脱出と再会
「もう十分経ったぞ。つまんねぇな、平気な顔でいやがる。あと二十分くらい追加で立たせるか」
ユージスの怒声に、ヴァテリーがこたえる。
「それより、なにかほかの拷問をしましょう。なにか、もっと独創的な」
「そうだな。なにか使えそうな道具はあったか」
「車に工具がいろいろとあったはずです。取ってきましょうか」
「俺が行ってくる。見張りを頼むぞ」
扉が開き、閉まる音がした。部屋には、マスミルドとヴァテリーのふたりだけ。
チャンスだ。
「すみません、ヴァテリーさま。ほんの少しのあいだだけでもいいので、この麻袋をはずしていただけませんか。これをかぶっていては、息が苦しくて苦しくて」
「まあ、すぐにまたかぶるのなら」
下手に出たマスミルドに警戒を緩めたヴァテリーは、椅子に座ったマスミルドの視界を自由にした。チェーンソーは、パイプ椅子のすぐ脇に無造作に置かれている。ヴァテリーの武器は、目視できるかぎりピストルとライフルのみ。ライフルは部屋の壁際に立てかけられ、ピストルは腰のホルスターに収まっている。しかし、完全に油断しているのだろう。弾が装填されているようすがない。
「息はできたな、もういいだろう……」
ヴァテリーの顔面に、マスミルドの拳が炸裂する。必死の者の力は、時に想像を絶する。チェーンソーのほうに飛び退いたマスミルドを、彼女は信じがたいものに向ける目で見つめた。
「貴様!」
チェーンソーを手に取り電源を入れたマスミルドは、その切っ先をヴァテリーに向けた。
「動くな。俺を解放しろ」
あっというまに、ふたりの立場が逆転した。
「手を上げて、ゆっくりと武器を捨てろ。ピストルと、それにナイフもだ」
ヴァテリーが武器をなげうつ。腰のピストルと、ジャケットの内側から取り出したナイフを二本。マスミルドは素早くそれを拾うと、パーカーのポケットにしまった。
「それで全部か」
「兵に志願したあと三時間くらい教育ビデオを見せられただけで、すぐ拷問担当に回されたからね。支給された武器もこれで全部だ」
「そうか……」
「EFが侵攻の構えを見せて、国じゅうてんてこまいさ。人手が足りないからって、私はまだ兵役につかない年なのに従軍を許された」
「それを俺に話してもいいのか」
「黙っていろと言われたが、こうなってはもうどうしようもないよ。情報をいくらかひき出したら、FGS信徒はうさ晴らしに好きにしていいって話だったけどね。ああ、ユージスさんはちゃんとした軍人だよ。それも、エリートコースまっしぐらだったらしい」
「……外に案内してくれ。通報したらどうなるか、わかるだろう」
チェーンソーを彼女の首先に突き付け、先を歩かせる。
扉を開けるよう、指で合図する。通路を進みしばらくすると、久方ぶりの新鮮な空気がマスミルドの肺を刺激した。太陽の明るい光が、目に飛び込んでくる。
そこは、故郷の山村のはずれにあるごみ処理場だった。幼少期から慣れ親しんだここなら、森に紛れてかんたんに逃げられる。
「よし。このまま、森のほうへ歩いてくれ。少しでも変な動きを見せたら、わかっているな」
マスミルドは、自分がほんとうに人を殺せるという自信はなかった。たとえそれが、自分をひどく痛めつけて殺そうとした相手だとしても。
しかし、それはヴァテリーにしても同じことだろうと彼は確信していた。彼女も、精神的には一般人となんら変わらない。ただ、すこし服装が違うだけだ。それならば、リスクを冒してまで逃げようとはしないだろう。その確信がマスミルドにはあった。
森の入り口まで着いたとき。背後から、怒声が響いた。
「道具を探すのに手間取って、戻ってみればもぬけのから。よくも逃げやがったな」
ユージスが銃を構えていた。
「動くな、彼女の命がどうなってもいいのか」
「……ちっ。新入りに見張りを任せるんじゃなかった。行っちまえ!」
森を十五分ほど歩く。二人分の足が枯れ葉を踏む音だけが、森の静寂を破っていた。
「そこのブナの木に、背中をつけて立ってくれ。人質を連れて逃げまわるのは不便だ」
「……わかった」
少女を後ろ手に縛り上げる。ほんの数十分前まで自分を拷問していた相手だ。それなのにすこし胸が痛んだのは、マスミルドが優しすぎたからだろうか。すべてが日常とあまりにもかけ離れていて、何が正常で何が異常かも分からなかった。
一人になって道を急ごうとした、そのとき。背後から、もはや耳に馴染んだ怒声がした。
「ようやく人質を解放したな。手を上げて、ゆっくり武器を捨てろ。チェーンソーにピストル、ライフルとナイフを二本だな」
マスミルドは立ち止まり、ゆっくりとユージスのほうに向き返った。どんなに追い詰められても、決して諦めてはならない。彼が尊敬する人間の言葉だ。その信念も揺らぐのを感じながら、マスミルドは武器を放り捨てた。
「頭に来たぞ、この虫ケラが。これ以上ないほどに痛めつけて殺してやる。そうだな、まずは……」
鋭い銃声が響いた。マスミルドは、とっさに目を瞑った。もはや逃げおおせない。そう思った。
数瞬が経過した。
自分にはまだ、息がある。
ゆっくりと目を開く。ユージスが、倒れていた。こめかみの銃創から紅い血が数滴、枯れ落ち葉の堆積した地面に落ちていた。流血が、どくどくとあふれ落ちる。
「兄さん!よかった、間に合って、ほんとうによかった」
「ゲオルネ!」
木々のあいだから、EFの徽章をつけた十人ばかりの小隊があらわれた。そのなかからまっ先にマスミルドのほうへ走ってきたのは、似合わない鉄兜に額が半分まで覆い隠された、ゲオルネだった。
「無理をいって、前線に出してもらってよかった」
「ああ……ありがとう」
「私こそ、感謝のひと言も言えずに逃げていっちゃったから」
「EF兵の皆さんも、ありがとうございました。ゲオルネだけでなく俺まで助けていただいて」
「いえ、命令を遂行したまでです」
「それでも、ありがとうございます。そう、そこのブナの木に、もうひとり私を拷問した兵士を拘束してあります。経緯を話すと長くなるのですが……」
「彼女ですね。よし、サングラスとマスクをはずせ」
抵抗もせず顔をさらけ出されたヴァテリーは、自分を包囲した面々を見回した。そして、驚きとともにそのうちの一人と目を合わせた。
ゲオルネもまた、信じがたい、否。信じたくない気持ちだった。
「捕虜は素性を記録のうえ、収容所におくる予定だ。名前は?」
「……ハイラ・ミュールです」
EFの小隊長に、ヴァテリー、いやハイラが答えた。
「どうして、ねえ、どうして。ハイラ!」
ゲオルネは、怒りを抑えられなかった。どうして。自分の恋人が、こんなことを。
「……信じて、私は命令に従っただけ。彼があなたのお兄さんだとは知らなかったし……」
「そうじゃなくて。あなたは、そんな人間だったの?兄さんを見てよ、傷だらけじゃない。こんな、こんなことに加担する人間だったの、あなたは」
「……どうやら、そうだったみたい。自分でも、認めたくはないけど」
ゲオルネには、何も答えられなかった。信じていたのに。ハイラだけは。自分を追いかえしたのも、きっとなにかどうしようもない事情があったからで、ハイラだけはあの狂気にも加わらないと。信じていたのに。
「行こう、兄さん」
「ああ。……うっ」
「兄さん、どうしたの⁉」
「無理がたたったらしいな……しばらく休ませてくれ」




