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旅路と懐古

 トルコがEFとロシアの分割統治下におかれてから、数日が経った。


「ゲオルネ、これからどうする」


「私は、EFからロシアを通って亡命した。どちらにしろ、素性がばれたら無事じゃすまない。それに、どっちの国にもいい思い出はないんだよね。せっかく手続きをした高校に入学できないのは残念だけど、どこか別な国に亡命したいかな」


「それなら、僕の故郷に来ないか」


 避難所となった公園で偶然に再開した友人、サイード・アゲリに誘われたゲオルネは、渡りに船とよろこんだ。


「いいの」


「ああ。さいわい、東へ向かうぶんには進駐軍に認められているからね。南アジア共同体に入って、アフガニスタンのカブールへ。砂漠のなかのハイウェイを通れば、五日くらいの旅だ」


「道は安全?」


「ああ、ひどく暑いこと以外、文句のつけようがない道だよ」


「それなら、いっしょに行こうかな。よろしく」


「ああ。車はどうにか無事だったんだ。むこうに停めてある」


「じゃあ、最後にこの国の料理を買い込んで、はやいところ発とう」


「ああ」


 駐車場に停まっていたのは、見たところ何の変哲もない二トントラックだった。控えめなトーンで、車体にはシリアルのロゴがペイントされている。


「知り合いから安く譲り受けたんだ。荷台で過ごせるようにすこし手を加えてある。……どうかしたか」


「ちょっとごめん……待っていて」


 トラックに乗って旅をする……ゲオルネには、マスミルドとドミトロと旅した日々が思い出された。幸せな旅だった。そう、最後を除いて……

 今回は、そんなことにはならないはずだ。合法的に出国し、合法的に入国する。けれどもやはり、不安は大きかった。

 必死で首を振る。この機会を逃せば、いつひどい目に合わないとも限らないこの土地に取り残されてしまう。人間の悪意の恐ろしさは、八年前いやというほど味わった。


「待たせてごめん。私はパスポートとか持っていないけど、それでも入国できるかな」


「国境の検問所で難民申請をすれば、認めてもらえると思うよ。移民の受け入れが国の発展に繋がることを、よく分かっている国だから。こっちで使っていた身分証を持っていけば、滞在許可はかんたんに下りるはず」


「そっか。ならいっしょに行こうかな。よろしく」


「ああ」


 ロシアに占領されたトルコ国内の検問も、南アジア共同体との国境の検問も、拍子抜けするほどかんたんに通り抜けることができた。短期在留者カードを渡されて、町に落ち着いたら近くの役所で永住権の取得手続きをするように言われた。期限は半年。身元も確かでない外国人に随分と寛容な国だ。

 砂漠のなかの道を、ひたすら進んでいく。故郷とは似ても似つかない景色を眺めて、自分はずいぶん遠くまで来てしまったんだな、とゲオルネは思った。何のせいで?

 もし、あの虐殺が起きなかったら。それか、ンカリスク一家が標的にされていなかったら。私は、しあわせに暮らせていたのだろうか。ふつうの高校生活を送り、大学に進んで、就職していたのだろうか。クリスマス休暇には家族のもとに帰って、みんなで笑い合っていたのだろうか。それとも、EFに攻め込まれて、やっぱり日常はめちゃめちゃにされたのだろうか。風のうわさに聞いている。クラヴィア・エヴァンジェリスタはすばらしい人徳者だった。けれども、彼女の率いる軍隊は、世界でもっとも残忍な軍隊だった。EF支配下のスイスは、想像を絶する惨状だったそうだ。あの虐殺がなくとも、遅かれ早かれそうなっていたのだろう。

 もし、兄さんといっしょにトルコへ渡らず、EFに残っていたら。ふたりとも生きて、たまにチャットをやりとりして、しあわせに生きていられただろうか。けれども、あのころ私は、兄さんに経済的に支えられていた。トルコから仕送りをしてもらっても、物価のまったく違う国からの仕送りでは生きていくのに足りないし、良心の呵責に耐えられない。きっと、不良仲間から抜けられずに、稼ぐための犯罪に手を染めていただろう。スラムのデポトゥア地区では、平均寿命が四十歳にも満たない。あのまま生きていたら、確実にひどいことになっていた。

 もし、トルコで平和に生きていられたら。夜間高校に通い、大学に進んで、仲間たちと平和に生きていられたろうか。それが起こり得ないことは、最初から分かっていた。トルコが辛うじて独立を保ちえていたのは、あきらかに無茶な予算を国防につぎ込んでいたからだ。誰もが目をそらそうとしていたが、もう戦争が長くは続けられないことは何年も前から公然の秘密だった。それでもひとびとは、必死に平気なふりをしていた。無駄と知っても、そうするしかなかったから。


「今度こそ、今度こそ平和に生きたいな」


「何か言った?」


「ううん、なんでもない」


「そっか」


 ハイウェイを走っていると、ときおり軍用車とすれ違う。咎められることをしたわけでもないのに、ゲオルネは無意識に、かるい恐怖を覚えてしまう。


「そういえば、いまの戦車。派手なシンボルマークを付けてたね」


「ああ、あれはフィーガード社のロゴだな。アフガニスタン創業の、南アジア最大の企業だ。以前から政府事業の一部を代行していたが、さいきんは軍事でも代行をするようになったのか」


「へえ。私の今までいた国はどこもそういうのはなかったから、新鮮」


 そうしてふたりは、カブール下町の集合住宅密集地の一画、サイードの郷里に到着した。高地の薄い空気は、熱く乾燥していた。


「すまない。家が狭くて泊めてやれないんだ。知り合いがやっている宿屋を紹介するから、そこに泊まってくれ」


「わかった、ありがとう」


 スイスとも、パリとも、アンカラとも違う。また独特の空気を持った街を、ゲオルネは歩いた。世界でもっとも豊かな大国の一画である。


「ここかな、サイードが言っていた宿は」


 宿屋の一階は酒場になっている。ゲオルネが恐る恐る戸を開いたのと、わっと歓声が上がったのとは同時だった。

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