その1
『電気羊飼いと天使の卵』のサイドストーリーです。舞台は五基のコンピュータ達と非公式ながらも『天使』と呼ばれる存在に管理された24世紀の地球。ほとんど存在を知られていない、人と変わらぬ心を与えられたロボット達が、人間たちに混じって暮らしている世界です。
ワイングラスを片手にナツコはスツールの上でため息をついた。今夜はナツコ達三人の歓迎会。二年間のオーストラリア勤務を終えた彼女は、古巣である『本社』に明日から復帰する。出戻りの彼女を暖かく迎えてくれるその気持ちはありがたいのだが、パーティ嫌いのナツコにとっては苦痛以外の何者でもない。
それともうひとつ、彼女をいらだたせているものがある。数メートル先で女の子達に囲まれているひょろりとした男だ。こいつときたら部屋に入ってきた時から休む間もなく笑い続けている。くだらないジョークにも腹を抱えて大受けだ。そんなに女の子の気をひきたいの?
ナツコの視線に気づいたのか、男が彼女の方を向いた。笑顔で会釈して来たけれど、ナツコは気づかないフリでグラスに目をやる。気に入らない。何もかもが気に入らない。さっさと理由をつけてここから逃げ出そう。パーティの主役はあと二人もいるんだから、彼女が抜けても誰も気を悪くはしないだろう。
立ち上がろうとした時に後ろで声が上がった。
「おい、ベンだ。ベンが来たぞ」
ナツコが振り返ると、懐かしい姿が目に入った。以前『本社』にいた頃、ベンとはしばらく同じ部署で働いたことがある。彼は先日退職したと聞いていたのだが、パーティには呼ばれたらしい。
「ナツコが戻ってきたって聞いてな」
ベンは会場内をきょろきょろ見回している。
やたら態度のでかい男なのに、彼を嫌う人間には会ったことがない。人付き合いの悪いナツコもベンとなら不思議と会話が続くのだ。
私のために来てくれたわけ? いいとこあるじゃない。ナツコが手を振って自分の居場所を知らせると、人の間をひょいひょいと縫って彼が近づいてきた。 彼の動きはとにかく目立つ。注目されるために生まれてきたような男だ。
「『会社』を辞めて俳優になったんだってね。驚いたわ」
行儀よく肩の高さで切り揃えられた彼の黒い髪を見て、ナツコは吹き出しそうになった。最後に会った時は腰まで届く見事な銀髪だったのに。
「ずいぶんと地味になったじゃない」
「今回はそういう役なんだよ、仕方ないだろう?」
どうやら本人はいたくご不満なようだ。
「ゴドーと共演だなんて、どこで抜擢されたのよ?」
「人生ってのは何が起こるかわからないもんだなあ」
整った口元がにやりと笑う。教える気はないらしい。
「で、俳優業は楽しいの?」
「女にはもてる」
「そんなこと言うんだ。結婚したって聞いたわよ」
ナツコの人付き合いの悪さも、変人ぞろいの『本社』の連中にとっては些細な事らしい。「会社」内のゴシップはパースにいる間もロブが逐一報告してくれていた。 それにしてもベンを捕まえるとは運のいい女もいたものだ。恋人と長続きしたためしのないナツコには少し羨ましい。
「ベン、久しぶり。この人と仲がいいんだね。紹介してよ」
明るい声に振り向けは、さっきの馬鹿笑い男が立っていた。二人の会話に加わる気満々のようだ。
「パース支部にいたナツコだ。俺が入社してすぐにオーストラリアに転属になったんだけどな、明日から『本社』に復帰するんだと」
男はナツコに微笑みかけた。
「へえ、よろしくね。俺はミッチっていうんだ」
ナツコは軽く頭を下げて挨拶すると男の顔を観察した。面長の顔に細い目と大きな口。柔らかそうな栗色の髪には寝癖らしき跡が残っている。ひっきりなしに笑ってさえいなければ、ハンサムだと言えないこともない。
「ナツコはな、愛想は悪いが、根はいい奴だ。しっかり面倒見てやってくれよ」
そういうとさっさとベンは立ち上がる。
「どこ行くの?」
あわててナツコが声をかけた。ちょっと待ってよ。こんな男と二人きりにしないで。
「俺はロブと話があるんだ。じゃあ、後でな」
無情にもベンは去って行き、馬鹿笑い男は当然のように空いたスツールに腰を下ろした。ナツコは心の中で大きくため息をついた。仕方ない。ちょっとだけ相手をしたら逃げ出そう。
「どこの部署に入るんですか?」
「ロブのところよ。昔も彼の所で働いてたの」
「ナツコさんって笑わないんですね。パーティが始まってからずっとつまらなそうな顔してる」
「見てたの? 私、笑ってたでしょう?」
「俺、本気で笑ってない人はすぐにわかるんですよ」
余計なお世話だ。ナツコはバッグに手をかけた。
「笑う気になれないの。もうそろそろ帰らなきゃ」
「まだパーティは終わってませんよ」
ナツコはまたため息をついた。本音を言わなきゃこの場からは逃げられないようだ。
「私、パーティって好きになれないの」
「どうして?」
「性に合わないのよ。気も乗らないのに誰かと話さなきゃならないなんて疲れるだけでしょ?」
「へえ、そうなんですか。俺は人と話すの大好きなんです」
暗に皮肉を言ったつもりだったのだが、ミッチには通じないようだ。
「それにね、ここってロボットがうじゃうじゃいるでしょ? それもめちゃくちゃ人間っぽい奴」
ナツコは給仕している人型ロボット達を指差した。外見では見分けはつかないが、言葉を交わせば嫌でも違いはわかる。識別コードを確認するまでもない。人間の粗悪な模造品共だ。
『会社』を一歩出れば、人間そっくりのロボットなんてまず見かけることはない。人型ロボットは『人型』といってもロボットだとはっきりとわかる姿をしているのが普通だ。最近の主流はゴム人間みたいなつるんとしたカラフルなタイプ。人間と見分けがつかないロボットなんてたいして需要はない。そのほとんどがセックス産業で使われているという話だ。ロボットと寝たがる人間がいるなんて、ナツコには信じられなかったけど。
「そりゃ、ここにいる人の半分はAIの開発に関わってますからね。もしかして、ロボットが嫌いなんですか?」
「苦手なの。人間に似てれば似てるほど気持ちが悪いわ」
「ロボットが苦手? 『会社』で働いてるのに? それは珍しいですね」
そう言うとミッチはくすくす笑い出した。
「あなた、飲みすぎなんじゃない?」
冷たい目でナツコがにらむ。
「俺、いつもこうなんです」
「はあ?」
「参るでしょ?」
そんなの、同意を求められても困る。ナツコは再びバッグを握り締めた。
「行くわ」
「あと五分」
「はあ?」
「あと五分だけ話しましょう。そのぐらいいいでしょ?」
しつこく押されてナツコはもう一度スツールに腰をおろした。この男がナツコをただの雑談の相手に選んだのではないのは明らかだった。よりによってパーティ会場で一番不機嫌で無愛想なナツコを口説き落とすことに決めたらしい。ミッチは遠慮する様子もなく、ナツコの顔をじっくりと眺めた。
「笑わないなんてもったいないな。ナツコさん、笑うと素敵なのに」
「笑わないと素敵じゃないの?」
不愉快さを隠そうともしないナツコの返事にミッチがまた笑い出す。
「ほんとだ、俺、ひどいこと言いましたね」
「おかしくないわよ」
「そうだ。これからは俺がナツコさんを笑わせます。そうすればナツコさんの笑顔が見られますからね」
ナツコは目を剥いた。もう訳がわからない。なんなの、こいつ? 口説くにしてももっとましなやり方があるでしょ?
「もう帰らなきゃならないの」
「じゃ、明日、また会いましょう。お昼に付き合ってください」
「で、でも明日はね……」
予定がある、と言いかけたとき、二人の間にロブがひょいと顔を出した。 だいぶ飲んだと見えて、無精髭に覆われた顔を真っ赤に上気させている。
「おう、ミッチ。もうナツコと仲良くなったのか」
「ええ。明日、ナツコさんとお昼を食べるんです。ナツコさん、ロブのところで働くんでしょ? 明日のお昼は予定を入れないでもらえますか?」
ミッチの言葉にロブは豪快に笑うと頭をぶんぶんと縦に振った。
「よくやったなあ、ミッチ。ナツコは貸してやるからな、たっぷりごちそうしてやってくれ」
ナツコは恨めしげな目つきをロブに向けた。 よりによってこの馬鹿笑い男とデートの約束をさせられてしまったようだ。明日は出勤初日だっていうのに先が思いやられるわ。
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翌朝、「本社」の本館五階にあるオフィスにナツコが入ってくると、机の上にミッチからのメモがおいてあった。丸っこい丁寧な文字で待ち合わせ場所が書き込まれている。本館の裏庭に12時半。手書きのメモだなんて、ずいぶん古風な連絡手段を使うものだ。ナツコはメモ用紙を手に取って眺めた。アナログでアナクロ。でも悪い気はしない。変わってるけど結構いいやつなのかも。
ナツコが約束の場所についたのは約束の時間ぎりぎりになってからだった。結局、打ち合わせの途中に抜ける羽目になったのだ。彼女は遅れていくと言い張ったが、ロブや同僚達が許さなかった。裏ではナツコとミッチの縁結び作戦でも進行しているのかもしれない。
本社の裏庭は『裏庭』とは名ばかりで途方もなく広い。昔は植物園だったそうで、敷地内には小さな森や池が点在し、地元住民の憩いの場になっているのだ。久々に足を踏み入れてナツコは驚いた。目の前には広大なバラ園が広がり、さまざまな形に仕立てられたバラの木に色とりどりの花が咲き誇っている。二年前はどうだったっけ? バラは咲いていたけど、こんなにきれいではなかった気がする。
近くのバラの茂みの間からミッチの頭がひょっこり現れた。
「きれいでしょ」
そう言ってくすくすと笑い出す。
「いちいち笑うのね」
「ナツコさんが来てくれて嬉しかったんです」
「なんでバラの中にいるの?」
「害虫が増えすぎてないか見てたんですよ。さあ行きましょう」
どうして彼が害虫の数を数えていたのか、そこには触れないことにしてナツコは別の質問をした。
「どこに行くの?」
「俺の家」
「うち?」
「この先なんですよ」
ミッチはバラ園の真ん中を突き抜ける遊歩道を指差した。ナツコは目を凝らしたがそこには鬱蒼とした森があるだけだ。
「あっちは森よ?」
「森の中にあるんです」
わけが分からないままナツコは、歩き出したミッチの後を追った。ほどなくしてミッチが立ち止まる。
「ほら、あそこです」
彼の指差した先には小さな広場があり、隅っこには古びた木造の小屋が建っていた。背景の木々に溶け込んで昔話にでも登場しそうな雰囲気だ。 ミッチは小屋の扉を開けてナツコを招き入れた。
小屋の中には仕切りが一切なく、家というよりは倉庫として作られたようだ。片隅には小さなキッチン。その反対側にはベッドが置かれている。小屋の半分には園芸に使われると思われる器具や肥料の入った袋が積み上げてあった。
「元は庭師の使う納屋だったんです。俺が庭いじりが好きだと知って『会社』が貸してくれたんだ。ほら、少しずつ家具も集めて家らしくなったでしょ? そこの壁にも窓をつけるつもりなんですよ」
「『会社』が貸してくれた?」
「使わせてもらう代わりに、バラの手入れを任されてるんです」
「あれ、あなたが面倒を見てるの? 凄いわね。とてもきれいに咲いてたわ」
ナツコは心から感心した。あれだけの数のバラの世話をするなんて大変な手間に違いない。ミッチはナツコの賛辞が嬉しかったらしく満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。すごくやりがいがあるんですよ」
「私、庭の世話なんてロボットにやらせてるんだと思ってた」
そのとたんミッチがこれほど面白いことはないって顔で笑いだした。
「どうしたの?」
何がおかしいのかさっぱり分からず、怪訝な顔でナツコは尋ねた。
「だって俺はロボットですからね」
「はあ?」
「俺はロボット。ここで作られました」
「で、でも、人間だって出てるわ。あなた、人間でしょ?」
「ああ、何かのジョークに使うって言って識別コードを書き換えられたんですよ」
「そんなの、違法じゃないの」
「『会社』じゃなんでもありなんです。ナツコさんだって知ってるでしょ?」
ミッチはおかしさを押さえきれないようだ。またくすくすと笑いだす。
「本当にロボットなの?」
「そうですよ」
ナツコはまじまじとミッチの顔を見つめた。この男が作り物? でもこの度を越えた陽気さは確かに異常だ。疑ってもよかったかもしれない。
「帰る」
「どうしてですか?」
「苦手だって言ったでしょ?」
「苦手? でも今まで平気だったでしょう? どうして突然苦手になるんですか?」
「ロボットだって分かったからよ」
ナツコの脳裏にロブたちの笑い顔が浮かんだ。何かのジョーク、か。連中のやりそうなことだ。きっと今頃私のこと、笑ってるんだわ。ロボット嫌いのナツコがのこのこロボットについてったって。
彼女はきびすを返すと元来た道を歩き出した。 道理であいつら、必死になって送り出したわけだわ。
「ご飯だけでも食べていきませんか」
後ろからミッチの陽気な声が追いかけてきたが、彼女は振り向きもせずに歩き続けた。