俺達がこれから駆け落ちする理由
「買い物、これで足りないものないよね」
「これからそれの確認だろ?」
「そうだった。そうだった」
俺が愛するディは上機嫌で自宅ドアを開ける。
ディが自分でドアを開けねばならないのは、この家が庶民向けの五部屋程度しかない二階建てで、使用人などいない彼女だけの家だからだ。
なんとこの家は、まだ十代の彼女が老後のことを考え、自分の稼いだ金で手に入れた彼女の城なのである。
もちろん今の彼女の精いっぱいとして、家が建つ場所は貴族街などではなく庶民区になる。しかし庶民区と言えど、ここは元上級使用人だった裕福な老人が多い治安の良い場所だ。
将来的に地価が上がっても下がることは無い、投資としても最適な場所だろう。
俺の恋人は何て堅実で賢い買い物上手なのだ。
だがしかし、ディの父親は彼女のこの行動に対し、大いに嘆いたそうである。
「普通は十代の若者が無責任に大金を持てば宝石やらドレスやらと無駄に散財するものだ。それを老後の備えに家を買った? なんと夢が無い生き物であろうか」
と。
ディは父親の言いざまに憤慨していたが、俺はディの父親の気持の方が、わかる。
ディには内緒だが。
「どうしたの? 入って」
ディはほんの少し小首を傾げて俺を見上げる。
オレンジ色の花みたいなファイヤを内包した、宝石のスフェーンのような瞳が、俺だけをみつめる。
トストストスと、見えない矢が俺の胸に何本も突き刺さった。
彼女は妖精って呼んでしまいたい繊細でキレイ可愛い顔立ちをしているのに、無頓着にもその大きな瞳で俺を上目づかいで見つめているのだ。
君は普通にない美しいものだというのに。わかってんのか?
そんな風に見つめられたら俺の中の猛獣が騒いで、君を頭から飲み込んでしまいたい衝動に俺が耐えなきゃいけないの!!
「ジェット?」
「あ、うん。どう言うべきか迷ってたんだ。お邪魔します? ただいま? 君と結婚したら俺はここに君と帰るんだよなって思ったらね」
「気が早い。だけどそっか。ジェットは結婚してもこの家を売れとか不要とか言わないで、一緒にここに住んでくれるつもりだったんだ」
「ここは君が手に入れた宝物だろ?」
「そういう所が大好き。おかえり。ジェット」
「ただいま!!」
本気で幼い子供みたいな声が出ちゃったよ。
大好きだってさ、俺を、君が。
俺はディが開けたドアを潜りながら、御礼のように彼女にキス――軽いキスで終わるどころか彼女の唇を塞いでしまった。だが悪いなんて思わない!!
「ん、んん。早く入っちゃって。もう!!」
ディは玄関口でじゃれてくる飼い犬に飼い主がするように、自分を抱き締めてキスを深めるばかりの俺を自分から引き剥がす。
「俺達がアッツアツなの、できる限り周りに見せつける方がいいだろ」
「今のところ、私達を見守る目はありません」
「買い忘れがあったらいいな。お店屋さんだと君はキスを返してくれる」
「お店屋さんでこんなキスをして来たら殴ります。全く。あなたがこんなキス魔だって知ってたら、駆け落ちなんかしなかった」
彼女は憎まれ口を叩きながらも、俺の頬に軽いキスをくれた。
彼女はなんだかんだ言っても優しいのだ、俺に。
だが、俺が愛する彼女は、とっても怖い人にもなれる。
俺がディと呼ぶ彼女の本名は、デイジー・スピネル。
スピネル伯爵家のご令嬢様だ。
スピネル家は歴史ある宮廷貴族で、芸術を語るだけの政治に関わらないお花畑のお貴族家と誰もが認識している。が、その実、裏にえげつない顔を持っている。
スピネル家といえば、代々王族の御庭番衆を務め、国の害となると考えれば王族さえも手にかける、暗殺術に長けた怖い怖い一族なのである。
そこの当主の娘ならば、彼女の戦闘力についてわざわざ語ることもないだろう。
対して俺は、王家の剣と呼ばれるオブシディア伯爵家の嫡男、ジェット・オブシディアだ。王国騎士団長の父を持ち幼い頃から鍛え上げられて来た俺は、今や王太子の側近で護衛(学生の為見習いがつくが)騎士だ。
俺の戦闘力もそれなりだと自負しているが、目の前のディにはどうしても敵わない。惚れた弱みどころか、本当の実力で勝てないのが悲しい所だ。
「ジェット、何日くらい私達は身を隠していればいいかな?」
そう、俺達はこれから世間から身を隠すのだ。
なぜならば、ディが国教であるガルバトリウム教会からの勝手な聖女認定と、政治に関わりたい教会による全く望んでもいない王太子妃推薦が予想されるからだ。
それで俺達は駆け落ちを決行せねばならない、という状況なのだ。
駆け落ちなどすれば伯爵令嬢であるディの評判は地に落ちる。
貴族の娘が醜聞に塗れたとなれば、一生後ろ指を指されるのがこの世界だ。
王太子妃になど絶対になれなくなる。
王太子妃となればこの世の春だろうに、彼女は俺を選んでくれたのだ。
ディに俺が選ばれなかった場合、俺はディを略奪して逃げるだけだけどね。
だが俺は選ばれたのだから、喜んで、ディと手に手を取って逃げるだけだ。
「俺達が愛し合っていると誰もが認めてくれるまでだな」




