遠足準備は早寝早起きが大事……なのでお家帰りたい
「お姉さんは許しませんよ!!」
私とジェットの明日の計画が出来上がったというのに、そこに水を差す存在がいた。私とジェットが同室にいた事を忘れていた、ジェットの姉である。
ぷうと頬を膨らませた顔は可愛いが、初対面の時の謎の美女だった時のマリの方が良いな。私はマリへと身を乗り出す。
ソファに座ったまま、テーブルを挟んでなので、それほどマリの方に体を突き出しているとは言えないが、彼女はノリが良いのかソファの背もたれに体を押しつけてくれた。
「なに、何です?」
私は脅したいわけではない。
体を二つに折っている姿は、謝罪に使う方が多いでしょ。
「私への多大なるお心遣い感謝します。ですが私はあなたの弟君の安全を図る責任もございます。明日の万全のために自宅に戻る許可を頂きたい」
「俺からもお願いだ。ダンジョン行きなど俺の我儘を受け入れてくれたんだ。俺はディの指示通りにしたい。ディと俺の外泊を許してくれ」
私は体を元に戻すと、ジェットの後頭部を軽く叩く。
彼は額をテーブルにぶつけ、ごつんといい音を出した。
ジェットもぴょこんと身を起こす。
あ、額だけでなく鼻こそ赤くなってた。これは痛かっただろう。
「酷いな」
「だって馬鹿な事を言うから、教育的指導だよ。私は自宅に帰りたい。だけど、あなたがどうして私の自宅に来たがっているの? 素直に自分こそ自分家にいなさいよ。それで明日ダンジョン前に集合。これでいいよね」
「姉はお前の保護を殿下に頼まれているんだ。俺がお前とお前の自宅に行くことで、俺がお前を保護していることになる。姉も殿下の頼みを違いていないと言い張れる。そうだろ?」
「本音で語れ。お前が我が家に来たいだけだろう?」
「当たり前だ。俺はお前の家に招かれた事は無いし、家を持っている事も知らなかった。俺はお前の大事な友人じゃなかったのか?」
友人だったら友人が言う言葉を素直に信じて欲しいな。
君は私が女の子だと主張しているのに、一切信じてくれないじゃないか!!
どうしてだ? 私はそんなに女と認めちゃ駄目な奴か?
「やっぱりそうなんだな。友情を感じていたのは俺だけか」
「人の間を読んで勝手に思い違いして落ち込むな。鬱陶しい」
「友人なんだな」
「友人だ。だけど、私の家は誰にも来て欲しくない。親父殿には場所を知られているが、親父殿だって招いた事など無いんだ」
「じゃあ、俺が招待客一号なんだな」
私はわけわからない思い違いを無理矢理して来た本人ではなく、その男の姉を十七年はしている女性へと顔を戻す。
彼女は私と目が合うと、ゆっくりと頭を下げた。
「ふっつかな弟ですがよろしくお願いします」
「あなたはジェットのお姉さんでしょう! 道を踏み外しそうな弟を道から突き飛ばすのは止めて頂きたい!!」
マリはぴょこんと頭を上げ、ついでに両手を楽しそうに打ち鳴らす。
そして楽しそうにはしゃぎだす。
「まあ!!お姉さん!!いいわね。ええ、いいわ。アンバーやジェットに呼ばれるよりも素敵な感じだわ」
私は友人へと顔を向ける。
……ジェットは何も考えていない、散歩を待つだけの犬の顔をしていた。
「ああ、もう!!」
私は大きく舌打ちをすると、無作法も関係なく立ち上がる。
それから今一度マリに頭を下げた。
「お世話になりました。あなたの愚息をお借りします」
返事も待たずに頭をあげ、ソファに座っているはずの――座っていなかった。
散歩のゴーサインが出た犬よろしく、ジェットはすでに扉の前にいた。
「行こう。お前の家に食べ物はあるか? 何か適当に包んでもらうか?」
「頼む。それよりも、ジェットこそ着替えは良いのか? ダンジョン探索用の装備は必要だろう?」
扉の前にいるジェットは笑顔を返すばかりだ。
それもそうだろう。
扉の向こうという廊下にいた使用人達が、まだ居間にいる私にも見える位置にまで銀色のカートを押したのだ。
料理の入った大き目のバスケット。
黒い布でひとまとめにされた荷物、そして、ジェットの大剣。
私はソファに座ったままのマリを見下ろす。
彼女は私が目覚めた時に見せたものと同じ、婀娜っぽいが厭らしさは無く謎めいているだけの微笑みを返して来た。
「まさかここまで台本を書かれていた、と?」
「いいえ。あのお泊りセットは学園を往復したジェットが勝手に持ち込んだもの。ジェットこそ我が家に泊まる気だっただけよ。あの子はあなたの行くところのどこにでもついて行くつもりのようね」
「いつだってお返ししますが」
「かなり破損が酷いから、買い取りか現状復帰をお願いしたいわ」
「ひど」
私達は笑い合う。
だけど彼女は少々無理した笑い方だ。
私は腰を落とし、マリの耳に囁く。
「私はいつだって安全第一で走ってます。それは同行者にも適用です」
「絶対はないわ」
「絶対です」
私は右手を胸に当てる。
心に誓う、という意味だ。
私が殿下の身をお守りする任に選抜されたのは、私にはそのスキルがあるからだ。
「この身に代えましても」
命に代えましても。
「だけどきっと、それではジェットが壊れる気がします。だから無理そうな敵とエンカウントしてしまいましたら、私は臆病者と罵られようがケツを捲って逃げますよ。ジェットにも否とは言わせません。ちゃんと彼も連れて逃げます」
「ふふふ。安心したわ。あなたこそ気を付けてね」
私はもう一度マリに頭を下げた後、姿勢を正すやすぐにジェットの元へと向かった。散々に待たされたという顔をしているが、ぶんぶんと嬉しそうに振っているシッポが見えるようだ。
「期待が凄いが、多分がっかりだぞ。私の家なんかここの居間の半分の広さも無いからな」
「多分、期待通りで居心地が良い家だと思う。ここよりもね。俺は姉の家に泊まるくらいなら寮に帰るよ」
「あ、じゃあ。私はここに泊まろうかなって、引っ張るな。乱暴だな」
「じゃあ意地悪をするな!」
私達はこうしてシャムル侯爵家のタウンハウスを出た。
騒々しくふざけた軽い感じで。
明日は初見殺しと悪名高いダンジョンに入るというのに。