東雲に立つ
それは、偶然だった。
たまたま通りかかった校舎裏の非常階段。
血気盛んな奴らがよく喧嘩してる場所。
その日も喧嘩があったらしく、少年がひとり、座り込んでいた。
俺は冷めた目でそいつを見た。
面倒なことには関わらない主義だ。
それで、終わるはずだった。
その少年の目が煩わしそうに俺を見上げた。
夕焼けの赤を映した灰色の目が、鋭く俺を射抜く。
――こいつは、危険だ
瞬間、そう確信する。
足早にその場を去る。
……が、階段を降りきった後で、微かに声が聞こえた気がした。
気になってしまった俺は立ち止まる。
なぜ、この時足が止まったのかはわからない。
階段の上から聴こえてくるのは、歌だった。
少し高めの、掠れた声。
途切れ途切れに聴こえる、ゆっくりとしたメロディー。
……なんだ?この異質さは……?
俺は眉をしかめる。
さっきのヤツが歌ってるのか?
思わず、階段を戻る。
姿は見えないが、声はしっかりと聴こえる位置まで行く。
今度ははっきりと聴こえる。
どこまでも伸びるように響いていく。
澄んだ歌声。
でも、真夜中を思わせるような、重さ。
相反する印象を抱かせる、歌。
音をたてずに、また階段を登る。
姿が、目に入る。
やはり、歌っていたのは、先ほどの少年。
傷だらけの顔を空に向けて、ただ、歌っていた。
夕暮れから夜に変わっていく、絶妙な紺色の空に溶けてしまいそうな横顔。
なのに、灰色の瞳だけが鋭い。
抑えきれない衝動が剥き出しにされた双眸。
ゾッとした。
鳥肌が止まらない。
理性が警鐘を鳴らしているのに。
ここから、今すぐ去るべきなのに。
――動けない。
目が、離せないのは、何故だ?
……と、歌が止まる。
「何見てんだよ?」
鋭い瞳が俺を見ていた。
ぎらぎらした感情を隠しもせず、近づくものすべてを破壊するようなナイフみたいな目が、向けられる。
ハッとする。
ようやく、体が動く。
「……悪かった。怪我、大丈夫か?」
「お前には関係ない」
彼はそう言って顔をそむけてしまった。
俺はそれ以上何も言わず、今度こそその場をあとにした。
家に帰ってから、思い出す。
クラスメートが話していた『生意気な一年』
売られた喧嘩は全部買う。
だが、誰ともつるまない。
そんな噂をしていた。
その時は特に興味も持たなかった。
しかし……。
先ほどの歌が、頭から離れない。
声は掠れ気味だったし、音を外しているところもあった。
上手い方だとは思うが、もっと上手い奴なんて腐る程見てきた。
なのに。
今までで一番、頭から離れない、
気づくと、あのメロディーが、あの声が、脳裏に流れている。
右手で額を抑え、息を吐く。
細く、長く。
「少し、落ち着け……」
自分にそう言ってから、気づく。
……落ち着け?
俺は今、高揚しているのか……?
あの歌に?
あいつの存在に?
あの時のゾッとした感覚を思い出す。
剥き出しの衝動を宿した瞳。
なのに、歌声は真夜中のように、静かで重い。
瞬時に思ったことは……。
「あの声、欲しいな……」
口元に手を当て、呟いた。
どうするべきか悩んでいた将来に、明確な道筋が見えた気がした。
翌日。
俺はクラスメートに聞き周り、あいつの情報を集めた。
名前は夜宮奏。
クラスでは浮いた存在になっているようだ。
……あの攻撃性では、仕方ないだろう。
昼休みに奏のいるはずの教室まで出向く。
「夜宮奏は、いるか?」
入口で聞くと、最初はビクッと怯えられた。
クラス内での扱いがわかるな……。
誰ともなく振り向いた先に、あいつはいた。
周りを気にするでもなく、手に顎をついて外を見ていた。
呼ばれたことにも気づいていないらしい。
俺は中に入り、奏の前に立った。
ふっと灰色の瞳が俺を見上げた。
途端に、攻撃的な色を見せる。
「何見てんだよ」
昨日と同じセリフ。
「怪我は大丈夫か?」
俺も同じセリフを返す。
「お前には関係ない」
更に返ってくる同じセリフ。
フッと俺は口角をあげて笑う。
「関係ある」
奏は、少しだけ驚いて俺を見上げた。
攻撃性の強かった灰色の瞳が、少しだけ揺らいだ。
しかし、すぐに何かを飲み込むようにキツく目を吊り上げる。
「ねぇよ」
俺は両手を机につき、奏を覗き込む。
奏の表情が固まる。
「俺は、お前が欲しい」
教室がざわっとなる。
奏の顔が引きつっている。
「おまっ、何っ」
……言葉を間違えた。
俺は何を焦っているんだ……。
ふうっと息を吐き、自分を落ち着かせる。
「言い直す。お前の、声が欲しい」
「……は?」
今度は怪訝そうな声が聞こえた。
「……意味わかんねぇんだけど」
不機嫌そうな顔。
また、睨みつけられる。
「俺とバンドを組め」
ストレートに要望を突きつける。
俺を値踏みするように、奏の鋭い瞳が更に細くなる。
それから、
「やだね」
その一言だけ。
それ以上は、何も喋らない。
こちらを見向きもしない。
予鈴がなり、俺は仕方なく戻る。
珍しく、自分の中で火がつくのがわかった。
しかし、放課後も次の日も、奏は教室にはいなかった。
授業が終わるとすぐに出ていってしまっているようだった。
あの非常階段にも何度か行ってみたが、いなかった。
「朔にしては珍しく執心してるな」
友達にはそう言われた。
「朔らしくない」
とも。
そうかも知れない。
理由は自分でもよくわからないが。
……来年には、受験がある。
俺は、まだ決めかねていた。
今までいたバンドは将来を考えるという名目のもと、空中分解していた。
音楽は好きだが、それで食っていけると夢を見るほど、子どもでもない。
けど……。
奏のあの声……存在、世界。
まだまだ未完成ではあるが、俺の感情を動かす何かがある。
「まだ、予感でしかないか……」
独りごちる。
ふうっと息を吐く。
俺にしては、珍しく長引いて悩んでいた。
それから数日たっても、奏には会えずじまいだ。
次の策を考えるか、そう悩み始めた頃。
いつものスタジオに入る。
何人かとお遊び程度の合わせをやる。
その休憩中。
聴こえてきた、荒々しいギターの音と、あの声。
バッと振り返り、その音が聞こえる部屋を探す。
その部屋の前で、俺はもう一度、あの歌声を聴く。
先日の、切ないような重い歌声ではなく、溢れ狂う衝動を抑える気もないような、激しく荒いロック。
ゾクゾクする。
先日とは違った意味で。
俺は冷静な方だと自分で思っているけど、そんなもの吹き飛ばされそうなほどの、衝動が湧き上がる。
その場に飛び込んで、音を鳴らしたい。
あの歌声に、合わせたい。
真正面から、ぶつけ合いたい。
そんな衝動。
迷わず、扉を開ける。
瞬間、音が止まる。
中には、奏ひとりだけがいた。
荒れ狂うギターの音も、叫びのような歌も消えた。
しんとした空間で、奏は突然の乱入者を怪訝な目で見た。
それが俺であるということを認識した彼は、鋭い目を向ける。
「またお前かよ」
俺は口元だけで笑んだ。
「俺は言ったぞ、お前の声が欲しいと」
「俺はやだって言ったぜ?」
不機嫌を隠そうともしない。
「一度でいい。音合わせしてみてくれ」
奏は目を細めて俺を見る。
「お前、楽器は?」
「ベースだ」
少し考える素振りを見せる、奏。
しばらくの沈黙の後。
「……一度だけだ」
彼はそう言った。
準備を終え、部屋に緊張が走る。
いきなりの奏のアカペラから始まる、激しい歌声。
高音が、体中に突き刺さる感覚がする。
そこにねじ込まれるように入る荒々しく、速いギターの振動。
……こんなもの、音楽と呼べるのかっ!?
俺は一拍遅れて音を出す。
地面を這うようなベースの音に、噛みつくような高音のギターが叩きつけてくる。
すべての音を掻き消されるように、激しく。
指が、震えている。
左手が強く、弦を抑える。
そして、追い打ちをかけるような、叫び。
全身から溢れ出すような……
溢れ出す?
そんな生易しいものじゃない。
暴れ狂うような衝動が、奏の全身から滲み出す。
空間が歪むほどの声量が、天井を貫く。
噛み合わない。
音が、リズムが。
俺はテンポを少し落として、音楽に戻そうとする。
だが、奏はお構いなしに暴走する。
ニヤリと笑った奏の顔が、俺を見る。
――煽ってやがる
ゾワッとした。
この状況で、煽ってくるのか。
少しだけ、口角をあげる。
……やってやる!
速度を、あげる。
奏に食らいついてやる。
その上で、奏の暴走を制御する。
ピックを握り直し、指先に力を込める。
音が、跳ねる。
余裕が、なくなる。
奏の歌と、俺のベースが近づいては離れ、離れては近づく。
そうして、どれくらいの間、音の渦の中で殴り合ったのか……。
熱量に負けそうになる。
汗で指が滑る。
一瞬、置いていかれそうになる。
奏はそれに気づいたのか、テンポをあげる。
必死で、食らいつく。
瞬間、俺が一音、引いた。
音が、弱まる。
その隙間。
そして……突然だった。
一瞬、奏と目が合う。
――すべての音が、噛み合った
互いに、瞬間にわかるほどに。
驚愕した奏の目が俺を見る。
俺もまた、見開いた目を奏に向ける。
それでも、音は止まない。
奏の剥き出しの歌声は、もう逃げなかった。
しばらくして、不意に音が止む。
互いに肩で息をしながら、向かい合う。
ぎらぎらした剥き出しの凶器みたいな顔は、もうなかった。
かわりに挑発的な、煽るような目の奏が俺を見ている。
「……お前、おもしれぇな」
フッと俺は唇の端で笑った。
「……お前に言われたくない」
そう返すと、奏は不貞腐れたように顔を背けた。
「素直じゃねぇやつ」
「それも、お前には言われたくないな」
それから、奏に向き直る。
「一度だけ、だったな?」
その言葉に奏は言葉を詰まらせた。
軽く息を呑み、俺は奏の反応を待った。
戸惑っているのが、わかる。
だが、内心ドキドキしているのは、俺の方だった。
僅かに口を開きかけて、それでも、言葉は出ない。
……ダメか……。
握っていた拳の力を抜き、俺は息をひとつ吐いた。
「……わかった」
奏に背を向ける。
空気が、揺れたのがわかった。
これは、賭けだ。
奏が、自分からやりたいと言うかどうかの。
一歩目を踏み出そうとしたその時。
ガシッと腕を掴まれる。
「お前、こんだけ煽っといて放置かよ?」
振り向く前に、俺は一度微笑う。
「なら、答えは決まったな?」
振り向き、奏を見下ろす。
少し不機嫌そうに、奏は顔を逸らす。
「ああ、やってやるよ。お前と、バンド」
フッと俺は笑った。
受験の事が頭をよぎる。
だが、この時、俺は迷わずに選んでいた。
奏の歌を。
それが、良かったのか悪かったのかはわからない。
ただ、ひとつだけ確かなこと。
後悔だけはしない。
それだけだ。
そして、それは間違いではなかったと、今の俺は思う。
マイクの前で歌う奏を後ろから見ている俺は、ふっと微笑う。
「変わらないな、お前」
不意に奏が振り向く。
「急に何言ってんだ?」
不機嫌そうに俺を見る。
その瞳は、あの頃ほど荒んではいないけれど、変わらない衝動を宿したまま。
ペットボトルの水を手に取り、奏は俺の前の椅子に座る。
「初めて会った頃と、変わらないなと思ってな」
水を一口、口にふくんでから、奏は不貞腐れたように顔を背ける。
「……あの頃ほど……荒れてねぇよ」
自覚は、あるようだな。
そこは気づけるようになったのか。
「まぁ、な」
それだけを返す。
奏は口元だけでブツブツ言っている。
そこへ陽もやってきた。
俺の隣にドカッと座りながら、いつものようにうるさい。
「つっかれたぁー!」
「陽、うるさい」
俺は陽を一瞥する。
そんなことお構いなしに陽は笑顔で喋りだす。
「なになに?奏荒れてた頃の話してんの?」
奏は更に不機嫌顔だ。
陽、お前、空気読め。
「俺も最初怖かったぜー」
「お前、最初から距離感ゼロだっただろっ」
奏に突っ込まれる。
あはは、と陽は笑う。
「そうだっけぇ?」
呆れたように奏は右手で顔を抑えた。
そこへ凪も休憩にくる。
「奏荒れてたってはなし?俺、その頃知らないんだよね」
「……お前は、知らなくていい」
奏が遠い目をしている。
そんな他愛もない、いつものやり取りを俺は見つめる。
あの後、陽がやって来て、凪が入ってきた。
荒れ狂っていた奏は、そのたびに落ち着いていった。
だが、根っこは変わらない。
どうしょうもない、真夜中みたいな衝動を宿している。
『NOCTIS』
奏の存在の通りのバンドだ。
俺は、奏の一歩前に、東雲に立って、このバンドを先導する。
あの日の予感は、まだ俺の中で燃え続けている。




