私が君の特攻など見逃すと思うな
ジェットは独善的な男だ。
伯爵家の次期当主としてだけでなく、王国を守る騎士となるべく育て上げられたからだからだろう。
けれど、騎士ならば忠誠は王族へ捧げるものだ。
私のような平民風情に固執するべきものじゃない。
良いか、平民は己の命こそ一番大事な生き物だ。
私は五十三階の入り口を見つめる。
私達の向かう先だからだ。
ジェットがどうやら決めてしまったことによると。
勝手に私達の進む道を決定し、私の動き方まで決めるとは。
それも、脳筋らしく大雑把すぎる命令だ。
私はまずは階段口で待機。
ジェットが獄炎を放った後は、炎が収まる寸前にフロアを駆け抜けろ。
そして今、ジェットは五十三階のフロアへの入り口前に立っている。
彼は己の毒の息で黒い塵塗れとなっている魔物を睨んでいた。
別に憎々しいからではなく、純粋に目を凝らして観察しているだけである。
魔法の詠唱短縮はしているが、実際にフロアに飛び込んで魔法を放つまでには数秒ぐらいのラグタイムがある。その間に瞬殺されては意味がない。だから彼は魔物の動きを読んで、飛び込むには良いタイミングを計っているのだ。
ドラゴンにしては動きが単調で、だがドラゴンにしては始終行ったり来たりとせわしく動いている。行動は読みやすいが、それは猛毒ブレスという武器があるからだろうか。
あんなドラゴン如き。私に倒せる力がないばかりにジェットが!!
私はこれこそ最後のあがきだと思いながら、ジェットの右肩に触れた。
それだけじゃなく、彼に抱き着いていた。
右腕に縋りつくようにして。
ああ、彼が私を抱きしめたがった気持ちがわかった。
最後だと思って触れた途端に、手の平に感じた温もりが例えようもなく尊いものに感じるのだ。二度と手にできないと思えば、必死にしがみ付きたくなる。
「ディ」
「一緒に出よう。爆炎の時みたく、倒れたあなたを私が抱いて走るよ」
「無理だな。獄炎を呼び出したそこで、俺の体は焚き付けの薪になる」
「バカ野郎。禁止だ。中止だ。それじゃ万が一の可能性も無かったじゃないか!!」
「制御できなかった場合だ。安全策なだけだ。魔力枯渇で倒れた俺を頼むな」
頼むと言われたら、獄炎の中止をもう言えない。
これ以上言えばジェットを侮るも同じである。
例えジェットこそ自分が消し炭になる未来しかないと考えていようが、彼がそちらの未来こそ万が一と言い張るならば、私は否と言えない。
だけど!!
「嫌だよ。万が一でも、あなたが傷つくのも死ぬのも嫌だ。ねえ、道を戻ろうよ」
「すまない。俺はディが確実に生きる道を選びたい。それが矜持だ」
「そんな矜持なんか捨てちゃってよ!!」
「捨てたら俺じゃ無くなる。俺はお前を愛している俺にしかなれない」
「意味わかんないよ」
「わかなくていい。全部俺の勝手だ」
「じゃ、じゃあ。私も自分の好きにするからな!!文句は言わせないからな!!」
「ああ。俺の骨なんか拾わなくていいからな」
「そういう――」
私はジェットに黙らされた。
彼は私の頭の天辺に、ふわっと温かくて柔らかなキスをしたのだ。
私の顔はくしゃくしゃになっていく。
それでも涙を堪えてジェットを睨めば、ジェットは完全に私を崩壊させた。
なんて嬉しそうな顔で私を見ているんだ。
ジェットが心配で、ジェットが死んじゃう可能性が怖くて、もうどうしようもなくなっている私の姿が、そんなにも嬉しいのかよ。
耐えられないと、私は目を瞑る。
そんな事をしたら次に何が起きるかわかっているというのに。
案の定、いや、想定外だ。
ジェットは私の唇を奪わなかった。
私の額に口づけただけだ。
はっと目を開けた時には、ジェットはもう一歩を踏み出していた。
五十三階、ボスフロア戦に突入するために。
私は、待ってと叫びかけた口元を抑える。
彼がもうフロアに入ってしまったならば、彼が測ったフロアボスのとのタイミングを壊すようなことをしてはいけない。ジェットを生かしたいならば、私こそ細心の注意をせねばならないのだ。
フロアボスは、生き物のようであって魂のない動くもののようである。決められた行動を取るようにプログラミングされているようで、決まったルートを延々と「行ったり来たり」を繰り返しているだけなのだ。そして今や「行った」に入り、ジェットは後ろ姿となったボスの動きに合わせてフロアの中へと進んでいく。
そして私は、ジェットが止まったその瞬間、まだボスが後ろを向いている今そこで、ジェットへ向かってフロアを駆け抜けた。
誰がジェットに私への殉死などさせるか。
「天上の神の調べ」
ジェットに追いつき彼を後ろから抱きしめた私は、ジェットにも秘密だった自分の生まれながらに持っていたスキル魔法の詠唱を唱え始めた。
ジェットは彼は私を振り払うどころか、ぴしっと体を凍らせる。
彼は私のスキル魔法が何か一瞬で理解したから。
歴史書に最初の一節だけが載っている、あの有名な、王家や国の危機に王や勇者を守って死んだ妃や聖女が唱えていた、あれ、なのだ。




