上を目指すか下を目指すか
ダンジョンというものは、その存在自体が魔物である。
つまり、通常の常識と道理で測ってはいけない。
下に降りていく感覚であるのに、なぜか広々とした草原が広がり太陽が照り付けている世界に出会う、なんてよくあることだ。そして何階か移動した後に出会うフロアボスを倒した次の階層にて、また別の世界が広がっているなんてこともあるあるなのだ。
私達が取り込まれてしまった愚者のサイコロ、面倒なのでアーレアと今後統一して呼称するが、ここは特にその特徴が著しい。
私はソロが許される三十二階層しか探索した事は無いが、十一階は十階までの迷宮風の造りから一転、自然あふれる森の風景が広がる。そして十一階から十四階に掛けては一番の稼ぎが見込まれるが死人も多い階層である。
古に存在したと魔法書に記述のある薬草が手に入るが、どんな魔物図鑑にも載っていない人間サイズの狂暴なトカゲが闊歩している世界なのだ。
そして、十五階のボスを倒せば十六階となるが、そこは今度は海だ。
到達不可能と思うかもしれないが、海に沈んだ遺跡内探索と考えれば想像できるだろう。私はこの十六階から二十一階の階層は一番好きだった。
崩れかかった白い遺跡の中を旅するように、キラキラ光る小魚がすいすいと泳ぐ姿が透明な水面を通して見える。とても幻想的であるのだ。
巨大なばかりの水棲魔獣に出会わない限りは、だが。
ついでに、ここの階層はどれだけ海を進んだのかで階層を移動したと見做されるようである。でなければボスを倒した後に出現する転移コアに触れた時に、二十一なんて数字が頭に浮かぶはずはない。
さて、その次の二十二階から、再び塔の中のような風景に変わる。
残念ながら地下水路風の場所のため、床はぬかるんで滑りやすく、魔物もヒルやネズミにスライムと、じめじめしたした場所を好むものばかりだ。
そこでどの階よりも簡単そうだと考えるだろうが、地下水路の下水には誰もが嫌う昆虫がいるではないか。
あの黒くて誰もに嫌悪感を抱かせるアレが、人の半分ぐらいのサイズに巨大化した姿を想像して欲しい。ついでに、前述したヒルやネズミも通常のサイズではないのだ。ほら、一瞬で嫌な場所になったでしょう?
だから私はこの階層はしっかりと探索していない。
とにかく次の二十四階層まで通り抜けに徹した。
「清廉なる女神の名において、不浄なるものを浄化せよ!!」
私は意外に大声を出していた。
そのぐらい、不浄なものは嫌。
ここは二十二階でも二十三階でも無いけれど、二十二階でも二十三階でもない無いからこそ許せなかった。虫の大群は。
私が放った浄化の光は一直線に目の前の虫の大群へと走ったが、浄化の光で虫が死ぬわけは無い。浄化の光で死ぬのは病原菌や邪気やアンデットである。
「あ、すごい。お前が放った浄化の光で道ができた」
私は自慢そうに顎を上げる。
汚い場所を好む生き物ならば綺麗な場所には出て来れないという、魔物じゃない害虫の性質を魔物にも当て嵌めて見たのだ。初見の二十二階でパニックになった私が浄化魔法を放ってしまって、それで見つけた怪我の功名でしかないけれど。
「駆け抜けますよ」
「倒さないんだ。虫は意外と経験値入るだろ?」
「二十三階のフロアボスのムカデと、私は二度と戦いたくないんです」
ぷふっとジェットは吹き出した口元を抑える。
私が魔力をかなり使う浄化魔法などをぶっ放したのは、五十二階が二十三階フロアボスで溢れていたからである。
「私、ムカデは大っ嫌いなんです」
「そうか。残念ながらこいつらはヤスデだ。そして、フロアボスだったムカデにお前は浄化魔法を使ったのか思い出してくれ」
「うわあああ!!」
私はもうパニックだ。
そうだ、私の浄化魔法で道を開けてくれたのは、ゴキブリだけだった!!
そして、私の魔法に驚いただけらしいヤスデが、次から次へとあふれ出てウネウネしている。今はもう、道なんて立ったまま見た夢だったなんて有様だ。
「下がれ。俺が周囲一帯焼き払う。ただし、俺はたぶん倒れるだろうから、倒れた俺を担いで次のフロアに連れて行ってくれ」
「倒れるって、もうそんなに疲労しているの?」
「血統魔法を使う。俺はムカデもヤスデも無理なんだよ」
「ジェットこそ決死の覚悟かあああ!!」
騒いでいる間に、ジェットはオブシディア家秘伝の炎魔法をぶっ放した。
最上級の獄炎ではないが、周囲をマグマ化してしまう程の大規模炎魔法の爆炎だった。
ジェットは己の言葉通りに魔力欠乏でふらつき膝を着き、私は身体強化を身に施すと、この自分よりも確実に大きな男をお姫様抱っこして駆け出した。
最初に私が浄化魔法を放った方角の先へと。
どうして私達はこんな誤判断をしてしまったのだろうと後悔しながら。
私達が転送されたフロアは、実は四十六階だった。
それこそが今の私達の状況を作った、ダンジョンの罠、だったのだ。
飛ばされてすぐの私達は、とりあえずは上の階を確認して下に降りるか考えようと話がまとまった。それで上に昇ったのだが、階段上にすぐあった小部屋には、転送コアが鎮座している。私達はついていると喜びながら転送コアに触れ、そして現在階層を知った。
何度も言うが、それがダンジョンの本当の罠だった。
私達はそこで上に戻れば良かったのに、四十五階のフロアボスがどんな奴か知るために覗き、アンデットのリッチかよと、ボス部屋に飛び込んでやっつけてしまったのだ。そして帰ろうかともう一度転送コアに触れたそこで、悪魔の囁きが聞こえた。この先は前人未踏だぜ? と。
それでの、私達の今、である。
五十二階に降りてもフロアボスに到達するどころか、転移コアさえ見当たらない。
私達は上に戻る機会を失い、下へ下へと潜るしかなくなった大馬鹿者だ。