信じて欲しい
朦朧とする意識の中、俺の心は沸き立っていた。
下卑た犯罪者に痛めつけられるだけの弱き俺に、誰よりも強い正義の使者が助けに駆け付けてくれたのだ。ディの目的はレイの救助と保護で俺などオマケ程度だろうが、ディは俺の無事に良かったと微笑んでくれた。
いい男だと褒めてもくれたのだ。
嬉しさばかりいっぱいで、このまま死んでもいいくらいに幸せになった。
けれど、ディは俺の知らない一面も持っていた。
レイが自分のせいだと嘆く、人を殺せる影となってしまった一面だ。
俺が意識を取り戻した時には全ては終わっていたようだが、ディの勇姿を見れなかった俺の為にディはショーの一つを用意してくれてもいた。
「許して、許してくださいいい。助けて、たすけてえええええ」
情けない男の悲鳴と、恐怖による失禁の悪臭が当たりに漂う。
俺はさらに瞼を必死に開く。
俺を殴り鞭打ちした男は、己の鞭によって両手を縛られて天井から吊るされていた。まるで解体を待つ家畜のようにして。だけど、わざわざ大柄な男を天井からぶら下げるなんて、無意味で無駄な労力じゃ無いかと思う。
「許すわけないじゃない。私の大事な殿下とジェットを泣かせたんだ」
ありがとう。
俺も君の大事に入れてくれて。
「さあ、ジェット。こいつを解体するぞ。どこから肉をそぐか決めてくれ」
「かいたい? 肉をそぐ?」
「こんな豚野郎はミンチにして当たり前だ。だが安心しろ。削いだ肉はちゃんと燻してから、こいつに喰わせる」
「え?」
「いやああああ。許してえええくださいいいいい」
素に俺は驚き呆けるしかなかった。ディが狂った肉屋になっている。俺は助けを求めるように、俺の傍らに座り込んでいる殿下へと視線をむける。
レイは無情にも、大怪我人の俺に殺気を込めた睨みを返した。ぜったいの絶対に自分にその役割を振るなよ。そういう目だった。
あんなに俺に縋っての大雨状態だったくせに。
「ほら、ジェット。はやく決めて!!こいつ臭いんだよ!!」
「え?」
「まさか許してやるなんて言うわけ無いよね。私がせっかく、せっかく、ここまで仕立てたんだ。こいつを許すなんて言わないよね。ジェットをこんなボロボロにした奴を許す言わないよね。ちゃんとジェットが受けた傷の分、こいつを切り刻んでやるから私に言って。私は、ジェットがそんなになるまで駆け付けてやれなかった。助けてやれなかった。せめてちゃんと復讐ぐらいさせて!!」
俺は笑い出しそうだった。
ディは俺を助けられなかった自分に憤慨しているのだ。
お前、俺の事そんなに大事なんだな。
「ジェット。泣いているの? 痛いの?」
「俺はお前の笑顔で、もうどうでもよくなったから」
ぽとり。
ディこそ涙を零した。
するとディはすぐに悔しそうに歯を喰い占め、くるっと身を翻して俺から背を向けた。そしてそのまま、ディは可哀想な死刑囚に向かって行ったのだ。
ディの両手には、半月みたいな形をした不思議なナイフが握られている。
ディはまるで風の妖精が舞うように、ふわっと回転しながら、男の腕を情け容赦なく切り落としたのだ。
「うぎゃああああああああ」
一瞬にて男の両腕は肩口から切断され、芋虫となった男の上で、残された腕たちがゆーらゆーらと揺れている。
真っ黒で、棒切れのような腕が、ユーラユーラと。
おかしい。
あの日のあの男の腕は太くて、いいハムができそうな肉感質のものだったはずだ。
あんな消し炭みたいになった腕は、そうだ、獄炎で焚き付けとなった俺の腕じゃないか。
これは、死ぬ前に見る夢だったのか?
俺は死んで――ああかまわない。
ディは女の子だった。
彼女が女性であったと受け入れたそこで、レイがあそこまでディを影に落とした自分を嘆いた理由について、俺はすんなりと理解できたのだ。
理解などしたくなかった。
あの日のレイの嘆きは、レイこそディを愛していたからだろう、なんて。
影のままでは愛人に出来ても、愛する人を側室にも正妃にできやしない。
ディは聖女となれるほどのスキル持ちな上に、誰よりも可愛らしい姿をしているのだ。彼女を知って彼女を愛さない男など、世界中探したっていないだろう。
ああ、俺がディが男であると固執した理由がよくわかった。
ディが男ならば、俺はディを俺だけの人として愛し続けていられる。
だが、ディが女であれば、彼女はレイのものだ。
惚れた女を親友だろうと誰とも俺は共有などしたくはない。
俺だけを愛して欲しいのだ。
「ディ。でももう思い残すことは無いよ」
君は俺を選んでくれた。
俺と一緒に滅ぶことを選んでくれたのだ。
ディは俺の為に、命と引き換えになる伝説の完全防御魔法を展開したのだ。
「ああ、ディ」
瞼を瞑れば、ディの笑顔を思い浮かべられる。
その映像が裸のディであることぐらい許してくれ。
それよりも俺を褒めるべきだ。
小さいかもしれないがツンとした綺麗な形の乳房を晒して、俺にギリギリの我慢を強いたのだ。俺でなければ襲われていたぞ。いや、俺じゃ無ければ君は肌を晒そうとはしなかった、よな。
俺じゃ無ければ?
レイは女だと知っていた。
けれどディはレイとそんな関係になった事など無い。
「あいつは俺を愛していた? ああ、神様!!」
抑えきれない歓喜に、俺は無意識に両手で顔を覆ってた。
え? 顔を?
俺は瞼を開け、自分が動かした自分の両手を見る。
綺麗な、傷一つない手がそこにある。
あの日の鞭による長袖を脱げなくなった傷跡さえも消えた。けれど俺の鍛錬の証でもある筋肉はちゃんとある。俺の両腕が俺の目の前に、ある。
もう俺は死んでいたのか?
だが瞼をしっかり開けた俺の視界が捉えるのは、俺が飛び込んだ五十三階のなれの果てとなった世界だ。幾年月を経て廃墟となった洞窟内の神殿、それがさらに俺の獄炎によって破壊されてどこもかしこも黒く煤けている風景なのである。
ダンジョンで死んだ魂はダンジョンに残るのか?
俺は起き上がろうと身を起こしかけ、胸元辺りに何かが絡まっている、と目線をその何かに動かす。
なんと、大好きな人の手が後ろから俺にしがみ付いていたではないか。
「ああ、ちくしょう。歴史書通りの聖女ならば、全回復魔法だって持っているじゃないか。俺が生きてるなら、俺の為に君は死んだというのか!!」
俺はディの右手を掴んで自分から外し、次に左手も外す。
死んでしまった彼女が腐り切って骨になるまでしがみ付かせたままにしておきたいが、このままでは大事な彼女を俺の体重で潰してしまう。
俺は彼女の両手から自由になると、勢いよく俺の下敷きとなっていた彼女へと向き直る。
神様は残酷だ。
可愛い寝顔にしか見えないじゃないか。
頬を突けば起きてしまうだろうって期待してしまうほどに、ディは死にたてほやほやだった。どこもかしこも生気がまだまだ残っている。
「ああ、こんなにもかわいい。突けば起きて俺に突くなって叱って来るほどに、こんなにも眠っているようにしか見えないなんて」
俺はディのほっぺを突く代わりに、ディの胸元に顔を埋めた。
これは自然な行為で、別にディの胸を最後に堪能したかったわけでは絶対に無い。
冷静を装って理由を付けて揉んでしまった事は一生誰にも秘密だが、今の行為は純然たる悲しみによる無意識だ。
「だから、目が覚めても起こるなよ。――ちくしょう。生きてるよ。ああ、ちくしょう。神様ありがとう。ディが生きているよ!!」
俺はディの胸で泣いた。
彼女のしっかりとした鼓動をずっとずっと聞いていたいから、もう彼女の胸から顔を上げられなくなったのだ。
断じて、厭らしい気持ちからではない。
次からディ視点に戻ります




