告白しよう、僕は罪を犯した
ディに体術や戦い方を鍛えて貰うようになってから一年くらい。
その間に俺は剣術にも本気で取り組んでいた。これだと思った剣豪に騎士家の三男のジェイクとして弟子入りし、体が青あざ塗れになるほどの鍛錬を受ける毎日を過ごしていた。
父はそんな俺を止めるどころか応援してくれたが、息子への過保護な所は抑えられなかったようである。俺の行く先々に、父が配した護衛の目が光っていたのだ。
父は俺一人で道場に通わせるはずなど無く、俺に気付かれないように私兵を一般市民に扮装させて俺を警護させていたのである。ついでに、同じ道場に通う騎士見習い達に俺の道場での様子についての報告までさせていたのだ。
そこまでされると、父が俺に広げる愛の翼を引きちぎりたくなる。
さて、こんな父の動きを察知できたのはディのお陰だ。
ディに教えてもらった気配察知で、人のおかしな動きや配置まで見えて確認できるようになったのだ。俺はディに感謝と一緒に自分のスキルの有用性を伝えたら、なぜか口を聞いてくれなくなった。ここ一週間はディから何の手ほどきも受けられなくなっている。
レイにそのことを伝えたら、彼はディを窘めてくれるどころか、吹き出して笑って俺の肩をポンポンと叩いただけであった。
けれどディの目を盗んで俺を引き寄せ、二人だけで動きたい、と囁いたのだ。
そうして、今日は殿下との約束の日。
三日後に港祭りがあるからか、王都は祭りの準備でざわついている。
俺はもちろんいつもの道場に通う時のジェイクの格好で、殿下は俺の弟に見える俺と同じような格好をして俺の横を歩いていた。
レイは護衛を付けていなかった。
俺だっても我が家の私兵を撒いた。
まさかレイのお望みが、本当に彼と俺だけという子供二人だけのお忍びとは。
俺は稽古用の剣ではなく、レイに渡された刃渡りが肘下の長さ程度の真剣を腰のベルトに差している。そして俺は、二人だけ、という状況の為に最大限の警戒のため、常に自分のスキルを展開している。
目で見てもいないのに、周囲の人が影絵となって見えたり、単なる地図の上で光る点として見えたりと、俺の意思によって切り替えられるスキルだ。
ディが俺と会話してくれなくなったのは、レイが言うには、俺のこれがディの気配察知スキルよりもずっと高度な索敵スキルだかららしい。
ディを悔しがらせられたなんて、純粋に嬉しい。
それにしても、レイは魔法やスキルについて詳しく知っている。
それは彼が人を使役する立場だからだろうか。
俺は横を歩くレイの顔に視線を動かす。
レイは王城を離れるごとに表情は硬く言葉が少なくなっていき、今はもう完全に黙り込んでいる。
「どうしてディも置いて来たのですか? いや、今日があいつの公休日でしたっけ? 影に公休日があるのも不思議ですが」
うちも使用人達の勤務体系を見直さなければな、と考える。
あの小間使い達は結局は我が家の鬼軍曹、女中頭のメアリー・ジュネによって躾け直されることで次々と辞職していった。自主退職でしかなく、事前に女中頭が指導を入れていた事で、小間使い達の実家も女中頭本人の評判を落とすことは無かった。平和的な解決であったといえよう。
姉はこんな陰険な方法を誰に教えてもらったのだろうか。
尋ねて自分だと答えられたら己の姉像が完全に壊れるからと、俺は何も姉に尋ねていない。そんな姉は本気で己の道を進んでいる。
最近はメアリー・ジュネをモデルにした「とある女中は見た」というミステリー本を匿名で出版して王都の人気作家になってしまった。メアリー・ジュネこそ姉の信奉者だったそうで、自分の半自伝本の出版を快く許可どころか、あの無駄話を一切しない強面の人が己の半生をぺちゃくちゃ姉に語ったというのだから信じられない。
そして作家として成功した姉だが、彼女の夢は社会派ミステリー作家ではなく素晴らしき恋愛小説を書く事、らしい。だからといって俺と殿下とのことを(?)、涎をたらさんばかりにして(!?)聞き耳を立てるのはどうにかして欲しい。
俺はディについては絶対に姉に語るものかと心に決めている。
「僕が罪を犯した現場はもうすぐだよ」
俺はレイの呟きに物思いから覚めた。
レイはいつもの余裕の顔ではなく、思いつめた顔つきで真っ直ぐに古ぼけた建物を見つめている。
小さな教会の建物は古ぼけているが修繕もされていて、奥に見える簡素だが寮のような大き目の建物は建て直されたばかりのようにも見える。
「どこが罪ですか? 寄進の少ない教会と孤児院を再建されたならば、あなたの誉れでしょうに」
「君はまだ甘いな。罪があるから人は取り繕うんだ」
「その思い悩まれる罪とは何でしょうか」
「己を過信し、驕り高ぶった罪だ。人の尊厳を無視して運命を捻じ曲げたという、許されざる罪だよ」
レイは、ご覧あれ、という風に手の平を上に向けた。遠近法で遠くの孤児院が彼のその手の平に乗って見え、俺はレイの言葉の続きを聞くのが怖くなった。
ディこそ孤児で孤児院育ちなのだ。
「レイ」
「僕は間違えた。本来は崇められて守られるべき人間を、人殺しの道に堕としてしまった。多分僕は過去を見たふりでいる狂人なのだろう。過去に存在した許されざる咎人、処分しなければいけないその者を炙り出し、二度と正道を歩けないようにこの世から名前も存在も消して己の影に仕立てたというのに。ハハハ、顔を見てみればその子は僕が知っている過去のどの時点でもいない子だった。――僕は間違えたんだ。間違って未来ある人の人生を潰してしまったんだ」
俺はレイが罪の告白に俺だけを連れ出した事の理由を知った。
レイは彼が言う「過去」で見た人間を処断するつもりで、人違いでディを御庭番にしてしまったと嘆いているのだ。
影となった人間は、二度と表舞台に出られないから。
才能豊かなディなのに、彼はどんな手柄を上げても誰にも称賛されたり歴史に残ったりできないのだ。
それはなんて罪深き事だろう。
だが、本当に表舞台に戻ることは難しいのか?
「レイ。彼ほどの人間、いくらだって表に出られます。戦で兵として武勲を上げれば、あるいは冒険者として名を上げれば、いくらだって身の上を立てられます」
「彼? え?」
レイは俺に振り返り、しばしきょとんとした顔をした。
初めて俺はレイを可愛いと感じた。
だって今の顔は子供の表情そのままだったのだ。
ただし彼は、その後すぐに表情を変えた。
それはいつもの百戦錬磨な老獪ジジイにしか見えない笑み、いや、子供が作るには狂気じみた笑みだった。
神の名のもとに凶刃を振るえる狂信者のような笑み、だ。
「彼。そうか、彼、なのか。君にはディは彼。いや、周囲にも彼であれば。ああ、やり直せる。やり直せるな。この方法ならば、僕が奪ったディの人生を取り戻してやることができるんだ!!」
「殿下?」




