墓標と英雄
「おい、ゲオルネ、おい。大丈夫か。ひどくうなされていたぞ」
目醒めると、そこはトルコ入管の仮眠室で、ドミトロが心配そうにゲオルネの顔を覗き込んでいた。
あれから、どうなったんだっけ……
「心配したぞ、急に叫んだりして」
「ごめん……目が覚めたら、急にお腹が空いた。なにか食べるものはある?」
「高級フレンチとはいかないが……ケバブでも食べにいくか」
「そうしよっかな。兄さんのぶんまで、たくさん食べないと」
マスミルドとゲオルネ、ドミトロにイェーキンだけの葬儀はあっというまに終わり、兄だったものを納めた柩は墓地の一角に埋められた。
『Massmild M'kalisk. Né le 10 juillet 2151- Décédé le 23 février 2175 だれよりもかしこく、強く、優しかった兄』
コンクリート製の、人工的な白色をした墓石が、凍りかけた地面に突き刺さる。
「兄さん……私も、頑張って生きていかないと。ここの人たちはみんな親切だよ。私も今度こそ、兄さんに心配をかけなくて済む、立派な大人になってみせる。今度こそ……」
カラスが鳴いた。
ガァ。
『オマエノセイダ』
赤黒く濁った瞳が、こちらをじっと見つめている。
『オマエノセイダ』
『やめて、やめてよ。私がわるいってことは、私がいちばんよく分かっている。私が兄さんの言う通りにルービックキューブをしまっていたら、もしもう少ししっかり握っていたら、音を立てていなかったら……そうだよ、私の、私のせいで、兄さんは……』
『オマエノセイダ』
カラスが、もう一度鳴いた。
『ごめんなさい、兄さん、ごめんなさい、もう取りかえしもつかないけど、ごめんなさい……』
バサッ、バサッ。
カラスが羽ばたき、飛び立つ。
「ゲオルネ、大丈夫か」
ドミトロが、必死でゲオルネの肩をゆすった。
「うん、ちょっと……」
「俺も、マスミルドを守れなかった償いになるかは分からないが、できることなら何でもする。遠慮せず、なんでも話してくれ。俺みたいなおじさんでも、お前の助けになりたいと思っている」
「ありがとう。ちょっと、休ませて」
「ああ」
アンカラ郊外の官営住宅街。ゲオルネは、殺風景で小さな自室のベッドに身を投げた。
目をつぶる。脳裏に、てんでばらばな顔が浮かぶ。
『マスミルド、お前だけでも逃げろ!』
『逃げて、マスミルド!』
血まみれで、必死に叫ぶ父と母。
『我々は、洗脳された同胞を救なければならないのです』
ノア・バウマンの演説。
『……黙れ、この売国奴、劣等人種が!』
ハイラ、いやヴァテリーとユージスに、頭を鷲づかみにされる。
『ンカリスクさん、あなたを弊学の研究員として雇用したいのですがいかがでしょう』
突然のメールを真実と分かったときの、努力が報われたよろこび。
『ぐわぁっ』
兵士が崩れ落ちる。それとともに、下腹部に意識が吹き飛びそうなほどの痛みを感じる。
死にたくない。
生きたい。
生きて、 たい。
『オマエノセイダ』
これは、兄さんの走馬灯。
兄さんは、生きたかった。
それなのに、兄さんはもう、生きられない。
私のせいで。
私さえいなければ。
どうすればいい。
そう、私は私を罰しなければ。
私は、
「君のせいだ」
急に、耳元から声がした。ゲオルネは、びくりとからだを起こした。
「君を守りたかったから、俺はここまで戦ってきた。君がいたから、俺は最後まであきらめなかった」
いつのまにか、部屋の小型テレビの電源が入っていた。古い時代の、東洋のドラマが放送されている。そういえば、故郷の国営放送はよく、著作権がとうの昔に失効した作品を、新作の製作費を捻出できないかわりに放送していたっけ。こっちでも、似たようなものなのだろう。
「彼女は、君のせいで青春を諦めざるをえなかった。俺はお前を許さない。覚悟しろ!変身‼」
跳び上がった俳優は、次の瞬間銀色に輝く姿に変わった。決めポーズをとった彼は、黒覆面の悪役を薙ぎ倒す。
「とぉっ」
コンピューターグラフィックスが普及した現代のアクション映画と比べるべくもない、稚拙な映像。しかし、その映像にはどこか、ゲオルネを捉えて離さないものがあった。
「くそっ、貴様のせいで。次こそは俺が勝つ、覚えていろ。また会おうぞ」
気がつけば、ゲオルネはドラマに夢中だった。
そう。私のせいで、兄さんは死んでしまった。
けれど、私がいなければ、兄さんはスイスから出ることもできずに、拷問のすえ殺されていた。
けっきょく、みんな同じことなのかもしれない。私のせいで兄さんは生きて、死んだ。それは私のせいで、父さんのせいで、母さんのせいで、ドミトロのせいで、スイスの彼らのせいで、ロシアの彼らのせいで、トルコの彼らのせいで、やっぱり私のせいでもある。私も、誰かのせいで生きていて、誰かのせいで死んでいく。
「兄さん、ごめんなさい。私はまだ、生きてもいいですか」
返事はない。
言わなくともわかるだろう、そういうことだよね。
「ありがと。さよなら」
勇壮なテーマ音楽とともに、銀色のヒーローは去っていく。世界を救った彼の背中は、いくら凛々しいナレーションにいろどられようと、どこか哀愁が漂っていた。
「おじさん、晩ごはんにしよう」
忘れ去ってはならない。けれども、囚われてもならない。
とりあえず、誰かのせいで今日を生き延びる。それがなければ、はじまらない。




