第1章-承|戻ってきた日常
通知から一週間が過ぎた。
春の陽射しが少しだけ長くなった午後。聡はソファに寝転びながら、陽の宿題を遠くから見守っていた。
「ねえパパ、今日、学校でママの話したんだよ」
「へえ、なんて?」
「ママのカレー、世界一だったって。ぼく、また食べたいなぁ」
聡はふと台所を振り返った。しばらく前に、麻由のレシピノートを見つけて、ページを開いたままにしてある。
「よし、今夜は俺が再現してみようか」
「ほんと? うれしい!」
その声に押されるように、彼はキッチンに立った。
玉ねぎを炒める香り、にんじんを切る音。レシピ通りに作っているはずなのに、何かが違う。
じゃがいもの大きさか? ルーの種類か?
味見をする。何かが足りない。
| 「隠し味、入れてないよ。りんごジャム。ページの下の余白に書いてたでしょ?」
画面越しに表示された言葉に、聡は一瞬黙った。
冷蔵庫の奥から、小さな瓶を引っ張り出す。少しだけ加え、火にかける。香りが変わった。
夜、テーブルを囲んだ。
「どう? 味」
陽が一口食べて、目を丸くした。
「これもおいしいけど......ママのカレー、また食べたいな」
聡は少しだけ笑って、画面に視線を送った。
| 「大丈夫、覚えてるよ。ちゃんと、あなたが作ってくれたの、喜んでる」
その夜、皿を洗い終えたあと、聡はタブレットの前に座り直した。
「なあ、いつものように財布が見当たらないんだけど、心当たりあるか?」
| 「洗濯機の下。洗剤のボトル、倒れてなかった?」
「は?」
思わず立ち上がり、洗濯機の横にしゃがみこむ。ボトルをどけると、埃まみれの財布がひっそりとあった。
「......これは参ったな」
彼は声を出して笑った。
「幽霊じゃないんだよな?」
| 「私は妻ですから」
何気ないやりとりのはずなのに、その言葉がじんわりと胸にしみた。
次の日の朝、ランドセルを背負う陽が泣きべそをかいて戻ってきた。
「プリントがない! 今日提出するのに!」
テーブルの下、ソファの隙間、リュックのポケット──
あちこち探し回ったが見つからない。聡がため息をついて座り込んだとき、画面が光った。
| 「ソファの下。後ろの脚のとこ。あの子、ランドセル立てかけたときに落ちてたの」
慌ててソファの背後に回る。床とのわずかな隙間に、折りたたまれたプリントの角がのぞいていた。
「うわ......ほんとだ......」
陽が歓声を上げて紙をつかみ、「ママすごいね!」と画面に向かって話しかけた。
「ママ、どこで見てたのかな?」
聡はその言葉に、ふっと笑った。
翌日の夕食時、陽が嬉しそうに話した。
「パパ、学校でね、お兄さんお姉さんが1年生の面倒を見てくれるシステムがあるんだって」
「へえ、そうなんだ」
「僕にも優しいお姉さんがついてくれたの。すごく親切で、困ったときに助けてくれるんだ」
「それは良かったな。どんなお姉さん?」
「えーっと、髪が長くて、笑顔がとても優しいの。なんだか......」
陽は首をかしげた。
「なんだか?」
「ママみたいに優しい感じがする」
聡は、ふっと笑った。
陽にとって「ママみたい」は最高の褒め言葉なのだろう。
その夜、麻由にその話を伝えると、画面に文字が浮かんだ。
| 「優しいお姉さんがいて良かったね。陽、きっと嬉しいと思う」
|
| 「名前、聞けたら教えて。気になるの」
なぜか、麻由の言葉にいつもより少し温かみを感じた。




