運命と女帝
「さすがはステファナさんだ。こんなに栄達されても、俺たちのことを忘れないでいてくれて」
「おごりで飲み放題だなんて、やっぱりステファナの姉貴は最高だな」
ひとびとが、ジョッキを打ち鳴らす。
「姉ちゃん、いま来たのか。運がよかったな、今日はただでいくらでも飲めるぞ。さあさ、乾杯しようぜ」
六十歳ほどだろうか。顔を真っ赤にした男が、ゲオルネの肩を抱く。
「ちょっと、急に何ですか」
「姉ちゃんも、飲め飲め」
「だから、急にやめてください」
「いーじゃん……」
男の言葉をさえぎって、力強い声が酒場じゅうにひびいた。
「ナディム、そのへんにしときな。すまないな、こいつは酒癖がひどいんだ。隔離しておくべきだったかな」
「すいません、姐さん。ハハ、姉ちゃんもすまないな。酒はもうやめとくか」
「お見苦しいところをお見せした、お嬢さん。お詫びに一杯、どうかな」
人垣が割れて、白いスーツを着こなした、白髪の老女が姿を見せた。ゲオルネの目には七十歳ほどに見えた彼女は、その実百を優に超える年齢だった。背筋を伸ばして堂々としたその姿は、覇者と呼ばれるにふさわしい風格をしている。
「どうかな、一杯」
「私でよければ、ご一緒させていただきます」
ゲオルネは、老婆に従って酒場のカウンターに座った。蜂蜜酒がなみなみと注がれたジョッキをふたつ、ウェイターがふたりの前に置いた。
「さてと。私のことは知ってるかえ?」
「いえ……」
「ほう、この私を知らないと。面白いね、わけありかい」
「はい、ついさっきカブールに着いたばかりです」
「ほう、その前は」
「トルコにいました。その前はEF、出身はスイスです」
彼女の鋭い眼に見据えられると、なにもかも洗いざらい話してしまう。ゲオルネは、自分が見ず知らずの相手に素性を明かしてしまったことに、すべて話してしまってからようやく気がついた。
「ほう、そりゃ私のことを知らないわけだ。海外への広報がやっぱり、まったく足りないね。私は、ステファナ・フィーガード。今日は、ついに我が社がこの国の税金管理までを任された、つまり我が社が名実ともにこの国を支配できたお祝い、っていうわけだ」
「フィーガード……というと、もしやフィーガード社の……」
「そう、私がそのフィーガード社の創業者にして代表取締役社長。それでお嬢さん、君は」
「ゲオルネ・マスミルド・ンカリスクといいます。その、こんな貴重な機会をいただけて……」
「ああ、御託はいい。さ、飲みな」
蜂蜜酒をあおるステファナにつられて、ゲオルネもジョッキに口をつける。
「うん、やっぱりここの蜂蜜酒は美味いね。昔から変わらない味だ。それで、ゲオルネ。君の旅の話を、聞かせてほしいな」
ステファナの美しい瞳に見つめられて、ゲオルネは話し始めた。彼女が送ってきた日常のことを。FGSに降りかかった虐殺を。故国からの脱出を。恋人の裏切りを。EFでぐれたことを。過酷な旅のことを。トルコでの悲痛と、友情を。スイスで、EFで、トルコで出会った人々のことを。そして、兄のことを。
「なるほど、君のことはよく分かった。気に入ったよ。私についてくる気はないかい」
「私が、ですか」
「ああ、過酷な経験を持っている人間は強いからね。あそこで騒いでいる彼も、彼女も、あいつ、ナディムもそうだ。実をいえば、この私もだ。それに、君の眼を見れば分かる。君の眼は、力を求める人間のそれだ」
歳に見合わず、濁りなく輝いた瞳が、ゲオルネの瞳を覗き込む。
「どうだい」
「やらせてください。私に。私は、もう何も失いたくない。だから、大切なものを守れる力がほしい。お願いします、私を使ってください」
「そうかえそうかえ、契約成立だね。君は、自分が何に向くと思う」
「私は……たぶん、科学者として働けます。兄のように、学問で身を立てたい」
「それなら、まずは大学に行くところから始めないと。我が社の研究員になるなら、そうだね、博士課程までを七年以内に終わらせるくらいの気持ちでやってくれ。ああ、もちろんカブール大学の学費は出すよ。半年後の入学試験までは試験勉強をがんばって、入学したら何を学ぶつもりかえ」
「兄は数学者でした。けれど私は、数学にはあまり魅力を感じませんでした。もっと力に繋がる学問、命を救える学問……そう、生命科学を学びたいです」
「そうか。そうと決まればあとはかんたんだ。私を失望させてくれるなよ」
「はい!」
少女は、すべてを失った。それでも彼女は、明日へと進み続けた。そして少女は、誰かを守る力を、今度こそ手に入れる。新たな時代のはじまりだ。
No.137 ンカリスク,ゲオルネ・マスミルド(2155~2384)
M'Kalisk, Georne Massmild
スイス出身。戦乱から逃れてアフガニスタンに渡ると、ステファナ・フィーガード(→No.89)のもとで科学者として活躍。改造人間の実用化、クローンへの意識移植技術の完成、鎧型戦闘機械の発明をはじめ多方面で活躍し、二十三世紀最高の科学者と称される。最晩年は政治面でも精力的に活躍したほか、人神戦争(→pp.384)では陣頭で指揮を執った。
――『二訂版 高等学校世界史(2481年、国立教書編纂局)』475ページ、巻末資料・人名編より抜粋




