末端な立場に胡坐かいてますから
目が覚めたら隣にいたはずのジェットの姿が無い。
どこへ行った?
私は不安ばかりとなって、御者台と客室(と言うべきか? 単なる箱なんだよな)を繋ぐ小さな扉を開けた。
御者台には真っ直ぐな姿勢できれいな後ろ姿の男性の背中が――ジェットがいた。
「ディ。起きたか。もうすぐ着くよ」
振り返りもせずに私に声をかけてきた。
彼は当たり前のように、私の気配を読んでいたようである。
「御者はどうしたの? 何かあったの?」
「寝ぼけて御者台から落ちたから置いて来た」
優しいジェットが落ちた御者を置いて来た?
御者に問題があったのだろうか。
実は私は御者について大して意識を向けていなかった。
馬車に関しては親父殿かマイナムが用意したものに押し込められるだけ、であるので、用意されたそれに乗れと言われれば何も考えずに乗る。そんな習慣なもので、つい。
そういえば、今回はマイナムは殿下にかなり比重を置いていたな。
だとしても、御者が問題ある奴だったのはマイナムの失態というよりも、二重チェックをいつもしない私の失態だ。
「ごめん。一人で対応させて。それで何があったの?」
「言いたくない。それよりも君は大丈夫か?」
何を言っているのだろうと、不思議ばかりだ。
寝過ぎで体が固くなってもいない。
寝すぎ……あっと気がつく。
私は一度車内に引っ込み、全く手つかずの弁当が入った籠を抱える。
それから再び御者台に出て、ジェットの隣に腰かけた。
襲撃があったのだとしたら、ご飯は食べられる時に食べておかねば。
「ご飯まだだったね。よしよし、御者をしている君には私が食べさせてあげよう」
「それは安全なものか?」
私は籠の中に顔を近づけて匂いをくんくんと嗅ぐ。
腐った匂い無し。
「昼からかなり過ぎてるけど、大丈夫。痛んじゃった感じは無いよ」
「――この気温で腐りはしないよ。状態保存魔法くらいかけているだろうし」
「では何が問題だ?」
「君は目覚めなかった。俺は目覚めた時は体が重かった。そしてその弁当は俺達が直接マイナムから手渡され、その後は馬車の隅に置きっぱなしだったよな」
「うん」
「うん。だけか?」
「弁当の扱いはジェットが言った通り。だから、うん」
ジェットは大きく溜息を吐いた後、顔を私に向けて大きく口を開けた。
「どうした?」
「食べさせろ。百聞は一見だ」
意味が分からないと思いながらも、籠の中の色とりどりな食糧の一つにフォークを刺して、ジェットの口に放ってやる。
パクっとフォークの肉を口に入れた彼はしっかりと咀嚼し、なぜか挑む目で私を見つめたまま口の中の肉をごくりと呑み込んだ。
そしてジェットの眉間には深い溝が刻まれた。
「田舎風豚肉のパテ、合わなかった?」
「合わないどころか炭酸入りの辛口の白が欲しくなった。オレンジ風味なんて田舎で絶対に味わえない高級極まる洒落た肉料理が、どうして田舎風なのかと聞きたいくらいだ。あ、」
ジェットは再び大口を開けた。
私は今度はワイン煮込みにしようとフォークで狙う。ワイン煮は二切れしかないと気がつき、すぐに溜息一つ。けれど大きい方をジェットに上げよう。
そんな私の想いの籠った大事な大き目一口サイズの牛肉だったが、ジェットの口の中にあっさりと消えた。
旨いって顔もしないで咀嚼するだけの人に食べられるなんて。
その後は、やはりジェットの眉間がぎゅっと狭まる。
「いつもの美味しいって顔じゃない。本当は好きな味じゃないんじゃないか?」
「旨いよ。死ぬほど旨い。言っちゃなんだが、うちの料理人が作るのよりも断然旨い肉料理だ。くっそ親父の隠し持つあの重いワインを開けたくなった」
「じゃあ、美味しいって顔しなよ。私はこの頬肉の煮込み大好きなのに、大きい方を上げたんだから!!」
「ん」
ジェットは歯を食いしばり、両目をぎゅうと閉じた。
どうしたんだ?
「やばい。ディの優しさが身に染みる」
私は適当なおかずをフォークですくい、それをジェットの口元にくっつける。
あ、嫌がるどころか、瞼も開けずにパクリといった。
するとくわっという感じで両目を開いたじゃないか。
「クッソ。これも旨い。何のゼリー寄せだ。初めての味で素材がわからん!!」
「え、そんな美味しかった?」
私も食べるぞ。
えっとそれはこれだと、急いで同じものをフォークですくい取ろうとして、フォークが止まる。…………さっきは気がつかなかったけど、小さな目がこっちを見ている。これは、私の食わず嫌いなウナギのゼリー寄せだった。
たぶん、ジェットも食わず嫌いだったはず。たった今克服したみたいだけど。
でも、ジェットがあんなに美味しいというならば、美味しいのかな?
私はさっきのジェットのようにして、ぎゅうと両目を瞑り。
パク。
フォークが感じた振動に両目を開ければ、ジェットがそれをぱっくりと咥え込んだその時だった。
私は動けなくなった。
殆ど唇が触れ合うほどにジェットは口元を寄せて、それを齧っているのだ。
ぞくり、とした。
形の良い唇でゼリー寄せを咥え、ちらっと彼の舌が見えたところも。
視線を落とした目元が長い銀色の睫毛で影が出来ている様子も。
いつものジェットと違うように見えたのだ。
ほんとうに、きれいな、ひと。
「悪いな、毒見しているんだ。俺が一通り喰ってからにしてくれ」
「う、うちの料理人は、何があっても料理に毒なんか入れない」
「信用は分かるが」
「入れない。毒なんか入れたら味が変わる。食べられないものになる。料理人は職人で芸術家だ。職人は矜持を大事にするし、芸術家は自分が作った傑作を壊すようなことはしない。だから絶対ない。最高の料理人は殺したくなった人間の名前を呟くだけでいい。スピネルの誰かが動く。毒なんか仕込むまでもない」
「芸術家云々よりも、最後のそれが一番説得力あるな」
「む。自分で言っといでだけど、ジェッドはスピネルを何だと」
「ハハハ。何だろうな。毒蛇の巣かもしれないって、今回初めて思ったよ。赤子だって邪魔だと思えば簡単に殺してしまう毒蛇の巣だ」
「消えた御者はスピネルの誰かの子供を殺していたのか?」
「ああ。伯爵の子供を殺したと言っていた」
「親父殿の? 許せないな。誰の命だって言っていた?」
「子殺しは自分の判断のような感じだったな。伯爵の腹違いの兄だと言っていた。そうは見えないし思えないんだけど、スピネルだしな。君は伯爵の兄について知っているか?」
「知らない。マイナムに聞けばわかるかも」
ジェットは表情の抜け落ちた顔を私に数秒見せてから、空を見上げた。
その数秒で空には飽きたのか、再び私に顔を向ける。その顔は、子供が適当に書いた絵みたいな顔つきだった。
「何でわかないの?」
「私この間まで末端の兵隊よ?」
「いや。末端だったら尚更普通に指令系統熟知するだろ。誰が誰派とか派閥知らなきゃ危険でしょ」
「親父殿が親父殿の命令しか聞くなって言うし」
「そうか。毒見続けるぞ。ほら、あ~んだ」
ジェットは付き合い長いせいか、色々と私に対してザルであるようだ。
マイナムみたいに色々くどくどされるのも嫌だけど、あ~んて。
毒見なんて言い張るけど、私だって弁当食べたい。




