第31話 永遠のようなあなたへ
神花が必死に働く中、横にいたシェイラもまた、いや、身体の大きさからして神花以上に必死になって働いていた。
その小さな体で走り回り、もう備蓄も残り少ない包帯をかき集め、必死に神花のもとへ走っていた。
シェイラは、これまで情けないヒモのようだと思っていた彼女が、初めて見せた真剣な表情に惹かれていた。
初めての修羅場にも関わらず、物怖じも、竦みもせず動き出した神花に、尊敬の念を抱いていた。
……それはかつて自分ができなかった後悔の裏返しかもしれない。
それでも、シェイラは、今の神花のために、目に汗が入ろうが、苦しむ誰かの手が足首を掴もうが構わず、走っていた。
――だからなのかもしれない、もう既に余力も、神花よりもとっくに早く無くなっていたからかもしれない。
――だから、背後から短剣が迫ってきていたことにも、気付かなかったのかもしれない。
「シェイラちゃん――!」
悲鳴のような神花の声が聞こえた。間も置かず、シェイラの身体には衝撃が走り、転がるように吹き飛んだ。
シェイラは熱を持った背中に手を当てる。どれくらい血が出ているのか、吹き出す血を止めようと。本能的な動きだった。
……血は、出てはいなかった。
ホールの各所から悲鳴が上がる。その中で、一番近くで聞こえた悲鳴の方へ、シェイラの顔は自然に向かう。
信じられないような光景だった。
神花が脇腹を抑えて倒れ込む。その脇腹から、鈍い銀色の刃が見えた。
その刃も、一瞬の間に溢れる血で見えなくなる。
シェイラはその全てがスローモーションのように見えた。神花の背後に立つ男がもう一本の短剣を鞘から抜き、大きく振りかぶるのが見えた。
「――クララッ!」
よく聞きなれた声だった。フロリアーノの声だった。
彼女がここまで焦っている声なんて、初めて聞いた。
瞬間、空間を切り裂くような剣筋が、背後から男の心臓を貫いた。
自分の胸から生えた剣に男が驚く間もなく、その剣は男の腰ほどまで抜け、胴体を半ばから断った。
「クララ、さん……」
シェイラが呟いた。目の前の人物はとてもそうとは思えないほどに、返り血に染まっていた。
クララの身長で男を切ればそうもなるのだろう、頭から返り血を浴びて、その綺麗な金髪は赤く濡れていた。
クララはシェイラを一瞥し、怪我がなさそうか判断した後、シェイラと男の間に倒れているその人の肩を掴み、名前を呼んだ。
「神花様っ!!!なんでっ!!嫌っ!死なないで下さい!!」
後ろから走ってきたフロリアーノと真夜も動揺はしていた、が、動揺するクララを引き剥がし、二人は冷静に振る舞おうともしていた。
……それが無理だと薄々気付いてはいながらも。
「クララ、落ち着いて、誰か、包帯を〜〜誰かっ!包帯をっ!」
フロリアーノの語気も荒くなる。周囲にはもはや綺麗な包帯なんてなく、あったとしても、今まさに暴徒に踏み潰され、汚されていた。
「神花……嫌……血、止まって……神花!」
真夜は神花の傍に駆け寄ると、着ていた上着を脱いで神花の傷口に当てる。真夜はパニックの最中、学生時代のライトノベルの知識か何かか、刺さった剣は抜かない方が良いという知識だけ、やけに頭の中を繰り返し巡らせていた。
真夜、フロリアーノ、シェイラ、そしてエントランスホールは混乱の渦中にあった。患者に扮した暴徒か、もしくは暗殺者か、それらが無差別に周囲の生徒を切りつけ、生々しい血が吹き出していた。
そして、それらの発端となる最初の一人目は
……実は神花ではなかった。
悠然と、しかしながら早足で、アンドラーシュ帝国皇女、アンドラーシュ=イヴが、避難者だらけの廊下を歩く。
すれ違う生徒一人一人に簡潔かつ明瞭な指示を飛ばし、人が足りず治療できていない避難者を見れば、隣を歩くランミンバーから包帯を受け取り、手際良く巻く。
未だ学生の年齢でありながら、為政者として、彼女は完成されていると言っても過言ではなかった。
しかしそれでも、彼女は学生なのだ。恋をし、先生に反抗し、仲間と笑い合う、未だ年端のいかぬ少女であり
――完璧などでは、なかった。
一人の老婆に対して包帯を巻き、その手を優しく握るイヴの背に、凶刃が迫ろうとしていた。
それは倒れ伏した避難者の皮を被った暗殺者であり、そして……
正真正銘、ただの民衆でもあった。
道端のパン屋の店主、掠れた声で笑う母親、片手の欠けた老人、皆、ただの民衆だった。
何年も、いや何世代も前からこの国に住み、暮らしを営んできた、ただの民衆だった。
だからこそ、イヴは凶刃に気付きはしなかった。
そしてそれは、彼女にとって最悪の結果を招いた。
凶刃とイヴの間に、ほんの少しイヴよりも速く、その異変に気付いた人物が割り込んでくる。
武器も、戦闘にまつわる訓練を受けたこともない、ただのメイドが。
……ランミンバーが、その身に三本の短剣を受けて、崩れ落ちる。
それを皮切りに、いや、もしかしたらそれが合図だったのかもしれない。
学園の皇女、アンドラーシュ=イヴを、殺すことが、学園を地獄の坩堝に陥れる合図だったのかもしれない。
……真意はわからない。イヴは死なず、反乱の一歩目は踏み出されなかったのだから。
イヴに凶刃を向けた、何の変哲もない民衆に見える三人が、イヴが死んでいないことに気付き、再度剣を振るおうと、ランミンバーの体から短剣を抜くため、その柄を握りしめたその瞬間。
消し飛ぶように、ランミンバーを殺した三人の頭が弾け飛んだ。
それが、怒りのあまり剣を鞘ごと振るったイヴの仕業だということに、周囲の生徒、避難者達は一瞬遅れて気が付いた。
三人の首から上は、全員混ざり合いながら、周囲の壁や天井に、べったりと飛び散っていた。
と、いうのに、イヴはそんなことに全く気付くこともなく、ただ、自分にもたれかかるように倒れ込んだランミンバーの体をしっかりと支えた。
誰が見ても致命傷だった。三本の短剣はそれぞれ、脇腹、胸、首元に刺さっており、その傷口からはまるで、噴水のように血が吹き出していた。
イヴは、ただ現実が追いつかないような、呆然とした顔でランミンバーの瞳を見た。
その瞳がほんの一瞬揺れて、そして、止まった。
イヴは血色を失っていく彼女を見ても、何も言わなかった。泣き叫ぶことも、現実を受け入れられず暴れ狂うこともなかった。
ただ、先程イヴが治療していた老婆が、隠し持っていたナイフ程の大きさの刃物を、イヴのその無防備な背中に突き立てようとした瞬間。
ナイフを持っていたはずの自身の手が手首ほどから掻き消え、それから一呼吸もしない内に、その老婆の見る視界そのものが高く舞い上がり、天井にぶつかり、床に落ちた。
許しはしない、対話のひとつもする必要は無い。
ただ、この惨状を引き起こした者全てを。
今ここで刃を振るう、誰かに扇動されたであろう哀れな民衆も。
この事態を煽り、そして自分の手を汚さずのうのうとワインでも呷っているだろう黒幕も。
その全てを殺し尽くすと、イヴはただ、そう静かに思っていた。




