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京都にての物語

下鴨神社~告白~

作者: 不動 啓人

 人々の流れに乗って、水の流れに逆らって、辿り着いた灯火に母の手を貸りて蝋燭を翳す。瞬の蝋燭にも火が灯り、母と父の蝋燭にも火が灯る。

「気をつけて持つのよ」

 母の顔が、蝋燭の火の淡い光に照らされて浮かび上がった。とても優しい笑顔。

 瞬は母に頷いて、水の流れに足を取られそうになりながらも、必死で蝋燭の火を守った。

 多くの蝋燭の火が、闇夜に舞う。蛍火よりも、もっと生命力に溢れた。それは人々の願いの証。

 親子三人、願いを胸に蝋燭を奉納し終えて。

「瞬とパパが、元気でありますように」

 手を合わせ終えた母の笑顔は、やはり優しくて。瞬は、そんな母が大好きで。


 瞬は今も、夏の夜の母の笑顔を忘れてはいない。


 時は過ぎ行く。

 夏の日は繰り返される。

 佐藤隆文さとうたかふみ佐藤瞬さとうしゅんは手を取り、糺ノ森を歩む。

 真夏の陽射しをも遮る森の深さ。蝉の声はやかましく響くが、通り過ぎる風には清涼感が伴う。

「パパ、涼しいね」

「そうだな。またクーラーの涼しさとは違うだろう?」

「うん。なんか、ちょうどいい」

 瞬ははしゃいで、隆文の腕を引いて先を急かす。隆文は瞬に引かれるのに任せ、糺ノ森を抜けた。

 二人の前に、下鴨しもがも神社の大きな鳥居が姿を現す。

「瞬、覚えてるか?」

「うん」

 二人は鳥居を見上げながら、その下を陽射しの中、ゆっくりと潜り抜けた。

 下鴨神社。正式には賀茂御祖かもみおや神社といい、古都京都にあっても有数の古社で、平安の時代には上賀茂かみがも神社と併せ朝廷から深い尊崇を受けていた。現在でも上賀茂神社と共同で行われる葵祭あおいまつりりは、勅使ちょくしが派遣さえる勅祭ちょくさいとして有名で、京都の三大祭としても数えられている。

 それだけ歴史と権威ある社だけに、構えも立派なものだ。鮮やか、かつ大きく広がった屋根が居丈高な朱楼門が、二人を見下ろす。

 朱楼門を潜れば、古き良き姿の建物が立ち並ぶ。

 境内に敷き詰められた白い玉砂利は陽の光を反射して眩しく、二人は目を細めつつも軽快に玉砂利を踏み締め、中門を潜って本殿に向かい、その前に立った。

 隆文に従い、瞬も見よう見真似で二礼二拍手。瞬の願いは新しいゲームソフト。願い終えて、ちらりと隆文を見上げて、隆文が一礼をしたのを確認してから、真似るように一礼。

「どんな願い事をしたんだ?」

 と隆文に訊かれると、

「ん?内緒っ」

 と満面の笑顔で答えた。すでに願い事の成就を確信して気分は上々だった。

 本殿のすぐ前には干支別の社殿が七つ並んでおり、それぞれの干支に関連する社殿の鈴を鳴らし、二人は手を合わせて頭を下げた。

 一通りの参拝を済ませ、二人は中門を出る。出て左側に歩み、小川沿いに北に進むと、社殿の前に小川の両岸が白石の階段になった場所に出た。小川の底には玉石が敷き詰められ、その中央部は藻が繁殖しているのかラインのように小川の中心を走っていた。

「パパ、ここってあのお祭の時の場所?」

「そうだよ」

 この場所では毎年7月の土用の丑の日にかけて、足付け神事である『みたらし祭』が行われる。参加者達は下流から二人が今いる場所に向けて小川の中を歩み、最後に手にした蝋燭を奉納して無病息災を願うのである。

 二人がみたらし祭に参加したのは、もう2年前。


 隆文の妻であり、瞬の母である千夏が交通事故で世を去ったのは、みたらし祭から一月後の事だった。悲しみとは突然襲ってくるものと隆文は痛感し、瞬はおぼろげに知った。


 千夏のニ度目の命日が近付いたこの日、隆文は千夏の両親に挨拶がてら、瞬の顔を見せる為に京都にやってきた。実家は下鴨神社の近所なので、この後に向かうつもりでいる。

 二人が下鴨神社を訪れるのも、みたらし祭以来だった。足が遠のいてしまったのは、千夏との思い出のせいかもしれない。

 けれど、隆文はあえて瞬の手を引いて下鴨神社を訪れた。そして、どうしても訪れなければいけないと思ったのが、この場所だった。

 陽射しが強く、露出した肌をジリジリと焼く。汗が滴り、拭ったそばから滲み出す。

 瞬は隆文の手を離れ、階段を下りて小川に手を付け遊んだ。

 隆文はその姿を微笑ましく眺めていたが、一転して思い詰めたような視線で小川の源流に設置された社を見上げた。

 社の名は井上社。祭神は瀬織津姫命せおりつひめ大祓祝詞おおはらえのことばにも登場する穢れ祓いの神――

 隆文には現在、付き合っている女性がいる。出会いは古いが、付き合いだしたのは10ヶ月程前だった。隆文はその女性との再婚を考えだしている。彼女もおおよそ、その気でいてくれているらしい。瞬も母親がいてくれた方がいいだろうという勝手な思い込みが、その考えの背中を押す。

 けれど一方で、千夏を亡くしてから僅か2年で別の女性を妻として迎えるという、千夏に対する罪悪感。世間的な目。そしてなにより、瞬がその女性を受け入れてくれるか、自分の気持ちを、考えを、理解してくれるかが気掛かりだった。だから瞬には、今日まで何も言えずにいる。それなのに自分の感情と理屈で話を進めようとしている後ろめたさ――穢らわしい想い。

 この穢らわしい想いを言葉にすれば、その言葉はすなわち穢らわしい言葉となる。そんな穢らわしい言葉を、瞬に吐けようか。ならば自分の感情を捨てられるかといえば、後戻りはできそうにない。

 この想いを吐き出さなければいつまでも穢れは穢れのままに澱んでしまう。ならば、いっそのこと吐き出すしかない。

――願わくば、穢れを祓い清めたまえ。

 全ては隆文の都合である。が、想いを告白する行為自体を否定できようか。

「瞬」

 隆文は瞬の元へと階段をおり、しゃがみ込んで目線の高さを同じくした。

「ちょっと話てもいいかな」

「なに?」

「実はな、パパに好きな人ができたんだ。パパはその人と結婚したいと思っているんだ。瞬はどう思う?」

 その女性の事は瞬も知っている。「お姉ちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。だから瞬は、その女性の事が嫌いではない。

 瞬は、結婚の意味をなんとなく理解していた。そして、隆文とその女性が結婚するという事は、その女性が自分の母親になるという事も、おおよそ理解していた。

 千夏の笑顔が蘇る。大好きな千夏の笑顔。そう、あの夜の笑顔は、ちょうどこの場所で――

 ただ、瞬にとって母親とは一つの固定された枠ではなく、一つの名称でしかなかった。もし瞬が母親というのを『枠』で考えているとしたら、その枠の中に千夏がいる以上、他の入る余地はない。けれど、名称であれば千夏ママもあれば、他のママもあり得る。

 瞬にとって千夏は千夏であり、女性は女性であって、なんら重複する所はない。例え隆文がその女性と結婚しても、千夏は瞬にとってこれからも大好きな母親のままだった。

 それに隆文がそれを望むのであれば、瞬に異存はなかった。なぜなら、瞬にとっては隆文も、千夏と同じぐらいに大好きな存在なのだから。

「うん、いいよ」

「えっ、いいのか?」

「うん。だって、結婚したいんでしょ?」

「うっ、うん」

 隆文は、正直拍子抜けして力が抜けた。けれどもその脱力感は同時に、澱んでいた穢れが抜けていく感覚にも思えた。

「ありがとう」

 隆文は、瞬を抱き締めた。



「パパ、僕も話す事がある」

「なんだ?」

「この間、パパのお財布から二百円取った」

 隆文はしっかりと叱った。

 けれど、告白してくれた事が嬉しかった。

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