父親には娘はいつまでも赤ん坊らしい
殿下の祈願は果たされた。
前の生で私も含め様々な人を不幸に貶めた、ミーシャ・フルールは私によって倒されたからである。これで何の憂いも無くなった殿下は、ディアドラとの結婚のために邁進していくのだろう。
「不機嫌だな。今回の功労者だろう?」
夕食の席で私の向いに座る親父殿が、私に柔らかく微笑む。
ミルクティー色の髪はさらさらと輝き、私に微笑む緑の瞳は木漏れ日を通す若葉のようにきれいだ。
この美貌の男性が、本気で私の生物学上の父親だったとは。
「ディ?」
「いえ、あの。当初ジェットに邪魔されて婚約者候補の人物評価が全くできなかったんです。殿下はそれについて何も言わないどころか楽しんでもいるところもあって。でもそれって、殿下はディアドラとしか結婚したくなくて、それで私の働きを全く期待していなかっただけって思ったら、なんか殿下を罵ってやりたい気持ちが」
「ハハハ。確かに。だが殿下が親の目線で君とジェットの仲の良い姿を楽しんでいたのも事実だろう。仔犬達がじゃれ合っているようで微笑ましいとね」
「親父ど」
「ああ。微笑ましいのは仔犬までだがな」
数秒前と同じ笑みの表情なのになぜ壮絶さが加わった。
私は本来の親父殿の怖さを思い出し、ハハハと乾いた笑いが勝手に口から零れた。
「明日から寮に戻ることになるが、いいか、殿下が張ったあの玉座結界を室内に張ることを忘れないように。あれはとっても良い結界だ」
「お父様。王座に張り巡らす結界をいち伯爵令嬢が張ったら、それこそ問題です」
「だがそうでもしないと、君はあの野獣に襲われるぞ」
「襲いません。ジェットは脳筋ですが紳士です」
「バカな。紳士こそ野獣だというのに」
マイナムは親父殿に何て報告してたの?
どうして急に親父殿はこんな過保護になっちゃったの?
「何が、ディが生む子は命に代えても守ります、だ。お前達はもうそんな仲なのか? 婚約は認めたが肉体交渉は認めておらん!!だがああ、子供ができたならば父親を殺せない。生まれた後に殺すか。そうしよう」
ジェットめ。
何を親父殿に言ってくれちゃったんだろう。
「お父様。ジェットは思ったことを口にしちゃうだけなの。俺はディと結婚するんだな。いつかパパになるんだな。子供は俺が守ります。それだけだから。私はまだバージンです!!」
「女の子がバージンなんて言葉を大声で言うな!!」
常に冷静な親父殿が、声を荒げてテーブルをどんと叩く。
カチャンとテーブル上の食器が音を立てた。
そして親父殿の後ろに立つ執事は、表情は全く変えないが私へ殺気を飛ばした。
親父殿の壊れっぷりをどうにかしろよ、という意思を込めた殺気だ。
ヘイヘイ。仰せの通りに何とかしますよ。
「あの、おとう――」
「ハルム。誰がそんな気を娘に飛ばすことを許可した?」
いつもの親父殿のいつも以上の恐ろしい威圧感。
先程まで私に向けていた親父殿の姿は飾りでした?
「は、ハルムの殺気は私が頼んでいた訓練だから。最近鈍っているから、時々殺気飛ばしてねってお願いしてるの。あのね、行きの馬車で寝コケてしまってマイナムに叱られるってことになったから、これはちゃんとしないとなって」
「オブシディアの腕の中で寝コケていただと!!」
「どうしてそこまで知って」
「事実なのか!!」
「カマかけ尋問するの止めて!!」
「旦那様。ご心配なら明日はディ様を学園にお送りになられてから王城に向かわれてはいかがでしょう。おそらくオブシディアの若君は、必ずディ様の出迎えに出てきますでしょうから」
そこを捕らえろと?
ハルムさん?
「ああ。そうだな。明日はディと一緒に出る事にしよう」
親父殿は怒りを納め、いつもの上品な伯爵様に戻った。
ディナーナイフだと上手く切れないねって、拷問台の上の囚人に囁いていそうないつもの上品な親父殿ってことだ。
ハルムは「借りを返しました」という風に笑みを私に向けたが、明日はジェットの血の雨が降りそうじゃないか、コノヤロウ! である。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
ハルムの声に私はベッドから起き上がる。
今は何時だ?
「着換えも不要だそうです」
「わかった」
私はベッドから飛び降りてそのままハルムの待つ廊下へと出る。
館内は静かすぎる程に静かで、それは深夜だから当たり前かもしれないが、全身の毛が逆立ってしまうような、ピリピリした静けさを感じるのはおかしい。
ハルムに誘導されて親父殿の書斎に入って見れば、館が異常な意味が分かった。
親父殿はカーテンを開け放ち、大窓の前で王都の景色を眺めているのだ。
オレンジ色に燃え盛る炎で彩られた王都を。
「お、親父殿?」
「ディ。見た通りだ。王都が燃えている」
「どうしてこんなになるまで気がつかなかったの!!」
「小鳥もネズミも消えている」
「うそ」
小鳥は囀るから――噂や世論を操作する役割を担う者達を指す。
ネズミは、様々な場所に潜り情報を探る者達。
どちらもそれ程魔力も武力も持たない者達だからこそ、市井の人々の中に混じって平時は一般庶民として暮らしている、スピネルの大事な諜報員。
「全員? 全員が殺されたっていうの? どうして誰も気がつかなかったの?」
「今日は殿下の遠出で誰もの意識が殿下に向いていた。そのせいで、敵は仕掛け放題だったようだ」
「殿下のお忍びが漏れていたの?」
「ディジー。貴人に秘密のお忍びなどありはしないんだよ。表で兵隊を百人動かすか、裏に隠した兵隊を百人動かすか、その違いだ」
「でも、でも、ディアドラ救出は私とジェットが思い立ったからで」
「マイナムがお前達を無理矢理に一晩待たせた。それはお前達が出るタイミングで殿下も飛び出すと分かっていたからだ。だったら、マイナムは殿下が絶対に安全な策を取る。お前との合流だ。お前の絶対防御魔法は絶対だ。それが今回仇になったのだろう」
「うーん。小鳥とネズミはマイナムのせいじゃないなあ」
「じゃあ君がそう言ってやれ。あいつは私に一切答えない」
私はハッとして、私こそ呼びかけていなかった人がいたと声を飛ばす。
ジェットも反応がない!!
「出ます!!」
私こそ慌てた。
ジェットの返信が無いのだ。
マイナムも親父殿に答えない。
それって、危機的状況じゃないか。
何があってもマイナムは親父殿に報告入れるし応えるし、ジェットは何があっても私に応えてくれる人なのだ。
そんな二人が私達に一切応答できない状況ならば、殿下がとっても危機的状況だ。
私は収納魔法から魔導ボードを取り出した。
そして寝間着を脱ぎ棄て、そのまま戦闘用の武装装束を纏う。
「男の前で気軽に服を脱ぐんじゃない!!」
「もう着ちゃいましたから遅いです。命令を、親父殿」
親父殿は私を真っ直ぐに見つめ、無言のまま喉を掻き切る仕草をした。
敵は殲滅せよ、だ。
「親父殿の名に懸けて」
「スピネルじゃないのか」
「親父殿って呼びたいから私はスピネルにいるだけだし」
親父殿は瞬間だけきょとんとしたが、すぐに笑い出した。
ジェットのお父さんみたいに、ワハハって笑い方。
「ぶははっ、お前は本当に」
親父殿は私の頭をそっと撫で、ふわっと柔らかく微笑んだ。
美貌が過ぎる人の笑顔って神様みたいに神々しいものなのに、親父殿の笑顔はなぜか懐かしいとばかり感じる。
それは、私が赤ん坊の時にこの顔を散々に見て来たからなのであろうか。
「危ないことはするんじゃないぞ」
「うん。行ってくる」
手の甲で涙を乱暴に拭うと、私は一番近くの窓から外へと飛び出した。
一刻一秒でも早く、学園に。
殿下を、マイナムを、そしてジェットの無事をはやく確かめなきゃ。




