貧乏くじ男と鬼ごっこしたなと思い出す
二限目の魔法学の講師は、グラッファード・アシュトン、だった。
北方の名もなき男爵家の四男として生まれたことが、彼の人生の不幸だと思う。
彼は身分が低く実家の財力がないことで、誰もが認める類まれなる魔術の才能があったというのに、王宮魔導士の選出から外されたのだ。
王宮魔導士の職は、高位貴族の名誉職に成り下がっている。
彼らは下級貴族が自分達を見下ろすどころか肩を並べる立場になるなんて絶対に許せないのだ。
よって彼が王宮魔導士に選出される可能性など無い、ということだ。
それどころか彼を王宮魔導士よりの推薦として、騎士団と名がつくだけの魔物を討伐するだけの兵団に彼を落とし込んだのである。
彼が追いやられた兵団名は、第四騎士団。
魔獣の知らせがあれば国内のどこにでも派兵される、魔物の害に脅える平民の間では救世主に近いが、貴族連中及び正規兵や騎士達には害獣駆除専門業者として下に見られている。
だからか、彼等への援軍を出すどころか補給が滞ることがよくある。本気で民を守りたいのかと、騎士団を束ねる騎士団長様を責めたいが、第四騎士団だけはジェットのお父様の管轄ではない。
環境省の直接の持ち物なのだ。
自領に侵入してきた魔獣を(自費の負担なく)処理してくれるところが欲しいな、という高位貴族の願いで作られたのが第四騎士団なのである。
勝手に第四とつけるなと、ジェットもジェットのお父様も怒っている。
一般人は第四騎士団が環境省の所属なんて知らないため、魔獣討伐による非難や苦情が、なぜかジェットの親父さんの騎士団に行くらしい。
それを見越してのネーミングならば、本当に腐っている。
腐っているからこそ、自分の自慢の息子達が敵わなかった才能の持ち主、目障りな貧乏貴族のアシュトンを処分するには第四騎士団は良い場所だと思ったのだろう。だがアシュトンは死ぬどころか、行く先々で功績をあげるばかりだ。
それで彼らは情報を統制した。
国内でアシュトンの偉業を一切聞かないのは、彼の名が広まらないように環境省が手を回しているからというから世界おかしい。
アシュトンが有名になれば彼の発言力が強くなってしまう、というみみっちいことを上級貴族のジジイ達が考えてのその処遇だそうだ。親父殿が教えてくれた所によると。
つまりアシュトンは生まれの身分が低いがために、使い勝手の良い駒として使い回されているだけという哀れな人なのである。
そんな彼を私がなぜ知っているかと言えば、殿下の影になるための試練として、私もアシュトンが従軍する地に赴任した事があるのだ。
私の仕事は情報集め。
当時は某国が魔獣を操って国境線を越えようとしていたので、私は敵陣営に潜って敵の内情を持って帰るという試練を与えられたのだ。
自軍他軍と、情報集めにスパイ探索とヒョコヒョコ動いていた私。本来ならば王宮魔導士として将来展望なはずの目敏すぎる魔法兵が、そんな奇妙な子供に疑問を抱かないはずはない。
それに、魔法で変装してようが見破っちゃったりできる相手がそこに居るって、私は誰にも教えて貰っていなかった。私は当時八歳だ。そんな子供が見つかっちゃうのは当たり前だし、それで親父殿に怒られる筋は無いと今でも思う。
ほんっとに、あれは大変な鬼ごっこだったなあと、ぼそぼそ教科書を読み始めたアシュトンを私は遠い目で見つめてしまった。
まだ二十八歳と若い癖に、あの頃よりもさらに老けて疲れ切っている。
せっかくの整った顔に不機嫌そうな表情を常に貼り付けているせいで、眉間に皺は深く刻まれ、本来の年齢よりも五歳は確実に老けて見える。藍色の長い髪は若い癖に白髪交じり。梳いてもいないのか、艶も無くぼさぼさじゃないか。
「余裕だな。君一人ペンが動いていないぞ。スピネル」
教壇の真ん前なので、アシュトンの蔑んだ視線がもろに刺さった。
流氷が流れてそうな海色の瞳は、それはもう冷たい。
仕事だろうが、いや、仕事だからこそ、ロワークラスの先生をしてるのは嫌だろうな。教科書を読むだけのお仕事なんだもの。
「スピネル? 何か言いたいことがあるのか?」
「ええと、悲しさで一杯でした。せっかくの先生の授業ならば、もっと楽しいかなって思たのですけれど」
「皮肉かな。だが、君を見て私も良いことを思いついた。魔力を上げるのはまず体力だっていうね。校庭を時間いっぱい走り込んでみようか」
「もちろん先生も走るんですよね」
私達は目線を合わせ、互にニヤリと笑みを作る。
あの日のお前は逃げ切ったが今回は逃げ切れないぞと私に思わせるぐらいに、アシュトンの笑みは凄絶だ。眼は笑っていない。
「走るのは君だけだよ。身体強化無し。頑張っておいで。授業を邪魔したペナルティーだ」
「かしこまりました。教官」
私はアシュトンに軽く第四騎士団の敬礼をして見せた。
アシュトンは嫌そうに口の端をほんのちょっと歪める。
後は、鞄を抱えてすごすごと教室を出て行くだけ。途中ディアドラ以外のクラス全員から、ざまあみろと嘲りの視線ばかりを貰ったが後悔はしていない。
口述筆記するよりも走る方が好きだもの。
でも、一体いつアシュトンがこっちに移動になったんだろう。殿下を迎えるにあたって、物凄い勢いで講師陣の選出や身元確認とかやったんだから、簡単に人事を動かせるはず無いのになあ。
私はとりあえず伝言魔法をマイナムに送った。
彼は私の代りに現在殿下の身辺警護をしているが、スピネルでは親父殿の次の跡継ぎと目されているため、私に降りてくる情報以上のものを持っている。




