきたおかげで身体は温まっていて寒さは感じない。

 深呼吸をして息を整えると、いつものように一人舞い始める。ここで舞うのは、ほぼ日課と言ってもいいくらい毎日の事だった。

 今日こそは納得のいく結果が出せたら。

 何故ならばわたしにとって自分の舞は、とてもではないが満足できる内容では無いのだ。

 右手は空に向かって挙げ、左足を軸に身体と右足を曲げて後ろへ逸らす。軸を崩さずくるりとターン、ぴたりと止まってポーズ。優美な鳥をイメージしつつ、くいと顎を上げて笑顔を浮かべるのも忘れない。

 わたしは両腕を鳥の翼のように優雅で愛らしく動かすと、両足で踏み込み全身の筋肉を使って跳躍する。足の爪先までぴんと伸ばし、右腕は挙げて。ふわりと重力を感じさせない動きを意識して空を舞う。

 瞬きする間もないほんのわずかな一瞬。けれど、これが一番神経と体力を使う。ぴたりとポーズが決まれば空中に浮いて見える、重要で美しい見せ場なのだ。 

 わたしは着地するとポーズを取った。実際にはかなりキツイのだが表情は溢れんばかりの笑顔を浮かべる。この場には笑顔を見てくれる人など誰もいないけれど。

 他には何も無いこの小高い丘で、わたしは一人舞い踊る。

 観客は青緑の大地から力強く伸びる一本の樫の木と、草木を喰む羊達の群れだけ。

 春先の冷たい風がびゅうびゅうと強く吹き抜けて、緑の絨毯がさざ波のように揺れた。強い風はわたしの衣を攫うように強くはためかせる。着ているワンピースのごわついた荒い生地がぴったりと手足に纏わりついた。

 あっ、まずい!

 ぬかるんだ地面に足を取られてすっ転んでいた。

 派手に頭と上半身から地面に衝突する。がつりと鈍い音がして、熱い衝撃と痛みが体中に走った。


 声も出ないとはこんな状況だろうか。

 代わりに出たのは、何とも情けない老犬みたいな唸り声だった。

 グウとか変な音が聞こえた気がする。少しして、ぼんやり自分の声だったのだろうと気が付いた。だって、ここにいるのは私だけなんだから。

 もう、最低っ! 

 いつもなら、こんな無様に転んだりしないのに。

 どうやら運の悪い事に、昨晩降り続いた雨によって水をたっぷり含んだ地面は思っていたよりぬかるんでいたみたい。春先は天候が不安定になり易く、昨日の夕方から夜明けまで続いた激しい雨は嵐のようだった。


「っつうう……」


 どうしよう。とても痛くて動けない。

 随分酷くぶつけたみたいで、腕や足首が鋭く痛んだ。額からは水っぽい物がたらりと伝う感触がする。汗か、もしくは地面の泥水だろうか。

 恐る恐るじわーっと眼を開ければ、狭い視界のなかに生白い不健康な肌と、それに張り付いた赤黒い痣。うわ、かなり痛々しい。

 栗色の髪はじっとりと重く、泥塗れになっているに違いない。今着ている服も自分の血と泥でシミを作ってしまった。

 情けないやら悲しいやら。

 思わず涙が滲んできたけれど、これ以上は惨めになりたくなくて涙をぐっとこらえた。

 代わりに、はあと大きな溜息が洩れる。

 ただでさえわたし持っている服は数枚しかない。しかも、繕いの無い物と言えばこれとあと一着。数少ないまともな服の一つだったのに、残念でならなかった。

 ただ、暗い土色の服を着ていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。これなら多少汚れていようと目立たないだろうから。

 動こうにも動けなくて、わたしがしばらくその場に蹲っていると、頭上から声が降ってきた。


「おい、大丈夫か? 随分派手に転んでいたが」

 

 低めの、でも言葉尻に甘い艶のある深い声。心地好く鼓膜を震わすその声は、なんて印象的な声なんだろう。


「えっ?」

 

 吃驚して顔を上げると、ぼんやりとした狭い視界に鮮やかな緋色が飛び込んで来た。

 いつの間にか、辺りは夕暮れ時の茜色に染まっている。

 その夕日よりもなお赤い、血のように鮮烈な紅。

 周りが薄暗いせいで良く見えない視界のなか、夕日を背に浮かび上がる緋色の髪と大きな輪郭を描く影が大柄な体格を予想させる。夕焼けに染まる逆光の中に立つ姿はどこか神秘的にも、得体の知れない恐ろしい者のようにも思えた。

 その人はわたしの一歩先に立っていた。

 わたしは人の気配に敏感なほうなのに、これ程傍に人がいて全然気が付かなかったなんて。

 ぎょっとして、犬に見つかった猫みたいにびくっと身体が竦んだ。

 一体誰なの?

 わたしはその人を必死で見つめた。危険な見落としが無いように。



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