キスとジェットの唇と
騒ぐ私を黙らせるためなのか、私はジェットにキスされた。
猫を持ち上げるような、脇の下に手を突っ込まれて持ち上げられている、という恰好のつかないどころか逃げ場も無い私に、彼はムチュッとして来たのだ。
挨拶とかでなく、婚約者だったらするキスだって、以前にジェットが言ったやつ。
あの時よりも軽くてすぐに終わったキスだったけど、私の舌先はジェットの舌先を瞬間的でもちゃんと感じてた。
でもってやっぱり、気持悪いって感じるどころか、雷に打たれちゃった感じ。
呆然とするばかりの私は、すとんと下へと置き直される。
「気持ち悪かったよな。すまない」
「いや、そんな。だってこれは婚約者とか恋人だったら」
恋人だったら?
私は爪先立ってずずいと身を乗り出してジェットを見上げ、たった今自分の唇に触れたばかりのジェットの唇を見つめる。
「ディ?」
私の名を唱えるジェットの唇。
私が恋人だからキスをしてくる唇。
私が婚約者じゃ無かったら、私以外の婚約者とキスすることになる唇。
なんか、メキって頭の中の何処かで何かが壊れた様な音がした。
なんか気分悪い。
吐き気とかの気分悪いじゃなくて、ギルドの酒場で喧嘩売りたくなる気分悪い。
苛立った? 私。
「ディ?」
ジェットから逸れてた視線を再びジェットに戻したそこで、私はひゅっと息をのむ。何処かが壊れたらしい私の脳みそが、ドレス姿の女の子達に囲まれるジェット、という記憶の中の風景を今のジェットに勝手に重ねたのだ。
ただし、あの時のジェットは女の子達に躾をしてただけだけど、その時の記憶映像とは登場人物同じなのに配置と演出が全く違うものである。ジェットと女の子は仲良さそうに微笑み合い、私の見ているその前で、唇をくっつけ合わそうと互いに傾け合う。
「それダメじゃん」
「ディ?」
私はジェットの襟元を掴んで引き寄せ、彼の唇に自分の唇を重ねていた。
なんかこれ大事って思ったから。
私はジェットをパッと放し、顔だってすぐに離して、ごめん、と謝る。
「無理しなくても」
「無理とかじゃない。なんか、ジェットとずっと一緒だったら結婚するよりも友達のままのが良いって思ってもいたけど、それぜんぜん間違ってたみたいで。だから、ごめんっていうか」
「ディ?」
「ジェットが他の人と婚約とか恋人とかの話になったら、その人とキスするんだよね。それは、何か、ダメじゃんと急に思ったら、だから、ごめん」
「……何がごめんか教えてくれるか? 俺は頭が悪いみたいだ」
「えっと」
どうしてだ。
説明しようとジェットをしっかり見つめ返しただけなのに、なんだかジェットが希望に満ち満ちた瞳で、ものすっごく良い顔をしてる。キラキラ光って眩い。
「わかれよ」
「わかるか」
「付き合い長いじゃん」
「付き合い長いからこそ分かんねえよ」
私達は間抜けに顔を見合わせ、同時にぷっと吹き出した。
何を言ってんだろう、私は。
ジェットこそ、こいつは何を言い出したのか、だろう。
「行こう。道々、もうちょっとうまく伝えられる言葉がわかったら言う」
「今からじゃ確実に野宿一泊だぞ」
「そんなの――うん、私とだったら問題ない」
「ハハ。何を言ってんだか。じゃあ、行くか。で、足はなんだ?」
私は先に取り出していた陸上用ボードをジェットに手渡す。
板の下に風属性魔法による空気の循環が起こり、それでニ十センチか三十センチほど浮かんだようにして前に進むものだと説明する。
「ではこれって浮かぶけど飛び立つって奴じゃないのか。もしかして速度上げれば壁を走ったりできるか?」
「スピードとバランスさえ取れれば可能、だと思う。私は地面を浮いて走るしかしてないから、それがホントにできるとは言えない」
「検証しよう。で、速さは?」
「馬の最高速度ぐらい?」
「けど、馬みたいに途中休憩なしか?」
「私達の体力勝負?」
「フェブリー修道院だったら一泊もかからないか。よし、行こう」
「行かすか、馬鹿ども。婚約破棄の話合いからどうしたら仲良く家出になるんだよ。お前等消えたら、話し合い推奨した俺の立場無くなるんですけど?」
私とジェットは同じ仕草で振り返り、なんか台無しにしてきたマイナムに顔をしかめて見せつけた。




