最愛を喪ったその状況は
私はしっかりとした背もたれのある椅子に背を預け、両手で顔を覆って脳裏に閃く映像に集中している。
この映像はジェットの展開する百鬼眼スキルそのままのものだ。
すごいな。
人間の視界をはるかに超えた映像の情報量は、私の小さな脳を荒波の中の小舟のように揺らしてくる。昨夜から何度か受け取る練習をしているが、何ごとも無いようになど振舞えない。脳みそは全てジェットが送って来る情報を分析する事にだけ集中しているのか、己の体を保つ事まで余力が回らない。今の私は、まるで絶望にのけぞっているかのような姿勢で背もたれのある椅子に沈みこむしかない。
だが、と、私は借り物の視界の中で目を凝らす。
あの女を見つけなければ、と。
あの女、ミーシャ・フルール。
あいつは回復魔法に秀でていただけでなく、ディが持つ聖女スキルとも呼ばれる魔法をも備えていた。絶対防御魔法は、我が国の王妃が必ず持っているものだ。我が国の王が異端の秘術の黄金の輪廻を魂に刻まれるのと同じに、王太子妃になった時点でサンクトゥスオームを刻まれるのである。
王が黄金の輪廻を受け継ぐのは、国の内政あるいは外政の失敗で国民を不幸に貶めてしまった時に、過去に戻って国を救うやり直しができるようにだ。
王妃がサンクトゥスオームを受け継ぐのは、やり直せる力を持つ王を死なせる訳にはいかないからだ。
そしてそれは一握りの人間しか知らない。
よって何も知らない国民達が、聖女スキルを持つ美少女が国母になるために生まれて来たと勘違いしたのだ。
彼女は王権の力を削ぎたい有力貴族や教会の後ろ立てさえ手に入れて、聖女という肩書で私に結婚を迫ったのである。
私が断れるはずはない。
絶対防御魔法など、敵には脅威になる魔法である。
そんな魔法の持ち主を野望を持つ有力貴族に囲まれたのだから、もう私は詰んでいた。あいつらの主張を撥ね退ければ、簡単にクーデターぐらい起こしただろう。
絶対防御魔法によって己が負けなしと思い込めば、そんな軍事行動など簡単に引き起こせるものなのだ。
私は当時でも王太子だった。
私は自分の気持よりも、国益を一番に考えねばならないのだ。
ならばその女の希望が私の伴侶になることならば、その女との婚約がどんなに嫌だろうが私は拒む事など出来やしない。
その時点で私には、心を捧げてしまった女性、ディアドラがいたのであるが。
ディアドラと私は相思相愛だった。
だが、互いに結ばれることは無いと諦めてはいたのだ。
私達が望むのは、互いの成功と幸せだけだった。
ディアドラは私が理想の王になることを望み、私はディアドラが王宮の文官となり立身出世する未来を望んだ。
そうだ。
我らは恋人として結ばれる未来を決して望んでもいなかったというのに、あれは私に愛されるディアドラを妬んで殺したのだ。
ディアドラの最期を思い出し、私の中で常にくすぶる憎悪の炎が燃え上がる。
だって許せないだろう。
私の不在を狙い、ディアドラは牢に放り込まれた。
罪名は私に惚れ薬を飲ませ、私を奴隷化しようとした、というふざけたものだ。
私がどこまでも正気であると知っていたはずのジェットまでが信じ、彼によって文官見習いとして寮にいたディアドラは寮から引き出され、政治犯を収監する檻に放り込まれてしまったのだ。
そして誰もディアドラを庇う事ができなかったのは、いや、同僚は彼女の有能さを妬み、影で彼女を貶める噂を流していた奴らだったな。
またディアドラこそ過去に犯罪を犯していた。
それでジェットが悪い噂とその過去の罪を元に、あの女の戯言を信じたのだろう。
罪と言っても、貴族の家名を隠して平民として奨学金特待生となったという、その程度のものであったのだがな。そもそもディアドラが身分詐称をせねばならなかったのは、全て彼女の父親のせいであるというのに。
あの男は、己の無能さを隠すために善人を偽り、家の金を慈善という名のもとにそこいらじゅうにばら撒いて散財していた唾棄すべき人物だ。
妻と子が飢え死に寸前だろうが、他人に感謝されるその快感を求めただけの屑だ。
ディアドラは困窮に喘ぐ家族を助けるために文官の道を選び、だが学費を出せない家のために平民だと偽って奨学金特待生特待生になるしか無かっただけなのだ。
これが犯罪か?
確かに法上では犯罪行為だが、では、その犯罪行為を促す要因でしかない彼女の父は何だというのだ?
責められるべきは、そんな屑を子爵のままにしていた王家じゃないのか?
王家は貴族を統率管理する者だろう?
そうだ。
愛したあの日から、私こそが無理矢理にでも彼女の身の上を助ければ良かったのだ。どんなに彼女に、余計な事をしないで欲しい、と懇願されたとしても。
ディアドラは私が理想の王になることがただ唯一の夢だった。
だから。
だから、私の名を汚す存在となったと思い込んだ瞬間、ディアドラはあの可愛い舌を噛み切ったのだ。
ディアドラは、己の幸せなど一度も考えた事も無い哀れな少女だったというのに。
困窮に喘ぐ母と弟妹の糊口をしのぐためだけに文官を目指し、視力を失いかけようが勉学に励み、金をせがまれれば己の髪を売ってまで金を作った。
私が贈った安物のブローチを売れば良かったのに。
私からいくらでも金をせびれば良かっただろうに、私からの金を決して受け取らなかった。
私からの気持は、一生の宝物だからと。
ジェットはそんな健気なだけの彼女を、己の思い込みと己の絶対な正義感の元に、断罪して殺してしまったのだ。




