ごきげんようさようなら
私はたった今知らされた事実に打ちのめされた。
ミーシャの瞳は本来の水色に戻ったが、その瞳にはピンクの花が咲いている。
どうしてか。
私の能力を吸ったから。
魅了魔法を持っている、私の能力を吸ったからだ!!
「私は魅了魔法なんか」
「きれいなオレンジの花を瞳の中でくるくる回しているじゃないか。あのジェット様は完全にお前の虜だ。お前を砂漠で求める水みたいに求めているじゃないか」
「そんな、違う。ジェットは魅了魔法で私を好きになってなんか」
「魅了魔法だ。それを証拠に今のお前の瞳には花なんか無い。私が貰ったから、お前の瞳からご自慢の花が消えているぞ!!」
君の瞳にはオレンジ色の花が咲いている。
その瞳の君に笑って欲しかった。
「違う!!ジェットを魅了なんてしてない!!」
「認めろ!!お前は魔法を使ったんだ。オブシディアを魅了したんだ!!この卑怯者が!!」
違うと言い切りたかった。
だけど、ジェットが私の瞳が好きだと何度も言っていた、その記憶がミーシャの言う通りだと私を責める。
だから、私は全部を捨てたくなった。
すると私の気持に呼応するように、私の体中のあちこち、大事な魔法回路のそこらじゅうで、体内の魔力が飛び出そうとし始めた。私の体のあちこちから、穴を開けてでも、体から逃げ出そうと暴れ出したのだ。
「ぐはっ」
「さああ、お前の全部を呑み込んでやる。安心して。時々はお前の格好になってあの頑ななオブシディアを慰めてあげる」
「させ、させるか」
私があがこうが後の祭り。
何が私こそ奪い取る、だ。
私はミーシャに呑み込まれ、飲み干されようとしていた。
ジェットとの思い出が全て魅了魔法ありきのものだって思い知らされた瞬間に、私の中の光が消えてしまったから。
消えてしまいたいって思ってしまったから。
「それだけ君も俺を愛していたんだな」
「ジェット」
「魅了上等だ。そして忘れているぞ。その女に一度だってレイが魅了されたことは無いってな」
「確かに」
殿下は前の生で一度もミーシャに惹かれなかったのだ。
瞳の中でピンクの花をくるくるさせていた、美少女だったあのミーシャに。
そうだね!!
ジェットの一言が私を一瞬で宥めた。
彼の存在が私を立ち直らせる。
私はミーシャの手首を握り返す。
本当の「万力のような」を教えてやるつもりで。
「あ、ぎゃっ」
「さあ、攻守交代だ」
「な、なにを何を!!」
私はまずミーシャに流れ込んだ自分の魔力を取り戻そうとして。
けれどミーシャの中身を覗いてしまったことで、自分の魔力を引き戻せなかった。
「は、はは。何が攻守交代だ。一気に貰ってやる!!」
私から一気に全てが吸い出され、私がミーシャの中に引き込まれる。
ドロドロの情念のどぶ沼の中に。
その中に埋まっていた大事な少女のよすがに手を突っ込めるぐらいに、深く。
「うぐ、うがああああああああ」
ミーシャは呻き出す。
彼女は私の手首から己の手を剥がそうとするが、私に手首を掴まれている。
さらに私はミーシャの手をもう片方の手で強く押さえつけているのだ。
逃げられないように。
「ああああ、離せ、ああああ」
「全部のみ込むんだろう。さあ、飲めよ。飲み込めるんならなあ」
私は全力で自分のエネルギーと言えるもの全てをミーシャの中に叩き込む。
ついでにミーシャに着換えの服みたいに取り込まれていた人々の影さえも、ミーシャの中に雪崩れ込みながら私は取り込んでいく。
「あぶ、ああああ」
ぼこ。
大きな泡が泥沼で沸き立ったような音がひとつ、聞こえた。
腐った沼を抱えたミーシャの右頬から、テマリサイズの大きな水泡が盛り上がった音だった。
ぼこ。
「ぐぎゃ」
つむじの辺りが割れ、そこからも濁った体液を包んだ水泡が現れる。
ぼこ、ぼこ、と彼女の体こそ水泡のように膨れていく。
「うぎ、うぎゃあ、うああっ」
「奪うだけのお前が私の生き様を奪い切れるものか!!」
「許してえええ」
ピンクの花が咲いてたらしい瞳を持った目玉が顔から飛び出す。
血管が浮き上がった真っ赤な白目の中にある虹彩は、単なる一色の水色に戻り、透明さも失って濁る。
「ぐぎゃっ」
顔面が弾けたのだ。
眼球が言葉通り飛び出し、床に落ちてぐちゃっと潰れた。
鼻腔は中で小爆発が起きたかのようして血と肉片を飛び散らせ、右頬の水泡も破れた。左頬は水泡が出来なかった代りに皮がべりっと音を立てて大きく裂けた。
熟れ過ぎた果実が腐れ割れるようにして。
「ぐぎゃああああああああ」
「さあ、今度は貰うぞ。お前を抜かしたお前が持っていた全部を」
私は今度こそミーシャの中から自分を引き上げた。
彼女の中に沈んでいた全てと一緒に。
私はようやくミーシャから手を剥がす。
ミーシャはその場に、スライムみたいにぐしゃっと潰れた。
今の彼女はかろうじて息はあるだけだ。
ぶよぶよに膨らんでいく肉体に耐え切れずに、皮膚が破れ内臓が飛び出た状態で苦しみに喘ぐ肉塊状態である。
苦しみ悶えて血が混じった吐しゃ物を口から吐き出し、股の間からは肛門から飛び出た腸だけでなく、レバーみたいな血の塊や糞尿のらしき汚物が流れ出ている。
でもまだ生きている。
止めを刺すのは私の役目じゃない。
「お前への引導は殿下に取っておく」
「くっ……殺せ」
私の台詞に応えるように伝言魔法で殺戮命令を下してきたのは、殿下、だった。
彼の声から、彼が必死に吐き気と戦っていることを伺わせた。
「いいんですか? 悲願でしょ」
「私はそれが終わった確認ができればそれで良い。やれ」
「かしこまりました」
と、私は粛々とミーシャの首を足で踏みつぶす。
前の生で私が潰されたのは頭がい骨だったけど、十代の人間の首の骨が折れる音はそれとよく似ているって思った。