第16話 酔夢
「おとーさん!おかーさん!」
小さな私が、二人に手を振って走っている。
小さな手足を大きく振って、二人に追いつこうと、懸命に走っている。
走っても走っても追いつかない。
二人は、私を見ていない。
二人も前だけを見ている。その先に居るのは、どこかの、顔も知れない神様だけ。
「おかーさん!おとーさん!」
私がいくら呼びかけても、二人は振り向いてもくれない。
ずっと、二人の背中は遠ざかるばかりだ。
……気付いたら私は、舞台の上に立っていた。
私の背は変わらず低く、恐らく小学生低学年頃だろうか。
知らないおじさんが私の背を押す。
押されてつんのめるように前に飛び出ると、大人達の好奇の目が私に集まる。
私は怯みそうになった。だけど、そこで私は何故か両親を思い出してしまった。
私は好奇の目に囲まれながら、拙い踊りを披露した。
私は天照教と両親のために道化になって踊った。
踊り終わった私に侮蔑的な拍手と、嘲笑ともつかない笑いが向けられる。
私は、涙をこらえて、そんな群衆達に、ささやかな怒りを抱いていた。
私は、小学生も卒業する頃になった。
元々、両親も美形の側だからか、その頃になると私は、一般的に言う美人の面影を既に覗かせていた。
……私の美形は、私に降り注ぐ奇異な視線を更に増やしただけに過ぎなかった。
あの時の私も、また、舞台に立たせられる一人の道化に過ぎなかった。
ただ、その役割は前とは少し、異なっていた。
私の後ろ姿を舐め回すように一人の爺が見ていた。私は、そんな爺の前を歩いて、そのじっとりと湿った手を握り、連れて歩いた。
私が舞台の真ん中に着くと、拍手が浴びせられる。
ただ、それは私に向けてではなかった。私が手を引く爺は、その拍手を満足気に眺めていた。
私は、観客達を一人一人見回していった。
両親がいた。
私のことなど目にも入っていないかのように、爺に熱狂的な視線をぶつけ、激しく両手をぶつけ合わせている。
その手が真っ赤になっても、私の両親はずっと、爺だけを見て、両手をぶつけ合わせていた。
私は、中学生になった。
大体の子供は中学生に大きく変化すると言うが、私にとってもそれは同じだった。
……それは、二つの意味でもだった。
一つは、鶯 真夜との出会いだった。
彼女は、私に革新をくれた。
それは、花火のような、爆弾のような、驚きだった。
――そういえば、私は一度だけ、花火を見たなぁ。
そうだ、あの日の夕方、真夜ちゃんは私を誘ってくれたんだ。
だから、私は、天照教に禁止されているのも聞かず、家を抜け出して、花火を見たんだ。
……一人で?
そうだ、なんで、私は一人で花火を見ていたんだろう。
誘ってくれた真夜ちゃんは、どうして、来なかったんだっけ。
なにか……忘れている?
そう思った記憶は、次のフラッシュバックに一瞬で塗り替えられた。
私が泣いている。顔を手で覆い、少しでも自分の顔を見られないようにしている。
裸で私の上に馬乗りになっている男がいる。
部屋は薄暗く、外から鍵が掛けられている。
男の手が私の細い腕を掴んだ。
涙で滲んだ視界が、ゆらゆらと男の姿を大きく見せた。
重い、苦しい、痛い……
私には、どうすることもできなかった。
……ぐわんぐわんと頭が揺れ、吐き気が込み上げてくる。
私はハッと目を覚まし、上体を起こす。
私は自室のベッドの上で寝ていた。
両脇にはフロリアーノとシェイラちゃんがいる。
私は、二人を起こさないように起き上がり、部屋の隅にあるランプを手に取り、鏡の前に座る。
……酷い顔だ。涙でびしょびしょで、目は赤く腫れている。
吐かなかったことは良かった、二人に不快な思いをさせないから。
……私は、あの経験を誰にも言ったことはなかった。だから、真夜ちゃんが知っているはずがない。
あれは、ただの当てつけ、嫌がらせだった。
許せるだろうか、真夜ちゃんのことを。私は。
鏡を見る。小さな声で鏡の中の自分に呼びかける。
「そういえば、そうだったね。最初は、ほんの小さな嫉妬だった。両親の寵愛を一身に受ける、得体の知れない神に、嫉妬してた」
「次は、怒りだった。愚かな群衆も、それに迎合した私も、全てに怒っていた……だから、全部壊したかった。道化の私も、踊らされて嗤う群衆も」
「……最後は、羨望だった。大きな力が、全てをぐしゃぐしゃにして、飲み込んでいくのを、私は近くで見ていた。見ていた、だけ」
鏡の中の自分に力なく笑いかける。鏡の中の自分も、力なく笑うだけだった。何も、変わらなかった。
いつの間にか、私の背後には人が立っていた。フロリアーノだった。
彼女は、何も言わずに私を背中から抱きしめてくれた。
「あのね、フロリアーノ。私……嫌いなんだ。神様も、民衆も、全部」
フロリアーノは、何も言わずに黙って聞いてくれていた。
「だから、自分が神様になってやろうと思ったの。そしたら、今いる神様も、それを信じる民衆も、皆、偽物に負けた、ってことになる、でしょ?」
「私、夢なんかじゃなかった。ただの復讐だった」
「ごめんね、フロリアーノ。私、私……」
フロリアーノの腕に力が入る。私は、より一層強く抱き締められた。
「……いいの、私は。ずっと、心花ちゃんについてくって、決めたんだから」
「でも、私、ずっと騙して、それに」
私の言葉は遮られた。
「言ったでしょ、私は、ずっと心花ちゃんのことが、好きなんだよ」
鏡に映ったフロリアーノの顔を見た。彼女も、私に負けないくらい、涙で頬を濡らしている。
「……ねぇ、教えて欲しいな。昨日起きたこと。なんで、心花ちゃんが苦しんでいるのか」
「フロリアーノ……!」
涙が溢れてくる。それは、今までの涙じゃなくて、そう、悲しい涙じゃなかった。
嬉しかったんだ。
「私も、私も好きだよ、フロリアーノのこと!ずっと、ずっと好きだよ!」
「うん……うん!」
私達二人は、そのまま、夜が明けるまでずっと話をしていた。
私のことも、フロリアーノのことも。
……そして、朝が来た。
もう、やることは決まっていた。本当はずっと前から、気付いていたんだ。
今日、真夜ちゃんとの問題に、けりをつける。




